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スポーツケアトレーナー松村卓の雑記帳
私が日々感じたこと、体験を書きつづっています。
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スポーツケア整体研究所 研究レポート

第47回 内観力 〜からだの声を聞く〜 N0.8 『からだをからだのまま扱う』

2012年も後2日で終わろうとしている。
私の身体感覚も今年1年で随分変化してきた。

鎖骨の使い方に気付いてから骨組みを動かすコツを掴み
自然な流れで肋骨に行き着いたが最近では背骨の凄さに改めて驚いている。

からだをからだのまま使ってあげることの素晴らしさ。

楽な姿勢、楽な座り方、楽なポジション、楽な歩き方、楽な走り方、、、
楽なことを求めることは決してサボルことではなく合理的なからだの使い方に過ぎない。

昔の私は随分、自分自身のからだに対して酷いことをしてきたことを後悔している。

なぜなら、からだに要らぬ負荷をかけて
からだをいじめ抜くことがトレーニングだと信じていたからである。

ストレッチをして痛みを感じても
それが筋肉が伸びて効果が出ているからだと思ってきた。

腹筋をして固くなり割れてきたのをみて
強くなっているのだと思ってきた。

体幹トレーニングをしてプルプル震えるのは
筋力がないからで弱いからだと必死で耐えることが強くなることだと思ってきた。

スポーツ選手に怪我は付き物で
怪我するくらいしない奴は強くなれるはずがないと思ってきた。

残念なことに、これはすべて『脳』が喜ぶことばかりであって
からだは声なき悲痛な叫び声を痛みや筋肉痛で教えてくれていたのだが
私は、その声を聞き取ってあげられなかった。

現役時代、何度も何度も怪我した。

しかし、怪我することは悪いことではなく
今のからだの使い方は間違っているんだと教えてくれているのだ。

このチャンスを生かすべきなのに
更に間違った方向に進んでしまう人が多いし私自身もそうであった。

・筋力がないからだ、、、 →筋トレに励んでしまう。

・柔軟性がないからだ、、、 →ストレッチに励んでしまう。

・メンタルが弱いからだ、、、 →自分自身を責めて苦しめてしまう。

からだは何にも悪いことをしていない。
常に違和感と心地良さの信号で私達に良い悪いを教えてくれている。

だが、『脳』は掴めない感覚を嫌がる。
数字やデーターでしか信じない機能を持っている。

特に、科学的データーという言葉に大変弱く
すぐに信じてしまう傾向にある。

しかし、『脳』の得意技は事後処理であり
『脳』が『からだ』をコントロールすることなど出来ない。

このことは最近の脳科学の世界でも解明されてきた事実である。

どれくらい『脳』と『からだ』と開きがあるかといえば
『自分』と『他人』くらいの差があるのだ。

詳しく知りたい方は、
『意識は傍観者である』〜脳の知らざる営み〜 早川書房 を一読して頂きたい。

ここで一文を紹介したい。

”アスリートがミスをすると、コーチはたいてい叫ぶ。

『よく考えろ!』。

皮肉なことに、プロのアスリートの目標は考えないことだ。

目指すべきは、熱戦中に適切な作戦行動を意識の干渉なしに自動的に繰り出せるよう、

何千時間という訓練を行うことだ。”


『脳』であれこれ考えて動くと不自然な動きになるので疲れる。
『からだ』が自然に動くといい動作が楽に出来るので疲れない。

最近、正しい姿勢とはどういうことを示すのか?
というテーマでいろんな動作で検証していくのだが
体験された方々はあまりの差が出てしまうので思わず笑ってしまう。

イスに座り、地震が来たという設定で瞬時に動いてもらうのだが
世間一般で言われている正しい姿勢で座っていると居着いてしまって素早く動くことが出来ない。

今度は、あるイメージをして戴いてからイスに座ってもらい
同じように動いてもらうと瞬時に移動することが出来る。

この検証を歩いた場合、スタートダッシュをした場合と
いろんな動作で確認して戴くのだが正しい姿勢で行うと笑っちゃうほど動きにくい。

私が薦めている姿勢は世間一般的には悪い姿勢と言われてしまうかもしれないが
楽に動くという点においてはずば抜けて優れている。

何にも特別なことを指示している訳ではない
背骨を背骨のまま使いなさいと言っているだけに過ぎない。

皮肉なことに頭がいい人ほど考えてすぎてしまい
その結果、動けない状態を作り上げてしまう。

自然体を作ろうとした瞬間に不自然な状態になってしまっているのだ。
いかに、からだの動きを自由にさせてあげて『脳』を介入させないかが重要である。

この訓練は一見難しいのだが慣れてくると面白くてタマラナイ!

私の場合、『韓氏意拳』の守 伸二郎先生のお陰で体感することが出来た。
まだまだ完璧ではないが『脳』を介入させない方法を積み重ねることで進化していける。

からだの構造を切らさず自然な状態で動くとき、
自分でも信じられないくらいの凄い力がからだが生み出される。

もう12年くらいウエイトトレーニングも体幹トレーニングも補強(腹筋・背筋・腕立て)を
全くしていない私だが今の方がずば抜けて凄い力が出せるし俊敏に動けるからだになっている。

それは骨身でからだを支え、筋肉や内蔵や水分などの重さ(体重)を活用して緩んでいるからだ。

踏ん張ったり、力を込めている状態でいい動作などできる訳がない。
まして緊張している状態や強張っている状態でトレーニングして何の意味があるというのか?

固定して静止させた状態で負荷をいくらかけても
実際の動作のどの部分で使えるというのだろうか?

頭でっかちになってしまった最近のトレーニング理論だが
そろそろ本当のことに気付かないと未来ある子供達が可哀想である。

先日、スポーツケア整体研究所に来て頂いたHさん(陸上・長距離)から戴いたメールの中で
素晴らしい言葉があったので御紹介したい。

『自分を助けるのも苦しめるのも、まさに自分自身なんだという事を、先程吹雪の中で深く感じてきました。』

Hさんは昨年9月に来店されました。
この時のHさんのからだは悲痛な叫び声を出されていました。

当時のHさん自身も引退しようかどうか迷っているとの事でしたが
今ではからだのどこにも痛みがなく自己新記録を連発されている。

骨ストレッチを基本とした動作から鎖骨・肋骨・背骨の動作を体感され
本当の体幹部の鍛え方を知っていただいたHさんのからだは進化することはあっても退化することはない。

自分のからだに対して、何をしてあげるのかで結果は自ずと変わってくる。

身体能力を向上させるのではなく
身体感覚を向上させることが本当に必要なことなのだ。

”ダイエット=最適化”

これは心友の長沼さんから教わったことだが
ダイエットとは最適化にすることだ。

そろそろ自分自身にとっての最適化のために
いろんなトレーニングをダイエットされてはいかがだろうか。

何が本当に必要なことで
何が本当は不必要なことなのかを
我が身を持って教えてもらうべきである。

残ったものは以外にカンタンであり楽であり楽しいものであるはずだ。

答はからだが知っている!

本当のことはシンプルであり簡単すぎるくらいカンタンなのである。

2013年もいろんなトレーニングを積み重ねていき
更なる身体感覚を磨いていきたいと思う次第である。

       感謝

第46回 内観力 〜からだの声を聞く〜 No.7 『末端部の制御の意味と末端部の柔軟性』



先月、研究レポートを書こうとしたがパソコンを前に指先が動いてくれなかった。

その意味は、先週の出張中の移動時に理解できた。

末端部の使い方を身体から教えてもらっている最中であったのだが
なかなか腑に落ちてこなかったものが、ある動作をした時に一瞬で体感できて嬉しかった。

同行してくれた安井章泰君にお伝えしたところ同じ反応を示してくれたお陰で確実になった。


”末端部の制御の意味”

初めて骨ストレッチを行うかたによく聞かれる質問は、『どうして、親指と小指を付けるのか?』が非常に多い。
日常生活では、ほとんどしないポーズだがら余計に不思議がるのも分かる。

最初の頃は、末端の親指と小指を付けることで末端部を制御することで体幹部を優先的に動かしやすくすることで
体幹部で発生した力を末端部の腕や足に力を流してやることで力の発生と伝達をよりスムーズに行うことが出来ると説明をしていた。

当時の私の内観力では、肩甲骨や骨盤の可動範囲を広げさせるくらいの意識レベルでお話させて戴いていた。
しかし、最近では、鎖骨や胸骨、肋骨まで意識して動かせるようになってきた。

いや、誤解を恐れずお話すると以前から自然に動いてくれていたのだ。
そのこと自身に気付いていなかっただけである。

私の経験から言わせていただくと、筋肉や関節が動いていることも間違いのない事実であるが
それと同時に、無意識で骨も動いて動作を助けてくれているのだ。

この無意識で動いてくれている部分をピックアップして
いかに意識的に動くことの強化をして習慣づけたら何時の間にか又、自然と動いてくれるようになる。

”どの部分に、どんな意識を持って動かすかで動作の次元が進化する!”

手首や足首の骨の上を親指と小指を押さえながら身体を動かすことで
否が応でも体幹部が働かなければ動くことが出来ない。

日常生活では、手や腕、足が当たり前のごとく先に動き出すので
体幹部の出番がほとんどないのが現実である。

これは、私の講習会に出たことのある方であれば全員知っている。

ただ歩いただけで身体が硬化してしまい腕の回り方や前屈などの柔軟性が奪われてしまう動作を
無意識で行い続けている現実に気付いていない方がほとんである。

歩く動作においても末端部主導の動作から体幹部主導の動作に変えることで
身体の変化は劇的に変わる体験をされている。

歩く、立つ、座るの基本的な動作ですら無意識で末端部主導の動作をしている人間に
いきなり体幹部主導で動けと言われたところで出来ないのが当たり前である。

初期の頃は、ただ体幹部を前傾させて身体の重さ(体重)を上手く活用することが入り口であるが
上達してくると今度は、骨を活用して『骨身に任す動き』に進化していく。

その動作に導いていく為にも、意図的に末端部である手・足を制御して末端部主導の動作の習慣を止めさせて
体幹部主導の動作の習慣をつけていくことが肝要である。

ほんとうの身体の使い方を体得したければ、骨ストレッチをして体幹部主導の動きを覚えて
身体に動かされながら感覚を磨いていくと近道である。

骨ストレッチを続けていくと必ず壁にぶち当たる。

それは、硬化してしまった筋肉の存在である。
間違った筋肉の鍛え方をすればするほど骨や関節の可動範囲に影響を及ぼす。

この改善方法は、いたって原始的であるが硬化した部分をほぐしていくしかない。

正直、かなりの痛みを伴う。
生半可な気持ちでは決して出来ない代物だが、、、

しかし、その痛みこそ身体の悲痛な叫び声なのだ!

身体は声に出してしゃべれない分、痛みで教えてくれている。
この痛みを経験した人ほど、身体との向き合い方が変わってくる。

そして、痛みに耐えながら今まで積み重ねてきたトレーニングの本当の答を知ることで
なぜ、怪我したのか? なぜ、いい動作が出来なくなっていたのかを改めて理解する瞬間でもある。

自分自身の身体に、どれだけ理不尽な扱いをしてきたかを知ったとき
人は、ほんとうの身体の使い方に目覚める。

硬化した身体が柔らかい柔軟な筋肉に変わってくると
必然的に骨や関節の動きが滑らかに変わる。

すると骨ストレッチの効果がまた向上することで
いろんな動作や立ち居振る舞いが改善されて効率のいい状態でいられるようになる。

私の勝手に創った造語であるが『脱皮時期』が必ず訪れる。

その『脱皮時期』に必要な硬化部分を改善していくことで
身体から余計な動作が削除されていき本来の自然で無理ない身体に負担の掛かりにくい動作が出来るようになる。

そうすると段々、身体の中心部にある骨から動けるようになってくるのである。

骨ストレッチの正式な名称は『芯動骨整体』であるが
身体の芯にある骨を動かすことで體(からだ)が整うという意味がここに秘められている。

現在、流行っている体幹トレーニングは末端部に多大な負担をかけてしか出来ない方法であり
どんなポーズを観ても、手や腕、足にかなりの負担をかけているだけで体幹部そのものに効果的な刺激が伝わっているものは非常に少ない。

しかも、固定された静止状態で力を発揮するトレーニングをいくら積み重ねても
スポーツの世界は、動きながら力を発揮しなければいけない場面ばかりで現実に使えるシーンは皆無に等しい。

まして、筋肉を緊張させたまま力を出すことなど冷静に考えれば意味のないことである。

残念ながら体幹部を固めてしまうと骨を動かせる身体からは遠ざかる一方である。
また、犠牲になっている末端部が固くなればなるほど実は体幹部は動きにくくなるのが事実である。


”末端部の柔軟性”

最近、末端部の柔軟性がいかに体幹部を有効的に使えるかがよく分かってきた。

特に、手首や足首が柔らかい方が体幹部との連動性が向上する。
その中でも手足の指が柔らかくてよく動く方がなおいい。

現代人は、パソコンや携帯、車の運転など指先が緊張する動作があまりにも多い。
そのため、知らず知らず手の指先がコリ固まっている人ばかりである。

また、スポーツ選手では前述の体幹トレーニングや腕立てや
過度のウエイトトレーニング等で同じくコリ固めてしまっている。

身体というものは実に面白く出来ていて
手首や足首が柔らかい方がいい動作ができる。

首・手首・足首のこの三箇所はできるだけ柔らかい方がいいのである。

その理由として、これらの部分の重さを有効的使えると
とんでもない動作が出来るからである。

身体の端々にあるこれらの部分を『おもり』として使うとより自然な動作が出来る。

言葉では上手く伝わらないと思うがこの『おもり』を上手く使えると
スピードとパワーの出方はとんでもなく向上するのである。

”身体を細分化していくことで連動させることが出来る”
私の尊敬する甲野善紀先生の言葉を身に沁みて体感している。

この辺りの感覚の話は言葉に変換することが難しいのであるが
先日、安井章泰君に私のスーツケースを持って歩くときにある助言をして歩いてもらうと
スーツケースを持って歩く方が楽に歩けることを体感してもらった。

手首と体幹部を連動させて歩いた方がよりよく自然体で動けるのだ。

現在、このメッソッドをもっと簡単に分かりやすく出来るように改善している。
この身体の使い方を知ると安易なトレーニングで末端部を固めることが出来なくなるであろう。

私が分かってきたことは、よりよく体幹部を効果的に活用するのであれば
出来るだけ末端部を柔らかくしておくことがもっとも重要である。

このことは無邪気に遊び、縦横無尽に動き回っても怪我ひとつしない子供の手を触ってみれば
誰もが簡単に分かりえることである。

我が子の手を触る度に教えてもらっている。


        感謝

第45回 内観力 〜からだの声を聞く〜 No.6 『コツを掴むとは、”骨”を掴むこと』


ロンドンオリンピックが終わった。

見れる範囲でいろんな選手の動きを観て楽しんでいた。
それと同時に日本人選手の動きと比較していた。

特に、陸上競技での身体の動かし方の違いにはうつむくしかなかった。

一生懸命に前に進もう、進みたいという気持ちは嫌というほど画面から伝わってくるのだが
肝心要の身体の動きは悲鳴を上げていて苦しそうで苦しそうで壊れてしまわないかと心配した。

外人選手に勝つ為には、それ相応の筋力がないと勝てないということで
ウェイトトレーニングや補強(腹筋・背筋・腕立てなど)や体幹トレーニングを積み重ねてきたのであろう。
外見上は、逞しい身体になったのかもしれないが以前よりも『動ける身体』に進化したのかと問われればNOとしか言えない。

その答は、試合の結果が物語っている。

いくら筋肉をつけたとしても、その筋肉を使いこなしているのかが問題であり
動きの中でつけた筋肉ならまだしも、固定された状態やただ単に重いバーベルを上げる動作でつけた筋肉では
実際の動作に結びつけることは非常に難しい。

皮肉なことに、いい動作とは何時、如何なる時でも力を入れないで動き続ける状態のことであり
悪い動作とは、常に力を入れ続けて動いている状態のことである。

あのウサイン・ボルト選手ですら
ぼろ負けしたジャマイカ選手権での走りを観たら
思いっきり歯を喰いしばりガチガチの身体で走っているのだ。

いくら世界記録保持者のボルト選手であっても
歯を喰いしばって走るとなると筋肉が硬直状態になりいい動作など出来るわけがない。

そして、ボルト選手の最大の強みである『骨身に任せた動き』が出来ないのである。

ロンドンオリンピックでのボルト選手の走りを何度か観たが
200mの決勝の走りをもし100mで走れたら9秒5台で走っていたと思う。

特に、200mのコーナーワークでの身のこなし方はバツグンで惚れ惚れする動きであった。

あれだけのリラックス状態を作ることで鎖骨周りの動きがスムーズに行える。
どれくらいリラックスできていたのかはボルト選手の唇や頬の揺れ方を観れば分かるはずだ。

鎖骨は胸骨と肩甲骨に連動しており、鎖骨を動かすことが出来ればほぼ上半身を楽に動かすことが出来る。
そして、肩甲骨が動き出すと連動して骨盤も動くので体幹部で作られたパワーを末端部の腕や足に流すことができる。

今回、ボルト選手の走りで良かった点は腕振りである。

まだ少し腕を振るときがあるが
昨年のテグ世界選手権より腕を振らなくなっている。

腕は振るものではなく、振られるもであると同時に、
まるで船の錨のように扱うことでより体幹部の力を有効的に使えるようになる。

このあたりの感覚が分かる人は、腕の扱い方がしっかりと分かっている人である。

腕を振らないと走れない、前に進めないと思っている人は残念だが腕の捉え方を間違っている。
それこそ腕の筋肉を鍛えすぎて全身のバランスを崩していることに気がついていない。

100mでのボルト選手の走り方は非常に固かった。

フライングの恐怖もあったであろうし
勝ちたい気持ちが強くあったから仕方がない部分もたくさんあったと思うのだが
200mでみせたあの素晴らしい動作で100mを走ったら面白いレースと記録が出たことは間違いないであろう。

2位のブレイク選手、3位のガトリン選手、4位のゲイ選手は
壊れたダンプカーのごとくパワーで押し切って走るタイプの選手達で日本人が真似をしてもケガをするだけで無理である。

その中でボルト選手だけが、鎖骨や肋骨、肩甲骨&骨盤を上手に動かして
別次元の走り方で後半ごぼう抜きをして優勝した。

我々、日本人が黒人選手の柔らかい筋弾力性を羨ましがってもなれないものはなれない。

同じように筋トレに励んでも同じような結果には決して結びつかない。
今までのトレーニングの延長線上に好記録の期待はない。

同じ道を歩むのではなく
我々、日本人にしか出来ない動作を追い求めていく方が私は近道だと思っている。

”コツを掴む”

と私達はよく言葉で話すがこのコツを掴むとは『骨を掴む』ことを指す。

筋トレや補強や体幹トレーニングをしてしまうと骨格を動かすことが非常に難しくなってしまう。
何度も書いていることだが体幹部を固めてしまうと全身の動作が連動しなくなる。

そんな身体を作り上げてしまったら最後、筋肉しか使えない身体になってしまう。
ケガのリスクが多くて、いい動作を長くすることが非常に難しくなるのだ。

鎖骨周りは、いろんな腱で繋がっており
この部分を柔らかくするためにはいろんな順序を得てほぐしていかなければならない。

その昔、道場破りが来た際には
お師匠さんが相手の鎖骨の窪みを指で引っ掛けて、そのまま地面に押さえつけて瞬時にやっつけしまったらしい。

鎖骨周りは痛いのでみんな敬遠するのだが
それは鎖骨が素晴らしい動作を生み出す部分であることを知らないからなのだ。

鎖骨周りを柔らかくすること自体結構難しい作業なのに
今のトレーニングでは真逆の固めることに精を出してトレーニングをしている。

おまけに大胸筋や三角筋や僧帽筋を固めてしまうと
ほぼ体幹部の力を有効的に使うことは難しいと思った方がいい。

そして、骨盤周りの筋肉も同様で固めてしまえばしまうほど
骨盤を動かすことが難しくなるので足の筋肉しか頼るものがなくなりケガの発生が増えてしまう。

骨盤周りの筋肉の鍛え方を間違えてしまうと
『仙骨』の上手な使い方など夢のまた夢の世界になってしまう。

できるだけ筋肉を固めるのではなく
柔軟に柔らかくして骨組みが動きやすい身体作りをして欲しい。

その第一歩として骨ストレッチに取り組んで戴ければ幸いである。

骨ストレッチは、親指と小指で骨を掴みながら動作を行う。
鎖骨ひねりストレッチを行ってもらえれば骨組みを活用するだけで動作が一変することを誰もが体感する。

骨を掴みながら身体を動かすことにより
身体から”カ・ラ・ダ”の使い方を教わるのである。

身体が動きたがっている動作を”カ・ラ・ダ”から教わる作業がトレーニングである。
脳の介入をさせないで身体の発している声なき声を身体感覚で掴んでいくのがトレーニングの最大の目的なのである。

”骨身に任せる、、、”

おそらく”ゾーン”に入っている状態というのは
まさに骨身に任せてリラックスして動いている状態なのだと思っている。

筋肉が緩み、骨組みが上手く身体を動かしてくれているので余計なことをしなくていい状態であるからこそ
冷静に、まるで坐禅でも組んで座って(ハラを据えている状態)いるかのごとく正観して動作を観ていられる自分がいるのだ。

また、骨組みが上手くことにより
当たり前だが体幹部の中心が動くため筋肉が無理なく自然な状態で動いてくれる。

すなわち、力を込めた力の出し方ではなく、
体幹部の中心で生まれた自然な力が手足に流れていく力の出し方になる。

つまり、筋出力を上手に発揮するためには
骨組みを上手く活用した方が楽にスムーズに出来るのである。

骨組みが上手く使えるようになれば
今度は身体の重さ、つまり体重を使いこなせるようになってくる。

腕の重さ、足の重さ、そして頭の重さ、、、

これらの自体重を使いこなせるようになると
今までとは全然違う次元の動作が出来るようになってくる。

この辺りのお話は、また機会があればお話したい。


第44回 内観力 〜からだの声を聞く〜 No.5 『体幹部の鍛え方を再検証してみる』



”体幹部の鍛え方”を書こうと思っていたら
夏休みで自宅に居た長男が先日録画していた番組を観ていた。

NHK『ミラクルボディ』ウサイン・ボルト選手の特集。

キーボードを叩こうとしたが手を止めてテレビの画面を見つめた。
そして、すぐさま内観力にスイッチを入れてボルトの動作を観始めた。

ハイスピードカメラを使って、ボルト選手の走りを撮影した映像を長男と観ていたが
相変わらず、ボルト選手の『鎖骨』の動きは素晴らしかった。

走る映像が写るたびに長男に説明しながら確認していった。

スポーツ科学者の方がボルト選手の走り方を
常識では考えられない走り方をするので理解することが出来ないと言う。

そのことをボルト選手に言ったが、、、

僕はランナーだから難しいことは分からない!
聞くのではあればコーチに聞いてくれ〜      とボルト選手は応えていました。

私は、このやりとりを観て一人でニヤッ〜と笑いました。

なぜなら、常識で考えられない走りをしたから世界新記録が出たのでしょう?
その秘密を調べている人が常識の範疇で調べて何が分かるのだろうか?

”選択肢がない!”

この一言に尽きると思う。

番組の中で、骨の映像を使ってボルト選手の走り方を解説していたが
あの映像を観て、何故、”骨身に任せる走り”に気がつかないのだろうか?

走ることはや動作はすべて筋肉で行っていると思っている人であれば
なおさら、骨を意識的(ボルト選手は無意識だと思う)に動かすことなど毛頭ないのであろう。

一番面白かった映像は、パウエル選手とボルト選手の走りを比較して前から写した映像で見せた
ボルト選手の『鎖骨』の動きかたの素晴らしいこと、、、

御丁寧に角度まで表示してくれていましたが
あの動作の凄さを一体どれぐらいの人が気付いているのであろうか?

しきりにスポーツ科学者と呼ばれている人達は口を揃えて
骨盤や上体(鎖骨とは言っていない)の大きな動きはロスになりケガの元と言っていた。

しかし、ボルト選手の走りの強さは
位置エネルギーの高さを”骨盤”ではなく”鎖骨”の高さから発生しているということである。

まるで、鎖骨にシューズを履かせているかのように地面をグリップさせている。

ボルト選手は背骨の病気の影響から
この走るフォームを作り上げていったと言っていたが果たして本当にそうなのだろうか?

そして、背骨の影響で肉離れ、、、と言う話があったが
背骨が真っ直ぐな選手であってもスプリンターであれば誰もが肉離れや筋膜炎にはなる。

それよりも、ボルト選手の体格を観れば
あれだけの足の長さがあれば、”テコの原理”で足に掛かる負担が大きくなるのは必然である。

コーチの方もボルト選手の足の長さで100Mのスタートダッシュを速く走ろうとすれば
おのずと足への負担が増大することは鼻から分かっている話である。

ボルト選手みたいな長身の選手が
あのスタートダッシュで見せた『つま先接地』をすれば、
アキレス腱やハムストリングスに大きな負担がかかるのは当然のことである。

スタートだけで観るとパウエル選手の方がフラット着地をしているので
足への負担率は少なくなって当たり前なのだ。

北京オリンピックで見せた、ボルト選手の爆発的な加速力の原動力は筋肉ではなく『骨』である。

”鎖骨”と”骨盤”を上手に連動させることにより
体幹部からの『力』の発生を起こし、腕や足にその『力』を伝達していく。

まるで、扇子やアコーディオンのように体幹部を『ジャバラ』のように使いこなす。

体幹部を固めるトレーニングをしている選手に、この動作をすることは無理である。

さすがのボルト選手も体幹部を固めるトレーニングをしすぎると『骨』の可動域が狭まり
その時の走り方は、彼独特の体幹部をダイナミックに動かして走る姿はそこにないだろう。

ボルト選手と他の選手の動作が大きく違うところは
中間走から後半にかけての体幹部の動かし方である。

あの身長から繰り出される位置エネルギーからの『力』の発生。
ボルト選手は『鎖骨』高さからで、他の選手はせいぜい『骨盤』の高さからである。

今、流行の体幹部トレーニングは、”体幹部を固める”ことが体幹部の力を向上することと勘違いしている。
だから、体幹部を動かすという発想は思いつかない。

『固定』=『安定』

この図式が正しいと思っているうちは分からないと思う。

しかし、本当に求めていかないといけない事は

『不安定』=『安定』なのだ。

前述した、スポーツ科学者がボルト選手の走りはブレが生じて走りにロスが出ると言っていたが
実際は、ブレが生じて不安定な状態になるので身体は自然に安定状態の戻ろうとするのである。

つまり、安定を求めるのであれば逆に不安定にしなければならない。

もっと分かりやすく言うと、アンバランスにしなければ本当のバランスは取れない!

ボルト選手は空中動作で上体を崩してアンバランスな状態を意図的に作り(この時に大きな『力』を作り出している。)
接地に向かうにつれて身体は自然にバランスを保とうと働くので安定した状態で地面にすごい『力』を伝えることができる。

元々、人間の歩く動作ですらバランスを崩しながら歩いている訳で
重心を崩しながら動くことが基本なのに、どうして重心を崩すことを難しくするトレーニングをするのか意味が分からない。

バランスを崩すことを積極的に走りに取り入れたボルト選手だから
ケタ外れの速さを出せた結果、世界新記録が生まれた。

ただ気になるのが、北京の時の腕の振り方と現在とでは違ってきている。

北京では、鎖骨を上手く使いこなして腕を錘として見事な腕振りをしているのだが
最近のレースを観るかぎり、鎖骨の動きを妨げる腕振りになっている。

ロンドンオリンピックで、どこまで修正してくるのかが楽しみである。

日本の武術の世界では『骨』を巧みに扱うことが当たり前なのだが
スポーツの世界では『骨』のことなど意識のかけらもない。

ここ最近、目に余るくらい本屋に行けば『体幹部』の鍛える本がある。

しかし、いくら体幹部を鍛えたとしても『力』をこもらせているだけであり
『力』を流れさせているトレーニングではないのだ。

私が、感銘を受けた『韓氏意拳』の稽古では
身体から自然発生した『力』をいかに解放させるかを大事としている。

身体に『力』をこもらせている状態と
身体の『力』を解放させている状態では動作の次元が全然ちがう。

人は掴めないものは嫌がり、掴みやすいものは好んで選ぶ。

やっている感がある、固まった感じや滞った感じを『脳』は大変喜び、『身体』はとても嫌がる。
よく分からない感じ、自然な感じや伸び伸びとした感じは『身体』は大喜びし、『脳』は非常に嫌がる。

私は、常々、体幹部は弾力がある方が『力』の発生と伝達がしやすいと言っている。

それは、『骨』が動きやすい身体を創る方がいい動作ができるからである。
我々日本人は、『骨身に任せる』という言葉を使う。

あれやこれやと『頭』で考えて動作をしても上手くいくことはない!

自然体で動く動作とは、あまり『脳』を介入させないで動くことであり
違和感だらけで動くことではなく、心地良さや解放感あふれる動作こそが求めていきたいことなのだ。

”感覚”は事中であり
”感知”は事後である

”感覚”は、”感知”ではない!

『感覚が論理を超えることはない』

頭で感覚を感じることはできない!!

先日、内田 樹先生の凱風館で『韓氏意拳』の光岡先生に教えて頂いたこと。

自分の身体が声なき声で発している感覚を辿りながら
自然体で発生させる身体の持っているすごい『力』を知って欲しい。

安易な体幹部トレーニングなどをして無意味に身体を固めてしまい
身体の持つすごい『力』をなくさないで戴きたい。

もう、そろそろ目覚めてもいいのでは、、、

      感謝

第43回 内観力 〜からだの声を聞く〜 No.4 『体幹部の動かし方を再検証してみる』



”身体の「骨」が、私の事に気付いてくれて嬉しい!と、
喜んでいる声がきこえるような気がします。”

これは、6月20日に出した、DVD骨ストレッチ・ダイエット編を観てくれた
北京パラリンピック・シッティングバレーボール代表の坂本 朋子さんのコメントである。

体幹部(コア)を鍛えることが強い選手になるためには必要不可欠と
今、書店に行けば、いろんな名前の体幹部トレーニングの本が所狭しと並んでいる。

実は、坂本さんも北京パラリンピックを目指してトレーニングをしていたのだが
試合が近づくにつれて身体の動きが悪くなってきてしまった。

片足がないハンディを背負いながらのハードなトレーニング。

ハンディをかばうために、体幹部を鍛えるトレーニングを積み重ねていた。
しかし、やればやるほど思うように身体が動かなくなっていくことに次第に違和感を覚え始めていた。
そして、とうとう日常生活においても支障が出始めた。

おかしい、、、なぜ、、、

体幹部を鍛えれば鍛えるほど、自分の身体が動かなくなってしまう。

藁をもつかむ気持ちで、スポーツケア整体研究所に来てくれた坂本さんの身体を観て
まるで鉄の鎖で縛られているかのような状態であった。

”坂本さん、筋肉も大事だけど、骨はもっと大事なんだよ!”

キョトンとしたお顔をされた坂本さんでしたが
骨ストレッチを基本とした骨を動かすトレーニングをしていくうちに身体からの声をキャッチされた。

身体がかなりほぐれた後に、ペットボトルを使用した私独自の体幹部を鍛えるトレーニングを行うと
坂本さんの身体で出番を待ち望んでいた『骨』が喜んで動き始めた。

『こんなにカンタンで、しかも気持ちよくて、だけど身体が楽に速く動けるなんて信じられない!』

筋肉や関節周りの硬化が取れ始めて、骨が楽に動かせるようになった坂本さんに笑顔が戻った。
同じ体幹部を鍛えるトレーニングでも目指す方向が違うと出てくる結果も違うのは当然である。

★体幹部を鍛える=体幹部を固める。 

☆体幹部を鍛える=体幹部を軟らかくする。

安定した体幹部こそがバランスがいいと思っているので固めてしまうのだろうが
そもそもバランスを取るきっかけはバランスを崩すからバランスを取ろうとする自然な身体の理を知らないのであろうか?

歩く動作も走る動作も重心が崩れて起こる動作である。

それを体幹部を固めてしまった状態で動作をしようとすること自体おかしくないだろうか?

安定を求めたいのであれば、いかにバランスを崩すかがポイントになるので
常に、アンバランスな状態にしておくことがバランスアップに繋がっていくのである。

体幹部を固めるだけ固めた結果、体幹部からの出力発生はまず無理である。

そのマイナスをカバーするために腕や脚がその犠牲となる。
身体の中で一番重い体幹部を腕や脚の力だけで動かそうとするのだから相当な負担がかかる。

筋肉を固めた状態であれば『骨』を使う意識など起こるはずもない。

筋肉にかかる負担ばかりが増え続け、やがて疲弊してしまいケガをする。
ケガをした結果ばかり見て、マッサージや電気治療・湿布などで対処するのだが
根本的な動作の改善を行わない限り、改善することは難しいだろう。

ケガをした原因を栄養不足によるものだと思い、
過剰な栄養分を摂ったところで根本的な解決にはならないのである。


鏡に映る逞しくなった自分の身体を見て喜ぶ気持ちは私も経験上よくわかる。

しかし、目に見えている筋肉を『陽』とするならば、目に見えていない骨を『陰』としてみて欲しい。
世の中は、すべて『陰陽』のバランスで成り立っている。

身体を動かすことも『陰』(骨)『陽』(筋肉)のバランスが大事なのである。

大自然の中で立派に立っている巨木を観て欲しい。
あの太い幹や枝葉を支えているのは目には見えない大地の中にある『根』がしっかりしているからだ。

『根』がしっかり大地に根付いていなければ、巨木はたちまち倒れてしまうのだ。

人間の身体も『骨』を使うことが楽に身体を動かせる極意なのに
現代人は、とかく筋肉だけしか頭にないようだ。

昔の日本人は、”骨身に任す” ”骨が折れる” ”骨身に沁みる”などの言葉を使ってきた。

先日、私の講習会にて参加者にお聞きしたことがある。

”骨休み”がしたい!という言葉を使ったことがありますか? の質問に
全員、言葉は知っているが使ったことはないとの返答であった。

ある方が一言、『気休め』ぐらいかなと笑っておられた。

昔の日本人は、生活環境も大きいが『骨』を上手く使う生活をしていた。
だから、”骨身に任す”や”骨が折れる”という言葉が自然に口から出るほど身体動作を『骨』で行っていた。

なぜならば、『骨』を意識して身体を動かした方が楽に長く仕事ができるからである。

井戸の水汲み、蒔き割り、風呂を沸かす、畑や田んぼを耕す、重い鎧を着て戦をする、、、
これらの作業を筋肉だけ行おうとしたら楽に長くは出来ないことはお分かりになることであろう。

だから、”骨折損のくたびれ儲け” ”肉を切らして骨を絶つ” という言葉が出てきたと思う。

現代人の身体感覚では筋肉ばかりで動いているので
休みの日となれば、『マッサージ』に行って筋疲労を取るくらいであろうか。

では、骨身に任して身体を動かすためにはどうすれば良いのか?

それは、体幹部を軟らかくして骨(肩甲骨・骨盤・鎖骨・肋骨)を動かしやすくしてやればいい。
筋肉を固めるのではなく軟らかくして骨が動く力を活用して筋出力を高めるトレーニングを身に付けるべきである。
それと同時に、腕や脚、そして体幹部の重さを活用することで物凄いパワーを生み出すことが出来るのだ。

”柔よく剛を制す”

この言葉の意味を知り、体感していくことを心から望んでいる。
しなやかな身体作りこそ、身体本来の動作が出来るのだ。

ガラスのような硬い筋肉を作ったところでヒビが入りやすくなり壊れる(ケガ)ことになる。
弾力のある柔らかい筋肉を作ることで動作も楽に出来て、ケガもしなくなっていく。


陰(骨)陽(筋肉)のバランスの取れた動作を目指して戴きたい!
そして、可能性ある自分の身体を信じてあげて欲しい、、、

第42回 内観力 〜からだの声を聞く〜 No.3 『腕振りを再検証してみる』



”腕をしっかり振らないと走れないぞ〜!”

昔から言われ続けているが本当にそうなのだろうか?

私も現役時代は、腕振りをしっかりと意識して走っていた。
それもジョギングの時から一生懸命に振りながら走っていた。

スタンディングの姿勢で、ダンベルを持ちながら腕振りのトレーニングをしたり
両膝を立てた状態で仰向けに寝て、上体を45度くらいにした状態で腕振りをさせられた。

『ラストスパートは腕振りで決まる!』

当時は、何の疑いも持たずに真剣にトレーニングしていたが
まさか体幹部との連動動作を止めているとは夢にも思わなかったのである。

ここで、腕のおもさについて確認しておきたい。

片腕のおもさで体重の約5%と言われている。

例えば、体重が60sの人で約3sになる。
両腕だと約6sのおもさになる訳でかなりのおもたさである。

この事を頭に入れて戴きながら次の実技をして頂きたい。

まず、肩幅に立っていただいたら右腕、左腕と後方に3回ほど腕をまわしていただき
それぞれの腕のまわしやすさや可動域などを覚えておいて欲しい。

では、腕振りを20回くらい行ってみて戴きたい。(スピードは、やや速めくらいで)

終わったら、腕をまわし比べてみて欲しい。
腕振りをする前の腕のまわしやすさや可動域を比べると
明らかに腕をまわすのがおもだるい感じと可動域も狭くなっていると思う。

そして、歩いてみて戴きたいのだが足が前に進みにくくなってはいないだろうか?

前方に速く進むために腕振りを行っているのに
腕振りのトレーニングを行うと逆に肩回りの柔軟性は低下し可動域も低下している。

一番、肝心な前方への移動も進みにくくなってしまっている。
これでは何のためにトレーニングしているのか分からない。

そもそも、腕を振った力で体幹部を移動させることなど無理なのである。

いくらダンベルやバーベルを使って腕の筋肉をつけたところで
腕の筋肉は身体の中で一番小さい筋肉なのだ。

腕を動力源にしようとしても身体の構造上どだい無理な話である。

簡単に言うと、あなたの体重が60sとしたら腕のおもさは片腕で約3sなので
両手に3sのダンベルを持って腕振りをしてみたらいい。
いかに身体に、ただ負担をかけているかが身に沁みて分かるはずだ。

”腕は振るものではなく、振られるものである”

体幹部で作られた力を末端部である腕に力を流す結果、
腕が動くのが自然の力の流れなのだ。

もし、腕を力で振ろうとした場合、腕が体幹部の後方に移動してしまうが
腕を後の位置から前の位置まで戻すのに時間が掛かってしまう。

3sの重さを後方から前方に移動させるために使う力は一体どれくらのものだろうか?
この動作も一度、ダンベルなどを持って試してみると分かるはずだ。

そして、腕が後方から前方に戻りきるまでの時間差を
身体がどんな調整をしてくれているかを考えれば無駄なことをしている事に気付くはずである。

”腕を振ることで、実は、走りのバランスを崩してしまっていることに早く気付いて欲しい。”

少し前にテレビで観たのだが、
五体不満足の乙武 洋匡さんがプロ野球の始球式をされていた。
見事なボールを投げられた後、お辞儀をされマウンド降りてベンチに向かわれた。

乙武さんのお付き添いをされていた方と一緒にベンチに歩いて戻るのだが
手足がない乙武さんの方が健常者であるお付き添いの方よりも先に早く戻られたのである。

(少し失礼な言い方になることをお詫び致します。)

私は、この姿を観て、乙武さんの方がよっぽど素晴らしい身体動作をされていると思った。
骨盤や肩甲骨を巧みに使い、無理と無駄のない動作を観て感動した。

私が、『誰でも速く走れる骨ストレッチ』の本の中で、
下敷きやコピー用紙などを脇に挟んで走ることを薦めているのは
腕を使うよりも体幹部(骨盤・肩甲骨・鎖骨)をうまく動かした方が楽にスムーズに前方移動できるからである。

そして何よりも腕を単体で使おうとすると体幹部との連動が出来なくなる。

腕を使うのは筋肉をつけて『力』を出す部分としてではなく、
腕のおもさを活用することで『動力』を生み出す部分として使った方が理に適っている。

長距離選手であれば、全盛時代の高橋 尚子選手のように腕をまるで『でんでん太鼓』のように使うといい。

それだけではなく、腕のおもさを体幹部の前方に持ってくるだけで、
そのおもさを活用して前方移動への動力源した方が明らかに有利になる。

走るときに身体の前方に片腕がきていれば60sの人で約3sのおもさを利用できるのだ。
つまり、自然な重心移動をしたければ腕も同行させればいいだけ。

短距離選手であれば、北京オリンピックのウサイン・ボルト選手のように
鎖骨をうまく使い、腕のおもさを活用して真下に落とすような感じで使うといい。

例えば、ペットボトルの2Lを片手で持ち、
耳の高さから地面に落としてみたら、いかにすごい力が出ているのかが分かることと思う。

腕のおもさをうまく活用して、そのおもさを上から下に落とすように使うだけで
ものすごい力が出ていることに気付いていない方が非常に多い。

武術の動作でもゴルフの動作でも、腕を『錘(おもり)』として使っている人は出来る人であり
素人ほど、腕に筋肉をつけすぎてしまい間違った『力』の出し方をしてケガをしている。

ゴルフの選手ほど、腕を『錘(おもり)』として使って欲しいのだが
残念ながら、今、主流の打ち方では腕の力に頼らなければ打てない打ち方のためケガをしている人が殆どである。

本当に、飛距離を出したいのであれば両腕をブランブランにするだけで
勝手にヘッドスピードは上がり飛距離も伸びる。

後は、体幹部との連動性が繋がっている動作であれば間違いない。

今、流行の体幹部トレーニングに精を出している人ほど
肩関節まわりを固めてしまっているので腕本来の動きを導き出すことが難しくなっている。

鏡に映っている『腕』の部分が腕だと思っている人は
残念だが本当の『腕』の動かし方、使い方を知らない。

腕を上げる、下げる、まわす、、、

いろんな動作ができる『腕』だが、実はいろんな身体の部分と繋がり連動性が非常に高い。
しかし、ウェイトトレーニングでよく見られる腕単体で鍛えるトレーニングでは連動性が失われてしまう場合が殆どである。

”腕は意識の仕方ひとつで重たくもできるし軽くもできる。”

計測器や筋電図には出てこない意識の変化で、自由自在に動かすことができる腕の凄さ!
この腕の素晴らしい動作を導き出すためには、筋肉を固めるのではなく緩めていくことが基本になる。

私は、講習会で身体を解く方がいいと常々お伝えしている。

身体を解いていけばいくほど腕をまわす感覚が変わってくる。
それは、腕だけをまわしていた人が身体全体で腕をまわすことを実感するからである。

今まで、いかに腕だけを使ってきたのかを知ることで
身体全体のコンビネーションを無視してきたこと確認していただく。
手首や肘、肩を痛めてしまう人は、腕を単体で使うことで起こってしまう事を知って欲しいと思う。

”腕を率先して使うのではなく、腕の自由度をなくし、腕にでしゃばらせないように制御すること。”

腕を制御して動作しようとすれば、おのずと体幹部が動かなければ動作をすることが出来ない。
陸上選手でバトンを持って走った方がいい走りをする選手が多いのはこの理由のため。

神経が発達して数も多い”でしゃばりの腕”。

この腕の使い方ひとつでパフォーマンスが劇的に変わる。
腕を振る動作ひとつ変わるだけで走り方も劇的に変わる。

腕のおもさを実感して戴きながら
その腕のおもさを『錘(おもり)』として使うことを是非オススメしたい。

第41回 内観力 〜からだの声を聞く〜 No.2 『歩き方を再検証してみる』



今回、『歩き方』について書いてみたいのだが
その前に、前回、お伝えした『立ち方』でひとつ書き加えたいことがある。

それは、”骨盤の前傾”である。

なぜなら骨盤を前傾した状態で歩くや走るといいという考え方があり
そのことについて少々違和感があるからだ。

私が骨盤の前傾を意識し始めたのは中京大学に入ってからだ。
当時、ワールドウイングの小山先生のところでトレーニングを勉強されていらしゃったY氏。

スクワットを行う前の注意点として
太腿の前側で行うスクワットではブレーキ部分を鍛えることになり逆効果になるので
太腿の後ろ側のエンジン部分にあたるハムストリングスや大臀筋を鍛えるために
骨盤を前傾させて行うように指導を受けた。

さらに効果を高めるために2.5キロのバーベルを両足前に置き
そのバーベルをつま先側で踏みながら行うことでより一層、ハムストリングスや大臀筋に刺激が入り
効果が上がると教えてもらった。

当時は、何の疑いもなくトレーニングに励んでいたが
この動作のツケが現在の私の身体にまだ残っているのだから恐ろしいことである。


まず、意識的に骨盤を前傾した状態で腕を回してみて欲しい。

背中や腰の筋肉が緊張しているためにスムーズに回らないと思う。
その後、骨盤を元に戻し(真っ直ぐ)腕を回していただくとスムーズに回ると思う。

今度は、意識的に骨盤を前傾した状態で前屈をしてみて欲しい。

膝周辺や腰、さらに背中の筋肉が緊張してしまい前屈することが難しいと思う。
その後、骨盤を元に戻し(真っ直ぐ)前屈していただくと楽に前屈ができると思う。

一番、感じて欲しいことは意識的に骨盤を前傾させて立ったときの
太腿の前側とふくらはぎ部分の緊張である。

上記の2箇所が緊張している状態は、車で例えるとサイドブレーキをかけている状態と同じなのだ。

この状態で歩いたり走ったりして身体に負担がこないのだろうか?
私は、スポーツケアトレーナーの立場から観て少々おかしいと思っている。

確かに、東洋人は骨盤が後傾していて膝が屈曲した体型(モンゴロイド体型)が多いと言われている。
しかし、骨盤を前傾させた状態で動作を行うとなるとかなりの柔軟性がないと緊張した状態で
身体を動かすことになりケガの心配が出てくる。

私が28歳の時、ワールドウイングで100mの日本記録保持者の伊東選手のトレーニングを観たが
常識では考えられない背中の筋肉の柔らかさに驚いた。

当時の私には、まだこのレベルの事が理解できなかったのだが、、、

日本人の骨格ではなく、西洋人の骨格の位置にするために
様々な機械やストレッチ方法によって、その事を可能にさせていることも事実なのだろう。

いろんな考え方があって良いと思う。


これから書くことは私の実体験のことなので参考にして戴ければ幸いである。


私が骨盤の前傾を嫌うようになったのは二つある。

ひとつは歩きづらい事。
もうひとつは長時間立っていられない事である。

ひとつ目の歩きづらいについてだが
意識的に骨盤を前傾させると足を接地させる時に必ず足の指が開いてしまう。

足の指が広がると自然とブレーキがかかってしまうので
スムーズに歩きたくても歩けないのである。

そればかりか足の裏に余計な力が入ることになり
足底筋が緊張した状態で接地することになるので地面反力をもらうことが出来ない。
逆に、地面に伝えようとする力と地面反力をもらう力が喧嘩することになり相殺されてしまう。

この動作で、足底筋を傷めるランナーが実に多い。

その結果、足の指や足底筋が弱いからだと言われ
タオルギャザーで足の指や足底筋を鍛えろと指導されてしまい
余計に足の指や足底筋を酷使することになり苦しんでいる。

骨盤を前傾させての歩き方は、
身体全体のコンビネーションを妨げてしまうばかりではなく
動きたいように動けない身体の悲鳴が痛みとして全身に現れてくるので
私の身体は、この事を違和感として教えてくれたのである。

また、尊敬している守 伸二郎先生から教わったお話を御紹介したい。

五本指ソックスを履かれている方にお伝えしたいのだが
五本指ソックスを履いて歩いた後、腕を回したり、前屈をしていただいたら
その回しやすさや曲げやすさを覚えておいて戴き、今度は五本指ソックスを脱いで裸足で歩いた後、
同じように腕を回してみたり、前屈をしていただいたら、その結果に驚かれることと思う。

その後、もう一度、五本指ソックスを履いて歩いてみて欲しい。
あなたの足や身体は何と仰っていらしゃるのだろうか?

五本指ソックスを履くことにより足の指を緊張させしまうのである。
だから、歩いていても足の指が働く(動く)ことが出来ない状態になっているので
人間本来の身体機能が上手く稼動しないため知らず知らずの間に身体に負担がかかってしまうのだ。

守先生のお知り合いの整体の先生のところでは
五本指ソックスを履いている人の方が断然、身体のバランスが崩れている人が多いとの事。

骨盤を意識的に前傾をさせて、五本指ソックスで歩かれたら
あなたの身体からどんな声が聞こえてくるのか今一度よく考えてみて欲しい。


ふたつ目の理由として長時間立つことが難しいのである。

今年から守先生に『韓氏意拳』の指導を受けている。

初めて稽古会に参加させて頂いた時に感じた違和感なのだが
どの動作をするときにでも骨盤の前傾がクセになっているので上手く動作が出来ないのだ。

骨盤を前傾させながらの動作では当たり前だがなめらかに動くことは無理である。

そればかりか、たった90分の稽古会の間、
立ちながら稽古をするだけで腰が張ってしまうのだ。

自分でも情けないくらいに腰が張ってしまい
その都度、骨盤を真っ直ぐにした状態に戻すように気をつけるようにしている。

『韓氏意拳』の動作を教わってからは、
とにかく身体が楽に動き、違和感が出ないように身体と常に体話(対話)しながら行っている。

能楽師の安田 登さんの本に素晴らしいことが書いてあります。

・骨盤の前傾は、私たちの身体で一番パワフルな筋肉である大腰筋が伸ばされ、
 ほとんど使われなくなります。

・骨盤の前傾はポッコリおなかもつくります。
 骨盤には、内臓を収める容器としての役割があります。
 その骨盤が前傾していると、収まるはずの内蔵が前に落ち、
 そのためにポッコリおなかになるのです。

・骨盤が水平ということは、骨盤周辺の筋肉バランスがとれており、
 背骨も美しいカーブを描いているはずです。
 反対に骨盤を前傾させると、身体の後ろ側(背中側)の筋肉が緊張状態になり、
 腰痛や首の痛みが現れてくるでしょう。

≪日本人の身体能力を高める 『和の所作』 安田 登 著 マキノ出版≫


最近出ているランニング系の本にも骨盤の前傾をすすめているものが随分多いが
私は骨盤を前傾させるのではく、水平(真っ直ぐ)にして歩いたり走ったりする方が楽で気持ちが良い。

歩き方の本だけでも山ほどあるがだいたい同じことを云わんとしているのが多い。
その中で最も多いのが踵(かかと)から接地して拇指球でしっかり地面を押せと指導しているのが殆どだ。

だいたいの方が動作の結果ばかり見て、所謂、形にばかり捉われている人が多い。

自然に歩いた(動いた)結果、そういう動作をしていた。
そう考えて、身体全体の動きの連動性を観た方がよっぽどいい。

動作解析をするときに気をつけたいことは
部分的な動作解析をするのではなく全体の動作の流れを観て解析した方がよいと思う。

先程も書いたように骨盤を前傾させてしまうことで
足の指が上手く動くことが難しくなり本来の地面を捕まえる動作が出来ない。

その結果、自然に重心移動が出来ないために拇指球で地面を押さないと前方移動できないのである。

歩くという動作は見かけによらず複雑な動作である。
なぜなら倒れないようにコントロールすることの連続動作だからだ。

そのアンバランスな状態において拇指球で地面を押すことが可能なのは本来は無理な動作なはず。
それは、重心の位置が接地した足(支持足)よりも腰の位置が後ろ側にあるから拇指球で押さざるえないのだ。

これは、膝下を振り出して歩いているので
接地した足の上に腰が乗り込むまで時間差があるために
体重のおもさを生かした前方移動がスムーズに出来ないから起こってしまう。

もし、拇指球で押しながら歩いたり走ったりした方が
前方に進んでいると思っている人は単に上下動の走りをしているだけ。

地面をしっかり押している感覚の方が進んでいるように思ってしまうのは
脳は、この方が納得(理解)しやすからである。

身体側から観ていえることは
まず、ふくらはぎ部分の硬化が酷くなり、次に大腿四頭筋に負担がきてしまう。
その結果、腰が張りやすい状態になり腰痛になる方が殆どだ。

みなさんにひとつお聞きしたいことがある。

赤ちゃんがハイハイからつかまり立ちをして
いよいよ歩く段階になったときに足を振り出して踵(かかと)から接地しているだろうか?

赤ちゃんの時は、頭の重さを利用して身体全体で前に進もうとしている。
足はその時、こけないために反射的に出ているのであり振り出している訳ではないのだ。

今まで、踵(かかと)から接地している赤ちゃんを私は観たことがない。

また、足の指をこれまた上手に使いこなして
きちんと地面をキャッチして見事な重心移動をしている。

もちろん、成人にもなると同じ歩き方をする訳ではない。

きちんと腰から前方移動を始めて同じように歩けば良いだけだ。
体幹部からの移動が先で、末端部が後から動くのが自然な動作なのに
意図的に、足から振り出して歩くことは不自然な動作になる。

上手く出来ない方がいらしゃったら後歩きをしてみればいい。

まさか、後歩きをする時にまで足を後方に振り出して歩く人はいないだろう。
頭や身体の重さが後方に移動して、こけそうになるので自然に足が腰の下に接地してくれているはずだ。

後歩きをする時は自然ないい動作が出来る人でも
いざ、前方に歩き出すとまったく違う動作をしてしまう人が殆どである。

楽に立てる、そして楽に歩ける。

立っていても歩いていてもやればやるほど身体が柔らかくなる。
自然な動作をしていれば身体に変な負担をかけない分、ケガをする確立は減る。

”自然は無理と無駄がない”

心地よい自然体を求める動作を積み重ねていくことが
スポーツにおいても大切なことだと常々思っている次第である。
         感謝   スポーツケア整体研究所   松村 卓

第40回 内観力 〜からだの声を聞く〜 No.1 『立ち方から再検証してみる』



2011年1月30日に第39回の『内観力』を書いてから早1年以上が過ぎた。

この1年の間で私の身体の使い方もかなり変化してきた。
一番変わったところは”骨”の使い方が上手くなってきたので
余計な筋肉を使わない効率的な動きが出来るようになった。

いろんなトレーニングメソッドも次から次へと生まれてきたのだが
私の身体が上手く使えるようになる度にどんどん新しい感覚が芽生えてくるので
その都度、いいトレーニングが生まれるがすぐに古くなってしまう。

芯動骨整体(骨ストレッチ)が誕生してからもうすぐ5年目を迎えるに辺り
今まで取り組んできたことや気付いたことを私の備忘録として
この研究レポートに書いていきたいと思う。

今後、トレーニングの本を出版できる機会があれば
ここに書いてある内容を元にお伝えしたいと思っている。


私の指導を受けて戴く方々全員に言っていることがある。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

”私は私が気付いたことをみなさんにお伝え致しますが
    その善し悪しは、自分自身の身体に聞いてみて下さい
         なぜならば本当の先生はみなさん自身の身体なんです” 
  
『答は身体が知っている!』

頭(脳)はウソがつけますが身体はウソがつけません。
身体が出してくれている『違和感』や『心地良さ』を頼りにして感じ取ってください。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

この研究レポートを読んで戴いている方も
是非、自分自身の身体で体感してみて下さい。

きっと身体から何らかの答をもらえるはずです。



☆『立ち方から再検証してみる』☆


長年、陸上選手の指導をしていて
ほとんどの方に違和感を感じること多い。

それは、あまりにも緊張して立っているということ。
本人は、基本に忠実に”いい姿勢”で立っていると思っている。

基本姿勢=糸で吊られている感じで真っ直ぐに立つ
または、体幹部の筋肉を意識して立つ

確かに猫背や無理な前傾姿勢ではダメなことは誰でも分かります。
身体が一本の棒のような状態になり、いわゆる『軸』を形成したものを”いい姿勢”だといいます。

見た目はこの方がいいのかもしれませんが
身体側から観てみるとこの姿勢をするだけでかなり負担をかける事になります。

なぜならば正しく立とうとするために筋肉を緊張させているからです。

糸で吊られている感じで真っ直ぐに立った状態で前屈をしてみて下さい。
大抵の方が曲げにくいのと筋肉が無理に引っ張られて痛みを感じるはずです。

特に、腰や膝の周辺が突っ張って痛いと思います。
実は、首や肩、腕にも同じく影響が出てしまうのです。

この状態で歩いたり走ったりして良いことなどありません。

そればかりか見た目だけの”いい姿勢”にこだわりすぎると
逆に筋肉が硬直してしまい、まるで『軽石』のような状態になります。

この姿勢では最大の『力』の発生源である”身体の重さ”を殺してしまっているのです。

身体の重さである体重を上手く使うことで『力』を発生させることが出来るのに
筋肉に必要以上の緊張をさせることで逆に無駄な『力』を使うことになるのです。

”いい姿勢”を無理に作ろうと筋肉を過緊張させてしまうことで身体の重さが使えないばかりか
緊張させている筋肉を更に使わないと動けない状態になっていることにまるで気付いていない。

つまり、車に例えるならブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいるのと同じこと。

動力源=筋肉
と思っている人にはこれでいいのかもしれないが、、、

筋肉というものは緩んでいる(休んでいる)から動けるもので
過度の緊張を与えてしまうと次の動作が出来るわけがない。

それを無理やり動かそうとするのだから筋肉にかなりの負担を
かけてしまうことになり怪我に繋がってしまう恐れがあります。

今の主流の立ち方は、
”まっすぐな身体の軸”を作ることがいいとなっています。

そして、頭から足まで一直線(筋肉を意識して無理やり)になることで
身体から力が抜けなくなるので地面からの反力を受けやすくなると指導されています。

冷静になってよく考えて欲しいのですが
身体を硬直させて地面に接地して、本当に地面反力が受けやすくなるのでしょうか?

固い筋肉の状態では地面からの素晴らしい反力とケンカしてしまい
まるでガラスにヒビが入るかのごとく筋肉を傷めることになります。

しかし、この理論でも走れて結果を出してしまう人が1000人に1人でもいれば
この理論は正しいとなるのが現実です。


ここで、私が尊敬するお一人である故 野口三千三先生の言葉を紹介します。


『力を抜けば抜くほど力が出る』

次の瞬間、新しく働くことの出来る筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである。
今、休んでいる筋肉が多いほど、次の瞬間の可能性が豊かになる。

昔から日本人は、”骨身に任す”という言葉を使ってきました。

”骨を使って立つ”
イメージを持って立つことで筋肉を緩ませる(休ませる)ことが出来ます。

武術の世界では、”居着き”とは『死』を表します。

地面に対して長く居着いてしまうと次の動作が素早く出来ないので
その隙に相手にやられてしまうからです。

しかし、なかなか骨で立つ感覚は分かりづらいところがあります。
そこで、『誰でも速く走れる骨ストレッチ』で紹介しました”ダブルT”(P.122)の立ち方です。

両足の中指とくるぶしをTの形の線上に置くだけで
骨身に任せて自然と立つことが出来ます。

この時、左右の腕をそれぞれ後方に回してみるとスムーズに大きく回ります。
同じく、前屈をすると違和感なく自然に身体が曲がっていくのが分かります。

”ダブルT”の立ち方で一番みなさんに驚かれることは
この姿勢だと真横から肩口を押されても踏ん張ることなく耐えれることです。

これは自然に骨で立てているので筋肉が緩んでいる分
脱力している状態にあるので重さが発生するからです。

片腕1本でも2〜3キロあると言われてますから
まともに脱力できれば、それだけで凄い力を生み出すことが可能になるのです。

後、胸を無理に開いた姿勢をとろうとすると
背中の筋肉が緊張してしまうので次の動作に移る時に無理がかかります。

ですから無理に胸を開いて背中の筋肉でアーチを作ろうとせず
自然に背骨のアーチに任せておけばいいのです。

私の考え方ですが、、、

頭上から糸で吊られた感じで筋肉を使った立ち方よりも
骨で地面に立っている感じで骨を使った立ち方の方が明らかに動きやすいと思います。

立っている時から筋肉をフル稼働させている状態で走るということは
身体に対してどれだけの負担をかけているのかを今一度考えて欲しいものです。

如何なる時でも瞬時に動ける立ち方が理想なのです。

自然体で立つことにより『軸』が勝手に出来ていることを目指してください。
決して無理に作った立ち方では『軸』など出来ていないことを知ってください。


そして、これまた現在のトレーニングの主流になってしまっている体幹部トレーニングも
立ち方と同様、ずっと筋肉を緊張させていることに変わりありません。

この事も今後の研究レポートで書いていきたいと思います。

         感謝   スポーツケア整体研究所   松村 卓

第39回 内観力 『あの感覚を追い求めて、、、、』

2011年1月15日(土)、山形県の米沢市内のホテルで朝を迎えた。
この日、米沢は朝から大雪で駐車場に止めた車の雪降しが大変であった。

雪降ろしを終えて向かった先は、米沢第二中学校。
指導依頼をして戴いた、陸上部顧問の日下部 登先生とお会いした。

日下部先生は、私の現役時代のことをよく知っておられた。

聞けば、宮城教育大学出身で実業団時代の私の走りを直に見ていたとの事。
昔話に、花が咲き、会話が弾んでいた。

そんな中で、日下部先生に
なぜ、私に指導依頼をする気になったのかを尋ねたところ
私が書いていた、『研究レポート』の話になった。

"ゴールが自分に近づいてくる感覚"

"高速に身体が動いているのにも関わらず冷静な自分で居られる感覚"

"まるで、宙に浮いているかのような接地感がないキックの感覚"

"全力で走ったのにも関わらず息一つ上がらない身体の感覚"

『私も実際、ベスト記録を出した時は、
   松村先生が研究レポートに書かれていた "あの感覚"を体感していました。』



"あの感覚"の動作は、なぜ、あの時に出来たのかは分からないのですが
いつもの動作とは、あきらかに違うことだけは分かっています。

あの時の走りが、なぜ、いつも出来ないのだろうか?

どうしたら再現性を高めることが出来るのだろうか?

このことばかりを今も追い求めているのです、、、、 "

と、日下部先生は話てくれました。

日下部先生のお話を聞いて、私は非常に嬉しくなった。
私も、『あの感覚』を追い求めてきた一人であったので共感した。

なぜならば、『あの感覚』だけは、
不思議に今も身体に残っているからである。


アスリートであれば、誰もが経験する最高の動作が出来た時の感覚。

・100mの選手であれば、ゴールが自分に近づいてくるような感覚。

・ピッチャーであれば、キャッチャーのミットが自分に近づいてくるような感覚。

・サッカーの選手であれば、ゴールが自分に近づいてくるような感覚。

・ゴルフの選手であれば、カップやグリーンが自分に近づいてくるような感覚。

例を挙げればキリがないが、各スポーツ選手が体験されている素晴らしい動作が出来たときの感覚である。

この最高の動作を、どうすれば再現性を高めることが出来るのかを
追い求めて研究を続けてきた。

この方法論を求めるに対して、間違いのない絶対的な答はないと思う。

しかし、近づける方法はいくつかあるはずである。
そして、完璧ではないものの、いくつか分かってきたことがある。

これから書くことは、私が勝手に『あの感覚』の再現性を高めるために
仮説と検証を繰り返してきたものである。

ある種の、"独り言"として見ていただきたい。

1.重心の位置が一番いいところにあること。

2.体幹部から主動した力が末端部にスムーズに流れること。

3.お腹(腹筋部分)が非常に弛んでいること。

4.顔(特に首筋)は緊張させず、むしろ"笑顔"の方がいいこと。

5.膝を上げたり、腕を振ることよりも重心(体幹部)を限り無く前方にすること。

6.頭から釣られるような感覚よりも、地面に対しての足の感覚を大切にすること。

7.身体の前側の筋肉をあまり使わずに、後ろ側の筋肉を使えた方がいいこと。

8.『7』の動作レベルを上げるために、目の使い方のコツを覚えること。

9.筋肉で動作することばかりに気を取られると、身体本来の重さ(体重)が使えなくなること。

10.『9』の動作レベルを上げるために、骨を動かす意識を高めること。

11.骨組みを動かしきれるようになる前に、筋肉だけをアップさせようとしないこと。



12.全力で動作をする時は、意図的な負荷をかけながら行うことで
   負荷を外した時の落差(楽さ)で、少し余裕の気持ちが持てるようになること。



以上のことを可能にするためのトレーニングを研究してきた。

そして、このトレーニングを遂行していくために必要なキーワードがある。
それは、『矛盾』の世界で動作を行っていくということ。

例えば、踏ん張らないと力を出せないと思うのが常識的な考え方であるが
実際は、踏ん張ると逆に力を上手く引き出せなくなる。

筋肉を鍛えなければ強い選手になれないと思うのが常識的な考え方であるが
実際は、骨を有効的に使えないと筋肉の力も最大限に発揮するとが出来ない。

体幹部トレーニングの内容をよく観ていると末端部を主に使わないと体幹部に負荷がかけれないものが多いが
本当は、体幹部そのものを鍛えるためには末端部を逆に制御しなければ体幹部を効果的に鍛えることが出来ない。

これらの事はすべて古武術を実践して、
私自身の身体で再現性の高い動作(技)が出来るようになったことで確信になった。

大事なことは、身体全体での動作を行い『連動性』を高めることである。
筋トレや補強トレのように、ある一部分だけを取り上げて鍛えてしまっては
身体からしたら、傍迷惑にしかすぎない。

まして、体幹部を固めてしまっては、
骨を絡めた筋肉との連動性が発揮できなくなる。
これは、尾びれを切られて泳げなくなる魚のようである。

戦後、西洋文化が入ってきてからは、
いつの間にか、筋肉信仰が増えてしまったが
私は、このことで日本人がある意味『骨抜き』にされてしまったと考えている。

身体は声を出せないが、違和感を通じて私たちに教えてくれている。
そして、何よりも身体は嘘がつけないのである。


実動作では、絶対しないようなポーズをとり、
理屈、理論で説得されて行うような無理なトレーニングをすると
当たり前のごとく、身体は嫌がり悲鳴をあげる。

しかし、出来ないこと=(イコール)筋力がないからだと言われると
この弱点を克服すると強くなれると思い込み、真面目な人ほど熱を入れて行ってしまう。



鏡に映る、自分の姿を見て、
筋肉が付いてくるとトレーニングの効果が出てきたと喜びます。
しかし、身体の方は、まるで縄張り争いのように筋肉同士が喧嘩を始めるのです。

小さい筋肉には、小さい筋肉の役割があるのです。
大きな筋肉には、大きな筋肉の役割があるのです。
そして、みんながそれぞれの役割を果たすからこそ、いい動作を作り上げてくれるのです。

人間の身体は、骨もあります。
もちろん筋肉もあります。そして臓器もありますし、水分だって沢山あるのです。
身体は全部で身体全体なのです。

身体の本当の声を聞かなければ怪我をしてしまいます。

身体が教えてくれていた違和感に気が付かないで、
無理をしてしまい、しなくてもいい怪我をしてしまった経験をされた方に言いたい、
もし、あなたに必要なトレーニングをして最高の身体になれたら、どんな記録を出せたでしょうか?

そして、指導者の方に言いたい、
過去に強かった選手達が、なぜ、怪我をして成績が悪くなったり、引退しなくてはならなくなったのか?
どんなトレーニングをしてしまったのかを再度確認していただきたい。

"怪我をしなければ一人前になれない"

誰が、こんな馬鹿げたことを言ったのだろうか?
ただ単に、身体の声を聞かないで無理をし続けてきたツケが怪我になるのではないのか?

もうそろそろ、身体が常に求めている『心地良さ』を基準にして
自分の身体に対する意識の仕方を変えていってもらいたい。


最後に、『あの感覚』を体験した方にお願いしたい、
あの時の動作を、"まぐれ" だと思わずに、改めて堂々と求めていただきたい。

そして、一人でも多くの方が、
あの素晴らしい動作が常に出来るような指導をしていただきたい。

私も、まだまだ完璧ではありませんが
これからも追い求めていきたいと思っております。

同じ世界を共有できる方との出会いを
これからも楽しみに日々精進していきます。


この度は、勝手な独り言にお付き合いして頂きましたことに
心から感謝を申し上げます。


スポーツケア整体研究所   松村 卓

第38回 内観力 『人間の身体の不思議さを体感する!』



骨整体の手首編・足首編が誕生してから身体をほぐすことがより楽しくなった。

また、お客様に指導させて戴くと瞬時に身体がほぐれてしまう。
そればかりか、気持ちまでほぐれて大変喜ばれるようになった。

動かなくなってしまったと思っていた身体が
軽く、そして楽に動きはじめるので自然と笑顔になるのだ。
その笑顔を観れることが生き甲斐になっていた。

ある日、姪っ子の萌ちゃんのケアをしていた時に、フッ〜と閃いたことがあった。


それまでのケアは、筋肉の疲労を取る為に足や手の指でかなり強く押していたのだが
母や妹にお願いして萌ちゃんの足首や手首の骨を押さえてもらいながらケアをすると
不思議なのだが筋肉の張りが弛んでしまったのだ。

この頃、人様の身体を観た瞬間に弱点部分を見抜けるようになっていたのだが
ケアをする時も、補助してもらう人の押さえる左右の手の指示や押さえてもらう部分を指示して
身体を触ると、それだけで身体の緊張がほぐれ、筋肉や関節がほぐれてしまうから不思議である。

また、ケアを受ける方自身も骨整体のポーズをとるながら行うことにより
W効果で、よりレベルの高いケアになるのだ。

この手法でケアを行うと、筋肉のかなり深い部分を刺激しても
今までのような激痛の痛みではなく、少し我慢して戴ければ耐えれる痛みになる。
深部のコリをほぐせるということは疲労回復やケガの予防にも繋がる。

面白いのが、十人十色で、それぞれ押さえる部分や押さえ方が変わるのだ。

"なぜ、分かるのですか?"

と、よく聞かれるのだが身体を観た瞬間に、
私の目が押さえる部分に行ってしまい直感的に押さえ方が出てきてしまう。

たぶん、今まで取り組んできたことが実を結び、
身体から発している"何か"を感じ取っているのと
身体のパワールートが観えることで修正箇所の判断が出来るのだと思う。

これは、まだまだ向上していかなければいけないことであり
完璧に出来ているとは全く思っていないのが現状である。


下手なストレッチでのペアストレッチを行うよりは
骨整体のパートナー編を作って、実践していただいた方が皆様に喜んで戴けると思い
DVD骨整体・パートナー編を作成した。

DVDの内容は、あくまで基本的なことをお伝えしているのだが
二人より、三人、三人よりは四人と、人数が多い方が効果があがることは間違いないのだが
その方にとって必要な押さえる部分や押さえ方は一夜漬けで教えることは出来ない。


2010年12月現在、講習会などで指導させていただいている内容で
身体のある部分を使うだけで瞬時に身体がほぐれてしまう方法をお伝えしているのだが

あまりの効果の出方に、皆さん面食らったハト状態になられる。

この手法と比較するために、常識とされている似たような手法で
身体をほぐそうとすると不思議なのだが思惑とは逆に身体が重くなってしまい
ほぐすつもりが身体の動きが悪くなってしまうのだ。

この手法を知った人から、ウォーミングアップの仕方やマッサージの仕方が変わる。

また、トレーニングでの休憩中でも、
この手法を行うと疲労回復の早さが全然違ってしまう。

人間の身体は、本当に不思議なことばかりで
今まで常識とされてきたことが、いかに馬鹿げていたかを思い知らされてしまう。

先日も、ある方に教えて頂いたのだが
英語で、『ワンダフル』という単語があるが、ワンダーは不思議、フルは一杯。

不思議なことが一杯で、"ワンダフル"。

人間の身体は、"驚異の小宇宙"と呼ばれている。

科学的なことを馬鹿にする訳ではないが
不思議なことが一杯を大前提に物事を考える余裕が必要ではないかと思う。

科学的に分からないことは認められないという思考はどうかと思うのである。

"結果こそ現実である!"

私の尊敬する一人である、故森 信三先生のお言葉であるが
目の前でおこっていることこそが現実であり、認めざるえない真実なのである。

普段、呼吸を自然にしている私達だが
1分間に何回しているかを意識し始めた途端に呼吸が乱れる。

血圧にしても、脈拍にしても計測をしようとした瞬間に乱れてしまうものだ。
計測結果というものは、ひとつの結果であり全てではない。

"木をみて森を見ない"という諺がある。

身体の一部分だけをピックアップして研究しても
決して、身体全体が今よりも良くなることはないと思う。



人間の身体の不思議な力を、もっと素直な気持ちで感じ続けていたいと思う。



長い間、研究レポートを読んで戴きまして誠にありがとうございました。
これから更に仮説と検証を繰り返しながら、更なる研究をしていきたいと思っております。
また、皆様にお伝えできる事が出来れば書いてみたいと思っております。

次回の研究レポートの日程は未定です。
何卒よろしくお願い申し上げます。


      感謝

スポーツケア整体研究所  代表 松村 卓


第37回 内観力 『くるぶしにも秘密があったとは!』



骨整体・手首編が出来てから仕事の現場でもお客様の身体が劇的に良くなってい
った。


特に、中高年の方々が骨整体を行うと、身体が軽く楽に動きはじめるので
歳だからと諦めていたのが嘘であった事実を知り、本当に素敵な笑顔に変わるの
が堪らなく嬉しかった。

そんなある日、腰が痛いという中年の女性の方を指導したときであった。

その方の身体を観た瞬間に、ふくらはぎ部分がやたら気になった。
椅子に座っていただき、ふくらはぎを触ってみるとガチガチに固まっていた。
パワールートから観ると、ふくらはぎ部分が原因ではなくて猫背が原因であった


生活習慣病で、家事における炊事、洗濯、掃除などの作業はうつむき加減でする
ことになる。
前傾姿勢が長く続くと、頭の重さを支えようと首や肩や背中の筋肉に負担がかか
りだし

その緊張を和らげるために身体は自然に背中を丸くしてしまう。

そして、腕の位置が体側よりも前にきてしまうことを『巻肩』というが
この状態になると両腕の重さを首や肩の筋肉で支えようとするために身体に負担
がかかり
その負担から逃げたいために背中を丸めてしまうことになる。

この状態を改善しないでいると、人間が立ったり、座ったり、歩いたりする時に
一番必要である、おしりの筋肉である大臀筋に力が入りにくくなるため動作が鈍
くなってしまうのだ。

そればかりではない、おしりの筋肉が上手く使えないということは退化すること
を意味する。

おしりの筋肉を使えないようになった分、身体のどこがカバーするかというと
太腿の前の筋肉である大腿四頭筋とふくらはぎ部分なのだ。

椅子から立つときに、声を出しながら、"よっこらしょ〜"と前傾しながら立つ
ときに

身体は物を言わぬが、股関節や膝関節、ふくらはぎが懸命に動いてくれているの
だ。

しかし、この動作を続けることで確実に、股関節痛や膝関節痛を起こす原因にな
ってしまう。

そして、ふくらはぎ部分が硬くなるということは第二の心臓といわれているふく
らはぎの血流を悪くすることになる。
また、足首の関節に負担をかけることにもなるので足首特有のバネがなくなって
しまい動くことが難しくなってしまうのだ。

さらにこの悪循環を野放しにすると、腿の内側である内転筋が衰えて
いわゆる"がに股"になり、ますます膝の外側に負担がかかり骨に負担がかかり
痛みが発生してしまう。

私の経験からも、足首の固い人は腰痛になりやすい。

原因を改善するために姿勢改善を行うのは骨整体・手首編で十分なのだが
足首周りや、下半身をよりほぐすために何か良い方法がないかと考えていた。

まず、足首周りの柔軟性を改善させるためにふくらはぎ部分の硬化を取った後、
足首を回して欲しいとお願いするのだが自力ではなかなか上手く回すことが出来
ない状態であったので
何気なく、くるぶしを押さえながら私が回してあげるとウソのようにスムーズに
回りはじめたのだ。

外回し、内回しと動かしてみるのだが回せば回すほど楽に軽く回る。
そして、フッ〜とくるぶしを押さえている自分の指を観たところ
なんと、親指と小指で押さえていたのであった。

おそらく自然に『癖』で親指と小指で押さえていたのであろう。

両足首を回してから、お客様に歩いてみて欲しいとお願いしたところ
あまりの足の軽さに驚いてしまったようで何と笑顔で走りはじめてしまったでは
ないか。


"私の身体じゃないみたい、、、身体がこんなに軽く楽に動くなんて!!"

全身の筋肉バランスが整ったら、痛みのない元のいい状態に戻られて
私もお客様と一緒に大喜びをした。

この事があり、仕事が終わった後に早速、くるぶしを親指と小指で押さえながら
いろんな動作を次から次へと試してみるのだが体験している私自身が驚くほど劇
的に身体の柔軟性が向上する。
その柔軟性の向上の仕方が半端ではないからタマゲテしまった。

これが、骨整体・足首編の誕生であった。


先日も町内のファミリーバトミントンに家族で参加をしてきたのだが
寒い季節、ケガしないようにと念入りにアキレス腱伸ばしを大会本部の方が指導
しておられたが
誰一人として疑うことなくアキレス腱伸ばしを行っていた。

唯一、私の家族だけは、アキレス腱を伸ばすフリをしていた。

アキレス腱だけを伸ばすのではなくて、身体全体のバランスを考えたほぐし方を
した結果
アキレス腱もほぐれた形になっていることが望ましい。

アキレス腱伸ばしをした後、歩いてみたら分かることだが身体が重くて動きにく
くなっている。
また、アキレス腱伸ばしをした後に、腕を回してみると分かるのだが腕が重くて
回りにくくなっている。

ここで大切なことは、アキレス腱を伸ばしたら腕を回す動作まで影響が出ている
という事実である。
足の部分だけを半ば無理やり伸ばすことで、なぜ、直接関与していない腕の動き
が悪くなるのか?

答は、筋肉は全身に繋がっているからである。

足首だけ、手首だけ、その部分だけをいくら念入りに伸ばしたところで
身体全体のバランスから観れば逆効果になっているのだ。

一般の方に分かりやすく説明するならば布団などに引くシーツを思い出して欲し
い。

二人で、シーツの両端を持ち、シーツを綺麗に張った状態をスタートとして
片方の人の例えば右側だけ引っ張るとシーツの形はどうなるだろうか
明らかに歪な形になり、相手側の右手にも負担がかかるのがお分かりになると思
う。

アキレス腱伸ばしをして、身体のバランスが崩れてしまうのもこの状態と同じな
のである。

以前、ウエイトトレーニングで部分部分を鍛えることに意味はないと書いたこと
と同じで
身体全体を考えた鍛え方やほぐし方をしなければ、かえってバランスを崩すこと
になりケガの原因になるのだ。


人間の身体は筋肉だけがある訳ではない。

そろそろ筋肉信仰をやめて、人間の身体の持つ本当の力に目覚めて欲しいもので
ある。


次回の内観力は、『人間の身体の不思議さを体感する!』です。12月20日の
予定です。

第36回 内観力 『親指と小指は日本人の文化』




右手の親指と小指を繋げて、、左手の手首の骨(内果・外果)を押さえる方法が見つかってから
自分自身の身体を使って、いろんな動作をしてみるのだが面白いくらいに身体が楽に動けるようになる。
結果的には素晴らしい効果が出るのだが、なぜ、この方法で出るのかが分からないのである。

いろんな本を読んでもみたし、ネットでも探してみるのだが参考になるものがない。

数学のように、式があり、そこから答を求めるのであればいいのだが
その逆で、答が分かっているのだが、その式が何なのかが分からない。

悪戦苦闘する中で、ある日、子供が上手く、『箸』をもてない動作を観ていた。

親指を使って、握り箸にすると『箸』は上手く動かない。

親指を使わないで動かすと『箸』は上手く動く。

この動作を観てから、親指を握りながら歩いてみたところブレーキが掛かったように前に進みにくくなった。
逆に、小指を握りながら歩いてみたところエンジンが掛かったように前に進みやすくなった。

また、小指を握り締めた瞬間に"臍下丹田"に力が入るのが体感できた。

もう一度、『箸』を持って親指に力を入れてみると指全体に力が入ってしまい箸を上手く動かすことが出来なくなる。
今度は、『箸』を持って親指の力を抜いてみると残りの指がスムーズに動いてくれるのだ。

次に頭に浮かんできたのは、小学校時代に習っていた『習字』であった。

昔は、鉛筆もシャーペンもなく、書くものといえば『筆』しかなかった。
『筆』を握る時も同じように、親指は添えておくだけであまり使わない。

達人の書道家は、"手先で書くのではなく、腹で書くのだ!"と云っていたことを思い出した。

おそらく、小指を中心に上手く動かすことにより、"臍下丹田"が発動することにより
『気』の入った字が書けるのではないかと思う。

大学時代に一時、仁侠映画に凝ったときがあった。

ピストルのない時代は、『ドス』で人を殺めていた。
ヤクザから足を洗うときには、小指を詰めさせられていたが
小指がなくなると力が入りにくくなり、結果として『ドス』を握り締めても人を殺めるほどの力が出ないのである。

その後、佐久間先生のお宅へお伺いしたときに
この話をしたところ、面白い話を聞くことが出来た。

昔の『笛』は、縦笛ではなくて横笛だったそうだ。
横笛もやはり親指は添えているだけで使わないようになっている。

日本人が手先が器用なのは、親指を使わないようにしているからではないかという話になった。

よくよく考えてみたら、外国の方は、フォークとナイフで食事をされる。
そのときに、メインで使う指は、親指になっている。

私は、恥ずかしながらフォークとナイフを使う料理を食べるのが少し苦手である。
なぜならば、肩が凝って疲れてしまうからだ。

この時までは、その理由が分からないでいたのだが身体の感覚は正直に反応していたのだ。

それから出てきたのが『ピアノ』の演奏している方の動作であった。
リズムに乗って、激しく頭を前後に動かしたり、肘から下の部分を上部に持ち上げたりした動作は、
もしかしたら、親指を使ったことによるストレスを逃がすための動作ではないかという話になった。

後日、ピアノやギターの演奏をしている方にお話を聞く機会があった。

その方に、聞いてみたところ、最後まで上手く演奏が出来ることの方が少ないという。
理由は、運指が必ず疲労のため動きにくくなってしまうからだという。

親指を使いすぎるために疲労がたまることで他の指に影響が出るばかりではなく
筋肉を過緊張させるために、前腕部や肩周りの部分にも影響が出てくるようだ。

足の指にしても、昔は、わらじや雪駄や下駄を履いていた。
親指と人差し指で紐を鼻緒を挟むことで親指の力を抑えていたと思う。
そして、中指を中心にすることにより身体はバランスを取りやすくなる。
(この事は、野口整体を受けてみて確信していた。)

スポーツ選手であれば、一度、試して頂きたいのだが
足の親指と手の親指を曲げて力を入れて歩いてみると上手く前に進めないのが体感できるはずである。
その後、前屈をしてみると柔軟性が硬くなっていることが分かると思う。
また、歩いただけなのに腕を回してみるとスムーズに回らなくなっていることも分かるはずだ。

今度は、手の指は小指を曲げて力を入れ、足の指は中指を中心にして
どちらかというと小指側に少し意識を持って歩いてみた頂きたい。

親指の時に比べて、楽にスムーズに歩けることを体感できると思う。
同じように、前屈をしてみると柔軟性が向上して柔らかくなっているはずだ。
腕を回してみても親指のときのような違和感がなく、スムーズに腕を回すことができていると思う。

スポーツ選手が、この動作を覚えるだけで身体の動かし方が根本から変わるはずだ。


我々、日本人は昔から、『箸』、『筆』、『笛』を使いながら自然と親指を使わないようにして
身体を負担がかからないようにしていたのだと思う。

また、畑仕事で使う『鍬』、戦で使う『刀や槍』、生活に必要であった薪割りや井戸の水汲みなど
どの動作においてでも親指を使うと、"道具"を上手く使いこなすことが出来なかったし
長く作業を続けることが難しかったのである。
(一部、親指の背中部分を活用する方法もありますがここでは割愛します。)


以前、プロ野球のパーリーグの方で、ある球団のスカウトのMさんとお話する機会があった。

150キロの球を打ち返すには、親指でしっかりと地面を押さえて軸を作らないと打ち返すことが出来ないと仰った。
しかし、私はすぐさま、親指に力を入れてしまうと、ふくらはぎや大腿四頭筋に力が入ってしまうので腰を回すことが出来なくなり
その状態でも無理やり動かそうとするから、膝や腰を痛めてしまう選手が多いことを指摘した。

親指ではなく、中指を中心とした動作の方が上手く身体を使いこなし
結果的に、パワーもスピードも出て身体にも負担がないからと実技指導を交えながらお伝えした。

また、腕相撲の実技をしながら力の発生と伝達経路(パワールート)を
体感して戴いたがあまりの違いに大変驚かれていた。

その後、ストレッチと骨整体の違いも体感して戴いが
面食らったハトのように首を傾げていた。

世界に通用したバッターは、王 貞治選手とイチロー選手の二人だが
共通していることは、"一本足打法"である。
踏ん張っているのか流れるように打っているのか観てみれば一目瞭然。

球を打つのはバットの仕事であって、
バットに力を伝えることが身体の役目なのである。

パワールートを生み出すことも失うことも指の使い方ひとつで現実が変わる。



次回の内観力は、『くるぶしにも秘密があったとは!』です。12月10日の予定です。

第35回 内観力 『骨整体の誕生』



NHKの『プロフェッショナル』という番組を見ていたときの事であった。

ある、おもちゃ玩具メーカーの社長さんが機動戦士ガンダムを超えるアニメを作りたいと
デザイナーの方に、いろんなモビルスーツを書かせていたシーンを見たときにフッ〜と思ったことがあった。

"なんで、アニメのモビルスーツは各関節部分をあんなに派手に書くのだろうか?"

そう思いながら、何気なく右手首の関節を左手の親指と人差し指で押さえながら、
横向きにブラブラと振っていたのだが、右肩が自然に下がり始めて、楽にほぐれていくのが体感できた。

すぐに右腕を回してみると軽くて大きく回るのでビックリしてしまった。

すかさず、反対の左腕を回してみると重くて回りにくかった。
今度は、左手首の関節を右手の親指と人差し指で押さえながらブラブラと横向きに振ってみると
やはり、左肩が自然に下がり始めて、楽にほぐれていった。
左腕を回してみると、右腕と同じように軽く、しかも大きく回る。

その瞬間に、ある言葉が頭の中を過ぎった。

"節々が痛くなる"

なるほど、節々か〜と思いながら今度は、肘の関節を押さえながら前後に腕を動かしてみると
先程の手首を押さえて動かすよりも、もっと肩関節周りがほぐれていくのが瞬時に体感できた。

腕を回してみると、手首の関節を押さえた時よりも更に軽くて大きく回るのに驚いてしまった。

これに味を占めてしまい、今度は身体中の各関節を押さえながら動かしてみると
今までに体感したことがないくらいに身体がほぐれてしまったのだ。

理屈は分からないのだが、なぜか身体が瞬時にほぐれてしまい
かつ、動作を行うのがスムーズに楽に出来てしまう。

興奮が醒め止まぬ中、テレビを見ながら頭の中は、この事で一杯であった。

翌日、早速、家内や子供、母や兄弟に体験してもらったのだが
全員、同じ結果が出て、あまりのほぐれ方にビックリしていた。

スポーツケア整体研究所に来るお客様にも、
体験して戴いたが、やはり結果は同じであった。

現実に同じ結果は間違いなく出るのだが理屈が分からない。
この式の答を知りたくて、佐久間 紀郎先生のお宅に行った。

"この手首の骨は、一体、なんの為にあるのですか?"

突然、こんな質問をしたので逆に理由を聞かれた。
そこで、今までの経緯をお話した後、実技を体験して頂いたが
佐久間先生も、その効果に大変驚かれた。

"今までに見たことも聞いたこともない新しい方法だな!"

佐久間先生ほどの方でも分からないと云う。
今度までに、いろんな文献や資料を探してみると仰っていただいた。

理屈や理論的なことは、そのうちに分かってくるだろうと思い、
私は、仕事先で、このメソッドを困っている方々に指導することに専念した。

現場で直接指導をする私の目の前で、
体験される方の身体がみるみる変わっていく姿を見れば見るほど確信に変わっていった。



それ以上に、痛みやコリで悩んでいた方のお顔が笑顔になることがとても嬉しかった。



実践した結果、100%といっても過言ではないくらいに結果が出たので
このメソッドを世の中に広めていこうと決心した。

どのような形で広めていこうと考えていた時に、
ある分野でお世話になっていた方からDVDを作成する会社を紹介していただいた。
詳しいお話を聞いてみると、価格的な問題もクリア出来そうだったので依頼することにした。

このメソッドの名前を決めることになった。

手首の骨を押さえながら動かすことで身体が自然とほぐれていき
身体のバランスが整うことから、『骨整体』と名付けた。


しかし、DVDの撮影の一週間前に考えられない出来事が起こった。


撮影の前に、佐久間先生のお宅にお伺いしてDVDの内容を確認していただいた。
なるべく難しい種目をさけ、簡単な動作でかつ効果が実感できる種目に絞っていた。

そこへ、佐久間先生の奥様から質問を受けた。

"手首の骨(内果・外果)を押さえる親指と人差し指の押さえる力はどれ位にすればよいのか?"

考えてもみなかった質問に戸惑ってしまった。
奥様が言うには、強く押さえればいいのか、それとも弱く押さえればいいのかも
指導した方がいいのではないかと提案してくれた。

指の使い方ひとつで間違った方法になることは避けたかった。

おもむろに腰を上げた佐久間先生が、本を何冊か持って戻ってこられた。
その本は、仏像の写真が載っているものであった。

仏像の指の形を観ながら、ヒントになるものはないかとページをめくりはじめた。

しばらく本を観ていた佐久間先生から、
『あんたも見てみるかい〜』と渡された。

1冊目の本を見ながら、仏像にも様々な指の形をしている事に新鮮さを感じながら
一体、何の意味があって、このような形になっているのかを知りたかった。

そして、2冊目の本を見ていたときにフッ〜と目に止まったのが
奈良県にある中宮寺の"弥勒菩薩"であった。

手にした本に載っていた"弥勒菩薩"の写真を見た私は、
あごに指をあてている写真の角度から、なぜ、"弥勒菩薩"は親指と小指をくっ付けているのだろうかと思った。

《後日、この指は実際には付いていないことが判明する。》

その直後、尿を催し便所をお借りして用を済ませた後に廊下で何気なく親指と小指をくっ付けて、
骨整体をしてみたら今までのほぐれ方とは尋常ではない位のスピードで身体がほぐれていくのに驚いてしまった。

『なんじゃ〜これは〜!』と廊下で叫び声を上げた。

すぐさま佐久間先生に、"弥勒菩薩"の写真を見ていただいた後、
親指と小指をくっ付けた状態で骨整体を行っていただくと
やはり、同じ効果を体験していただくことが出来た。

奥様や長女のみのりさんにも協力してもらい
親指と小指で押さえてもらいながら骨整体をしていただいたが同じ効果が出た。

早速、他の指でも効果測定をしてみようと実験してみたのだが
親指と小指に勝る結果は出なかったのである。

すると、佐久間先生から、
『もしかしたら、押さえる側の指も親指と小指の方がいいのではないか?』と仰られた。

好奇心一杯の気持ちで試してみると明らかに違いが分かる結果が得られた。

押さえる側の指も他の指で効果測定をしてみるのだが
やはり、親指と小指に勝る結果は出なかった。

奥様が親指と小指で押さえながら、
『この押さえ方だと力を入れようがないよね〜』と仰られた。

改めて、意識して行ってみると確かに力を入れようとしても入らない。
しかも、このポーズをしただけで身体全体が弛み始めるから不思議である。

DVDの内容に入れる予定の骨整体の種目を
全部、親指と小指で行ってみたが次元の違う身体のほぐれ方に感動してしまった。


平成19年4月22日 こうして"骨整体"は誕生したのである。



この研究レポートを書く数日前に、月刊『秘伝』のS氏とお会いした時に
昔の仏像は、なぜ、肘から下の部分が切り落とされているものが多いかという話題で
密教がらみで『印』の形の意味を知られることを恐れたものが切り落としたという興味深い話をお聞きした。
また、古武術の甲野 善紀先生の術理の中でも指の使い方ひとつで身体の動かし方が変わることを仰っている。
我々が、普段、何気なく使っている指であるが、巧みに身体を動かす為に凄い重要なポイントになっていることは間違いないようだ。
2010年の現段階では、手の指や足の指が体幹部にかなりの影響を及ぼしていることが分かってきている。
このことは、これからの研究レポートに必ず書いていきたい。



次回の内観力は、『親指と小指は日本人の文化』です。11月30日の予定です。

第34回 内観力 『甲野 善紀先生の足音』



野口体操やゆる体操を知ってから身体と体話(対話)するようになった。

昔の私は、自分の身体を自分の意識下において動かせていると思っていた。
しかし、いろんな勉強をしていくうちに分かってきたことは、自分の身体なのに自分で動かしきれていない事に気付いた。
まるで、他人に自分の身体を動かされている位のことを平気な顔をしてやってきたのである。

骨盤を動かしてみましょう! 肩甲骨を動かしてみましょう! 背骨を動かしてみましょう!

実際にやってみると分かることだが最初は全然動かそうにも動かない。
いや、正確に言うと、動かし方が分からないのである。

そんな部分を今まで意識して動かしていないのだから、いきなり動かしてみろと言われても動くはずがない。

そこで様々なアプローチの方法で動かしたい部分を一生懸命に意識しながら動かす練習をする。
意識する力を持てば持つほど、段々的確に動かしたい部分を動かせるようになってくる。


つまり、自分の身体の内側を意識することによって動作をスムーズに行えるようになるのだが
適切な言い方かどうかは別として、動かしたい部分に対して、すぐに動かせるために神経を繋ぎ合わせるような作業を
繰り返し、繰り返し行うことによって神経回路を太くするようなイメージである。

この身体の内側を意識する方法のいいヒントを教えて頂いたのが佐久間 紀郎先生だ。


佐久間先生は、"仏像の写真を観てみなさい"と仰られた。

私が最初の頃に興味を持ったのが『仁王像』であった。
なぜ、仁王像に興味を持ったかというと、止まっている仁王像なのに瞬時に動き出しそうに観えるからだ。
たくましい身体や怖い顔をされているから威圧感を感じるのではなく、
実際に動き出して、こちらに向かってくる気配を感じてしまうのが不思議であった。

西洋の彫刻でも、同じように筋肉が発達してたくましい身体をしている像はいくつもあるが
仁王像のように動き出す気配は感じられず、ただそこにいる(ある)だけの像にしか観えないのだ。

止まっている仁王像がなぜ、今すぐに動き出すように観えるのかだろうか?

この問いを自分自身にしたことから、身体の内側をを意識するようになり
それが成長してきたことにより身体の内側の動きを観るクセがついてきたのであった。


身体も少々柔らかくなり、以前よりは各関節の可動域も向上していたので
仁王像の写真を見詰めながら、肩甲骨や骨盤を意識的に動かしながらポーズをとる練習をしていた。
しかし、この頃の私は、まだまだポーズの形だけを真似しているにすぎなかった。

この当時、佐久間先生とお話した内容で印象に残っているのは、仏像を彫る仏師のことであった。

昔の人が、身体の使い方が上手であったことは云うまでもないことであるが
おそらく仏師の方々も内観力(ミラーニューロン)がかなりのレベルで発達していたに違いないと思う。
でなければ、あれだけの素晴らしい躍動感溢れる動作を作り上げている動きを見抜ける訳がない。

仏師の方自身が、この動作(ポーズ)における骨の動かし方はどうなっているのか
また、この動作(ポーズ)における筋肉の動かし方はどうなっているのかが理解できていないと
あれだけのバランスの取れた仁王像が作れるはずがない。

そして、必ず、モデルになるような方がいたはずである。

想像の世界の話になってしまうが、凄い達人の動作をじっ〜と観ていたのだと思う。
目に焼き付けて、目を閉じても目の中に浮かび上がってくるくらい見詰めてから
ご自身でも動きながら躍動感を確認されていたのかもしれない。

それにしても、彫る人もモデルの人も素晴らしい身体感覚の持ち主であることには間違いはない。

海外の彫刻には観えないのだが、日本の彫刻には動きの導線が観えることが本当に素晴らしいのである。

これらの経験が積み重なって、身体の内側から相手の動作を見抜ける内観力が養われていったと思う。

このことがあってから自然と日本古来の武術や武道に興味を持ち始めた。
その中でも、当時、読売巨人軍の桑田 真澄投手が復活した話題で武術家の甲野 善紀先生の名前を知った。
古武術という言葉を初めて聞いたときは恥ずかしながら"忍者"のイメージしかなかったので
どんなことをしているのか想像もつかなった。

甲野先生の書籍を何冊か購入して読んでみたのだがハッキリ言って良く分からなかった。


捻らない、ためない、踏ん張らない、、、、? 謎だらけであった。
こんなことが本当に出来るのだろうかと疑問に思うようなこともあったが
この当時の私のレベルでは分からなくて当然であった。

そして、ある日のこと。

佐久間先生からTELがあり、甲野先生の稽古会に参加してみないかとお誘いがあった。

息子さんも一緒に行かれるとの事で、どこか怖いもの見たさもあり参加することに決めた。

稽古会の当日。

初参加のため、遠慮深く一番後方で正座をしながら甲野先生のお越しを静寂の中で待っていた。
ちょうど、佐久間先生の近くで座っていたのだが何の気配も感じることなく、まるで風が通りすぎたように
私達のとなりを足音も立てずに甲野先生は通り過ぎていかれたのである。

これには正直、魂消て(タマゲテ)しまった。

この現代に、こんな方がいらしゃるなんて夢にも思っていなかったが
甲野先生の動作は、次元を超えた身体の動かし方をされていた。
上には上がいるとは知ってはいたが、久しぶりに雲の上の人に出会った瞬間であった。


それから、甲野先生の稽古会が仙台で行われる時は
なるべく率先して参加させて戴きながら更なる身体操作法の向上を目指した。

そして、いろんなことを積み重ねてきた結果、
ついに、『骨整体』が誕生することになる。



次回の研究レポートは、『骨整体の誕生』です。11月20日の予定です。

第33回 内観力 『高岡 英夫さんのゆる体操を知る。』



野口体操を知ってから毎日の生活が楽しくなった。

普段の生活の中で行う動作も何気なく行うのと、
身体を意識しながら動かすのとでは身体の疲労度が違ってくるのだ。

例えば、"立つ"という単純な動作。

今までは、どちらかというと筋肉主体で立っていたのが
"骨を意識して立つ"という感覚で立っていると筋肉を使わないので楽に立って
られる。

まったく筋肉を使っていない訳ではないが負担のかけ方が変わるので常に弛んで
いられるのだ。

イメージ的にいうと『骸骨(がいこつ)』。

小学校の理科室にある骸骨の模型は、幼きころは少々苦手であったが
この頃から、骸骨の模型を観ることが楽しくなった。

よくよく考えてみたら、骨は身体の中心にある訳だから『軸』になる。
その『軸』を様々な呼び名で言われてきたが正直、ボヤッ〜として不確かなもの
であったが
野口体操を体験してからは、身体の中にある『骨』を意識するようになり
感覚的なものかもしれないが意識的に『骨』を動かせるようになれたことは大き
な進歩であった。

ひとつひとつの動作をただ単に動かすのではなく
『骨』を意識して、『骨』から動かすという動作を続けることにより
今までとは明らかに違う動作を出来るようになる。

『骨』を意識的に使えるようになるということは
筋肉をあまり使っていない状態だから瞬時に筋肉を使える。
楽にしている状態だからこそ必要なときに必要な動作がよりよく出来るのだ。

野口体操で一番好きな動作は『背骨』を動かすこと。

『背骨』を動かすというよりは、『背骨』に動作を任せるといった方がいいのか
もしれない。
単純に『背骨』を動かすといっても、実はいろんな動かし方がある。
私の場合、いろんな『動物』の動きを真似することから始めた。

真似をする動物になりきる!

真似をする動物の動作をじっ〜と見詰めて目に焼き付けた後、
その動物の動きを行ってみることで身体のいろんな部分を使えるようになってく
る。

特に、四足動物の動作は最高で、手足の動作を制御するので自然と体幹での動作
になる。

その動作を筋肉で行おうとするより『骨』を主体として使う動作にすると身体か
ら面白い反応が出てくるのだ。

筋肉で行うと身体がすぐに固くなり動作を長くすることが出来なくなるが
骨を意識して行うと身体が非常に柔らかくなり動作を楽に長く行うことが出来る


(このことが後日わかるミラーニューロンに繋がることになる。)

また、腹筋に力を入れて行うと動作がぎこちなくなり、すぐに疲労困憊になる。
その逆に、腹筋を緩めて行うと動作が滑らかになり、いつまでも続けることがで
きる。


人間が意識的に身体を動かしている状態と無意識的に動かされている状態がある
のだが

今まで、何気なく動いてきた動作そのもの中に『凄い動作』が隠されていること
がある。


この気づきに気づけるかどうかで身体操作のレベルが変わる。

私の勝手な解釈なのでお許し願いたいのだが
無意識レベルで行ってきた動作を認識し(気づき)、意識レベルを向上させて動
作の強化を行い、
今度は、その動作が意識しなくても出来るようになれば無意識レベルで自動的に
身体が行ってくれる。

(2010年の現段階では、この感覚を実体感することが出来ている。)


その後、高岡 英夫さんの『ゆる体操』を知った。

面白い体操で、筋肉をゆるめるで『キ・ゆる』、骨をゆるめるで『ホ・ゆる』、
臓器をゆるめるで『ゾ・ゆる』。
身体をゆらしながら、ほぐしていく際に身体の各部分を意識しながら行うことに
より効果を高めてくれるという。
実際に行ってみると非常に身体がほぐれてくれる。

私は、このゆる体操の臓器をゆるめる『ゾ・ゆる』が目から鱗であった。

今までは、筋肉や骨に関心を寄せていたこともあるが臓器のことは頭になかった

人間の身体の中に入っているもの全てをほぐすことが大切なことなんだと改めて
勉強になった。

確かに、西野流呼吸法を習っていたときも、やはり内蔵をほぐすことが練習メニ
ューに入っていた。
人間は忘れる動物とよく言われるが本当だと思った。

野口体操を習得していたお陰で、ゆる体操もを行うこともスムーズに出来た。
このことがきっかけで更に、自分の身体の内側を意識するようになった。
自分自身の身体を内側から意識することで必然的に動作レベルも飛躍的に向上し
てきた。

そして、身体の内側を意識する練習を積み重ねることによって分かったことがあ
った。


それは、身体は『空だ』ということである。

身体の中は、確かに骨や筋肉や内蔵があるのだが
皮膚1枚の中にあるものを全部まとめてしまった意識にしてしまうと
身体の中がまるで『空っぽ』のような感覚になってしまったのである。

指導者の方々がよく、"もっと身体全体を使わないといけない!"と云われてい
るが
実際にこの言葉の意味を正確に捉え、しかも、本当に身体全体を使えるようにな
るトレーニング指導をしている人は
どれくらいいるのだろうかと思ったのだが、おそらくそんなにはいないと思う。

身体全体がひとつになり、いろんな部分が互いに協力しあって動作が生まれてく
るはずなのに
パーツ、パーツだけで見てしまって全体で捉えていない人の方が多い。

そして、身体の繋がりを体感しているのと
していないのとでは生まれてくる動作は、"天と地の差"になる。

自分自身の身体を自由自在に動かせるようになりたければ
まず、自分の身体を自分の意識で動かせるようにならなければ話にならない。

ほとんどの方は、まるで禅問答のような捕らえ方しかしていないのだが
自分の身体を自分の意のままに動かせている人は数パーセントだと思う。

何のためにある筋肉なのか?、何のためにある骨なのか?、
どういった使い方をするのが本当に正しい身体の使い方なのだろうか?


この問いの答えが後になって、私の目の前に現れてくることになる。



次回の内観力は、『甲野 善紀先生の足音』です。11月10日の予定です。

第32回 内観力 『野口体操に出会う』

ワールドウイングの初動負荷マシーンが手に入らない事が明らかになったからには
マシーンを使用しないで身体をほぐす方法を探していくしか道はなかった。

今まで経験してきたことを踏まえて、いろんな方法で身体をほぐしながら
よりよい動作が出来る方法を模索していた。

スポーツケア整体研究所を開設してから2年が経ち
パイプ椅子とペットボトルを活用した身体のほぐし方やトレーニング方法を確立していた。

このトレーニング方法も即効性があり、かなりの動作改善が出来るようにはなったが
よりよい方法がないものかと探しながら考察していた。


ある日、仙台市内に出たときに何気なく本屋さんに入った。


何か良い本はないかと探していると、ある本に目が止まった。


・からだに貞く(きく) 野口体操 野口 三千三

・おもさに貞く(きく) 野口体操 野口 三千三

自宅に戻り、早速読んで見るのだが今まで取り組んできたトレーニングなどとは全く違う本であった。

理解出来ない部分は所々にあったが引き込まれる様に読み進めた。
読み終わると同時に、野口体操の実際の動作が見たくなりインターネットで調べた結果、

DVDがあることが分かり、早速注文した。

注文したDVDが届いた日にワクワクしながら見たら
養老 孟司さんとの対談をされた内容を見て目から鱗だらけであった。

野口 三千三さん曰く、、、、

"右腕を前方に肩の高さまで上げてみて下さい、今、右腕は肩の高さで止まっていますよね!
 これを現代の科学で、なぜ人間がこの動作が出来るのかを証明することが出来ないんです。
 なのに、今の時代は科学的な判断によるとなど言っていますが人間の身体の動作が科学的に分かるはずなどない!"

と、ぶった切っているのです。
しかも養老先生を目の前にしてです。
こんな素晴らしい方が日本に居たなんてお会いしたかった。(1998年、逝去)
そして、野口体操の内容がとても素晴らしかった。

野口体操を是非、学んでみたいという衝動が起きて
インターネットで調べていくと、野口 三千三さん直伝のお弟子さんが教室を開いている事が分かった。
すぐに、窓口の方にお電話して稽古会に参加させて欲しいと嘆願した。

2004年6月29日、東京都の某所で初の稽古会に参加した。

野口 三千三さんの直伝のお弟子さんであるT先生とご挨拶した。
仙台から来たことを告げると驚かれていたが快く受け入れてくれた。

要領が分からない私は、稽古をする方々の動作を見よう見まねで行っていた。
やはり、本で見たレベルでは実動作を簡単には出来ないのは分かっていたが
野口体操は、基本的なところから違っていた。

戸惑いながら動作を行う私の為にT先生は基本的な動作を教えてくれた。

動作はいたって簡単。
立ち姿勢から脱力しながらしゃがみこんでいく。
そして、腰から立ち上がり頭は下げておく。
右へ左へ揺さぶりながら軽く膝を曲げたなら腰骨から頚椎にかけて
徐々に徐々に身体を起こしていき、最後に頭を上げる。

動作だけを真似するのであれば誰でも出来る動作であるが
この動作を行う時に一番大切なことは『背骨』を意識的に使うということである。

"背骨なんか動くのか?"

今まで一度もしたことのない動作に最初は戸惑ってしまった。
と言うよりは、正確に判断すると『頭』で理解してやろうとしていたから
形ばかりを目で追っていて動作だけを真似するしか出来なかった。

一旦、動作を止めた私は、ひたすらT先生の動作を見つめ続けた。

そして、T先生の発する言葉のイメージを自分なりに解釈しながら動作を反復していった。

何度も何度も行ううちに、余計な考えをして邪魔していた『頭』が言葉を聞くうちに
あるイメージを私に伝えてくれたのであった。

"あっ〜、そうか! これは朝顔が芽を土から出す瞬間と同じなんだ!!"

このイメージが出来てから不思議なのだが動作を背骨に任せてみたら
なんと背骨が勝手に動いているではないか!

それだけではない、腰骨から動き出した背骨が1本1本順序よく動き出し
最後にはかしら(頭)がひょこんと首に乗っかるではないか!

これがまた何とも言えない程、気持ち良くて堪らないのである。

T先生に、この事をお伝えすると
"初めての稽古会でこの感覚が分かるとは中々いいセンスね!"
とお褒めの言葉を頂戴して心底嬉しかった。

今まで、意識的に骨を動かすことなんて知らなかったし、又、出来るなんて思いもしなかった。

しかし、今、現実に自分自身の骨を自分の意識で動かせた私であった。
こんな凄いことを平然とやって退けるT先生の動作を目の前で観れたことは幸せであった。
他の体操に置いても、骨盤を意のままに動かす動作を観て惚れ惚れしてしまった。

その後、正式に、野口体操教室に入会させて戴いて
東京に出張があり、稽古会に参加させて戴ける日は参加するようになった。


その時に頂いた誓約書に記載されている『野口三千三語録抄』の一部を紹介したい。

・自分自身のからだの動きの実感を手掛かりにして、自分とは何か・人間とは何か・
 自然とは何かを探検する営みを体操という。

・からだ、コトバ、装身具、おもちゃ、道具、機械、自然現象、それらすべての裏(なか)に潜り込んで
 人類の知恵から大自然の原理を探検する営みを体操という。

・からだの動きの主エネルギーは、無生物の水や空気や砂・岩石等の動きと同じく、
 重さのバランス状態から生まれる。そのきっかけを作り出し、それをコントロールするのが筋肉の役割である。

・大自然の力(例えば重さ)に抵抗する能力を力と呼び、
 そのような力を量的に増すことがいいことだ、という感じ方・考え方は傲慢の極みである。
 力とは自分自身のまるごと全体が、本来の自然そのものに限りなく近づく能力のことをいう。

・『力づくでなければ出来ないような動きは出来なくてもよい』
 『出来ない方がよい』
 『行為をしないということを行為する(しないということをする)』
 『無理をしなければ無理が出来る』
 『丁度いいのが丁度いい』
 『頑張りではなく、したたか(下確か)に』
 
・『力を抜けば抜くほど力が出る』次の瞬間、新しく働くことの出来る筋肉は、
 今、休んでいる筋肉だけである。今、休んでいる筋肉が多ければ多いほど、
 次の瞬間の可能性が豊かになる。

・生き物が生きることにとってもっとも基本的な原理は、
 『自分の身は自分で守(保・護・衛)り、自分の身は自分で始末をつける』ということであり
 それは自分自身を限り無く大切にすることである。

・神経質な注意力とはちがう自動制御能力。
 それは、基礎的・基本的な動きを、いつも本気で新鮮な感覚で、徹底的に大切に丁寧に、
 毎日やることを長年にわたってやり続ける、、、、。
 その結果として生まれる非意識の自動制御能力(反射的即応能力)、、、そんな能力を養い育てたい。

・教室で講義することは、一つの問題提起であって、当然のことに、
 受講生が主体的にどのように受けとるかによって、その価値が決まってくる。


今、改めて読み返してみると、ここに書いてあることを求めてきた様な気がします。


そして、偶然にも最近読んだ桜井 章一さんの本で同じことが書かれていた。(この世の掟(ルール)をぶち破れ! 李白社)

別に私は合気道を習ったわけではない。
つまり、テクニックとして勝負するのではない。
私も道場生と力比べをしたら負けてしまう。

しかし、私が力を抜いて勝負すると誰も私にはかなわない。

それこそ相手を簡単に倒すことができる。

みな相手を倒そうとする時、まずは頭で考えて、理論的にここを押せば相手は倒れると考えて挑む。
物を動かすには力が必要だと勉強で教わったことが正しいと思い込んでいる。

しかし実際には、物を動かすのに力はいらない。

まったく力を入れないでも相手を倒せるというのは、いわば感覚のようなものだ。
この感覚を得るためには、自分を過去へと戻さないとならない。
先端の便利なほうへ行こうとしたり、知識に行こうとすれば感覚は取り戻せない。

一流の大工はけっして先端に行こうとしない。

原点に戻ろうとする。

先端の技術のほうへ取り込まれないで、過去へ過去へと戻っていく。

人間というのは、物事の原点、いいかえれば自然から学んでいた。
たとえば、魚の動きを見たり、鳥の動きを見たりしながら、自然とともに生きていた。
つまり、体の感覚は動物の動きを学びながら、取り戻すことができる。

私の仲間の一人、ヒクソン・グレイシーがやっていることも、これと同じだ。
彼のやっているグレイシー柔術とは、力よりも体の使い方を重視している。
やわらかく体を使うために、ヘビの動きを取り入れたり、時には守るために亀の動きを取り入れたりと、
動物の動きから体の動きを習得している。

小さい子どもはみんなやわらく動く。
そうした過去の感覚を取り戻すことだ。
子どももいつしかそれを忘れ、何かやるにもだんだん力が出てきてしまう。

しかし、力を入れるということは、むしろ自分が不自由なほうへ不自由なほうへと向かわせているだけなのだ。


桜井 章一さんは、子供の頃からの感性を今もなお持ち続けていらしゃるのだと思う。


もうひとつ、今回、書きながらビックリしたことは、『頑張りではなく、したたか(下確か)に』の
言葉を観た瞬間におもわず膝を叩いてしまいました。

その通りなんですね!"下確か"。
このことが、"したたか"だったとは、、、、
また一つ、腑に落ちた瞬間を味わうことが出来ました。

この感覚が分かれば、スポーツ選手の動作が劇的に変わるのです。

"居着ていないのに、居着ていられる"

そして、骨を動かす意識(感覚)を持つ。

骨を意のままに動かせることが出来れば
また、身体感覚の世界は変わり、動作そのものが別次元のものに生まれかわります。

出来ないのではないのです、知らなかっただけなのです!

あなたの身体は、その答えをかなり昔から分かっているのです!

あなたも動かしてみませんか!

骨を動かすことが出来たら、身体を上手に動かすコツ(骨)が分かります!


どれだけの方が、この研究レポートを読んで戴いているのかは分かりませんが
是非、一度、野口体操の本をお読みになり、そして機会があれば実際の動作を体験して戴ければと思います。
我が日本に、これだけの素晴らしい練習方法があることを一人でも多くの方に知って欲しいと心から願っております。
そして、私達、人間の身体の素晴らしい力をもっともっと知って戴ければ幸いです。


次回の内観力は、『高岡 英夫さんのゆる体操を知る。』です。10月31日の予定です。


第31回 内観力 『軸のない動作に意味があるのか?』



実は、ここに書いていなかったのだが、父が亡くなった後、
目標を失っていた私は無謀にも平成13年に宮城県で行われる宮城国体に出場しようと決意していた。
練習もろくにしていないのにこんな考えに至ったのは、何か生きる希望が欲しかっただけかもしれない。

空き時間を見つけては、家の近くにあったジムに通うようになった。

トレーニングは、ジムにあるマシーンを初動負荷的に動かしながらほぐしを行っていた。

ある程度、身体が慣れてきてからは重量もアップさせてスクワットなどもメニューに入れていった。
身体の方は、何となくいい反応を見せかけていたが気持ちは暗いままであった。

そんな中、フッ〜とワールドウイングに行きたくなった。
善は急げとばかりに早速、ワールドウイングに電話を入れて予約をした。
小山先生とはお話は出来なかったが何かを変えるきっかけにしたかった。

ワールドウイングに行きたい理由が実は他にもあった。

白石高校や白石女子高の指導を依頼されて、陸上部の生徒さんを教えていく中で疑問点がいくつか出てきていた。
確かに、初動負荷トレーニングを行うと、身体の柔軟性はアップし、筋肉や関節は動かしやすくなるのだが
動作作りを行う場合に、どこをどう意識して動かす事が一番良いのかが分からないでいた。

骨盤や肩甲骨周りが動かしやすくなっても、それだけでいい走りを構築できる訳ではない。

例えば、意識をするのを筋肉にすればよいのか、それとも骨を意識すればいいのか
いやいや全く違う部分を意識させればいいのかを詳しく知りたかったのだ。
振り返ってみるとワールドウイングで、その様な内容での指導は受けていなかった。

資金的に余裕が無かったので仙台から鳥取まで車で移動した。
距離的にはかなりあったが、一人でいろんな事を考えながら移動しようと決めた。
好きなCDをたくさん車に積んで出発した。

1泊2日の合宿。

走るトレーニングは正直、出来ていないことを告げて練習が始まった。
懐かしい初動負荷マシーンで身体をほぐした後、布勢陸上競技場に移動した。
小山先生が来られるまで、それぞれで走る練習をしていた。

仙台から車で、1000km以上の距離を一人で運転してきたので足はかなり張っていた。
仕事の空き時間を見つけてトレーニングはしたものの、走るトレーニングは出来ていなかったので
少々走るだけで足が痛くなっていた。

いつもよりもかなり遅れて小山先生が来られた。

が、私が知っている笑顔の素敵な小山先生ではなく、どこかやつれた顔をされていた。

後で聞いて知ったのだが体調がおもわしくなく大変な状態だった。

久しぶりにお会いするのだが何か見えない壁のようなものを感じた。

そして、走るトレーニングが始まったのだが1本走ったのを見て戴いただけで
別の指導場所へ移動されてしまった。

これには正直、あっけにとられてしまった。

他にも指導を受けていた選手もいらしゃったが同じく1本見て
それぞれワンポイントのアドバイスを受けていただけであった。

聞きたいことは山ほどあったのに何も聞けないでいた。

そして、翌日を迎えた。
車で移動してきたのでこの日のギリギリまで練習をして帰る予定でいた。
走るトレーニングは積んでいなかったが1本でも多く走ろうと決めた。

午前中は、初動負荷マシーンのトレーニングがメインになり
午後から、布勢陸上競技場で走る練習を行う。

この日、小山先生から言われたポイントは
伊東浩司選手が行っていたという自然な振り出しを利用して体幹の移動距離を伸ばす走法。
空中動作で体幹部が前方移動を行い、その移動を最長に無理なく伸ばすために遊び(余裕)の部分で
膝下を無理なく伸ばして重心を拾うというものだ。

練習不足の私が、こんなハイレベルの走法が出来る訳がなかったが
この当時の私のレベルでは、このトレーニングがいかにハイレベルなものか
そして、準備が出来ていない人がこの走法を行えば、足にどれだけの負担がかかるのかも知る余地がなかった。

案の定、私は左足の膝裏を痛めてしまったのである。
しかし、ケガをした後でも無理をして走り続けた。

走り終わった後、小山先生に

"走る際に意識する部分はどこですか?"

"この振り出し、振り戻し動作はどこの筋肉や関節をどのように意識して動かすのですか?"

とおもいきって聞いてみた。

それを聞いた小山先生の顔が一瞬曇った。

が、すぐさま "こんな感じで動かすだけだ"としか言わなかった。

また、この日も2〜3本の走りを見ただけで別な指導場所へ移動されて行った。


痛めた左膝裏の痛みはかなりであった。
幸い、車のアクセル&ブレーキは右足だったので運転には支障がなかった。
それよりも期待してことが全く達成出来なかったことの方が悔しかった。

運転しながら、一瞬曇った顔をした小山先生の顔が何度も出てきた。

結局、肝心なノウハウは何も教えてはくれなかった。
そして、以前のように何本も何本も走りを見てくれない様に変わっていた。
お忙しいのは分かるが、余りの変わりように悲しくなった。


アスリートとしてのワールドウイングへの訪問の最後になった。


たこの様に身体を柔らかく出来たとしても動かし方が分からなければ
求めていきたい再現性の高さは生まれてはこない。

身体を動かすコツが分からなければ、感覚的に動かさざるえない。
しかし、経験上、感覚で覚えるというのは至難の技である。

指導者として、ノウハウの部分は商売上出せないのだろうか?

別な話だが、伊東浩司選手も晩年、小山先生の指導から離れてしまった。
その後、彼の走り方は変わってしまったし、ケガをするようになった。
最後のオリンピックでは、いい成績を出す事が出来なかったのである。

伊東浩司選手は、身体操作を意図的に出来ていた選手であれば
もっといい走りが出来ていたに違いない。

では、なぜ、崩れてしまったのであろうか?

動かせられていた身体と、動かしきれる身体の違いではなかろうか?
身体の屋台骨である"骨"を動かす意識が確立されていなかったのではないだろうか?

"コツを掴む"と言う言葉があるが、コツ=骨(コツ)の事である。

現在、私の研究は骨のことばかりだ。
しかし、世の中の主流は筋トレや体幹トレばかりで筋肉ばかりに目を向けて
肝心要の"骨"のことを忘れてしまっている。

骨の意識が出来るということは、身体本来の中心にある軸を意図的に動かせることになる。

骨を主に動かして、筋肉を自然に使いこなせるようになれば
身体全体の調和された動作が生まれてくるので素晴らしい動作が出来るようになってくる。

また、身体の意識を変えてやることにより
全く別物に生まれ変われる力を我々の身体は持っているのだ。



次回の内観力は、『野口体操に出会う』です。10月20日の予定です。


第30回 内観力 番外編 『父との永遠の別れ、、、、そして、スポーツケア整体研究所の誕生』



1998年9月10日 早朝、自宅の電話が鳴った。
家内のお母さんからであった。

"卓さん、おめでとう! 元気な男の子が無事に生まれましたよ!"

長男が無事に生まれた。
早速、隣の実家に報告をした。
そして、一刻も早く子供の顔が見たいと父に話すが
こんな目出度い時にも仕事優先の父の姿がそこにあった。

"仕事の段取りはどうするつもりだ!"

その言葉に正直、驚いてしまった。
だが、周りに居た母や妹が助け舟を出してくれて
私が出来ない仕事をやってくれることになる。

この時の私は、仕事のことよりも子供の顔を見たい方が先であった。

ワクワクドキドキしながら新幹線で名古屋まで行き、電車を乗り継いで豊田市に到着した。
ちょうど豊田市駅前の病院に入院していたので急ぎ足で向かう。

家内と顔を合わせた。
二人で新生児室に向かい、子供の顔を見に行った。

"かわいいな〜、本当によくがんばってくれた!本当にありがとう!"

家内に心からお礼を言った。
そして、病室に来た我が息子を初めて抱いた。
可愛くて、可愛くてたまらなかった。

(この時の感触は未だに残っている。)


嬉しい時間もつかの間、仙台で仕事の現場に戻るが不景気の波が強く売り上げは厳しい状態にあった。
父も様々な手を打とうと策を練るのだがなかなか好結果には結びついていかなかった。


年が明けて、1999年。

仕事は相変わらず悪い状態が続く中で、
唯一、息子の篤君の存在だけが明るい話題であった。

そして、篤君初の端午の節句を迎え、父が納屋から五月人形を出してくれた。
仕事中は、厳しい表情の父もこの日はおじいちゃんの顔になっていた。

この頃から、父の体調がおかしくなり始めた。

病院に通院するのだが父の様態は改善の余地が見られなかった。
この年の夏は非常に暑い夏であったのだが父も暑さにまいってしまって食欲も減退していた。

1999年9月9日 父が亡くなった。 59歳。

すべて『9』揃いの日。
翌日は息子、篤君の1歳の誕生日であった。
父であり、私の陸上のコーチでもあり、尊敬していた父があの世に行ってしまった。

葬儀が終わるまでは絶対に泣かないと決めていた。

母や妹達、そして家内に気を使わせたくなかった。
気丈に何でもこなして悲しそうな顔を見せないように努めた。

それは、どこかで父が死んだことを認めたくなかったからかもしれない。

焼き場で父の骨を拾っても、まだ信じることが出来ない私であった。


父が亡くなってから本当にいろんな事がありました。
あまりにも辛すぎて、ここでは書けないことばかりです。
正直に言うと、"思い出したくない"と言うのが本音です。


2000年2月4日 有限会社 松村商店の代表取締役に就任。


しかし、不景気の中、父の残してくれた事業の尻すぼみ状態でした。
何か他の事業転換した方がいいと思ってはいたものの何をしたらよいのか分からない。

母や家内に相談したり、いろんな方々に相談しましたが私自身に自信がなく躊躇していました。

自信がなかった私ですが前々からワールドウイングみたいな仕事をしてみたいという願望はありました。

でも、この仕事で食っていけるかどうかを考えると下を向いてしまう。
他の仕事では、外資系の保険会社の代理店でもしようかとも考えていました。
その方が世間的にも家内の両親にも見た目がいいかなと思っていたからです。

おもいきって代理店になるための説明を聞きに行きましたが心には響いてきませんでした。

そこで、今度は鳥取の小山先生の所へ尋ねることにしました。
小山先生なら事情を説明すれば、きっと分かってくれるはずだ。
ワールドウイングの仙台支店みたいな形で仕事をさせて頂けないだろうかと考えました。


ワールドウイングに久しぶりに訪れ、その日の夜、近くの焼肉屋さんに行き話をすることになりました。

珍しく、小山先生と奥様の二人でお会いして頂きました。
早速、父の死から話を始め、松村商店の現状を包み隠さずお話させて戴いた後、
少ない資金で申し訳ないのですが初動負荷マシーンも2台購入させていただき設置したいことも告げました。

ありったけの想いを小山先生と奥様にお話しました。
しかし、返ってきた答えは予想していなかったものでした。

"タッ君の人柄には申し分ないのだけれども、、、、"

"実は、最近、初動負荷理論を我がもの顔で指導している輩が増えてきて困っているんだ。"

"イチロー選手にも助言されたんだけど、まがい物は排除していくべきだと。"

"それで弁護士の先生とも話を進めていて、ある規定を設けてそれをきちんとクリアしてくれる人に認定制度をする予定なんだ。"


そこで私は、小山先生に認定制度の内容を詳しく聞いてみたのだが、、、、、

その条件をクリアする為に必要になるお金は、今の私には到底支払える金額ではなかったのである。

『あきらめるしかないのか?』

頭の中では、思考する力が完璧に減少していった。


その状態の中で、小山先生から極めつけの言葉を言われてしまった。

"タッ君、それでもタッ君が似たような仕事をするというのであれば縁を切るのもやも得ない"

私の頭の中は、完璧に真っ暗になってしまった。

小山先生は、私に別な仕事をした方が良いと進めてくれた。
混乱している私は、話の辻褄を合わせるかの様に保険会社の話をしてしまった。

一人、部屋に戻った私は、自分の存在価値を否定された様な気持ちになり
ただ呆然と座ることしか出来なかったのである。

この日の夜は、いつもよりも長く長く感じられた。

翌日の朝、何とも言えない寂しい気持ちでワールドウイングを一人後にした。
今までの思い出が一瞬にして消えてしまったような気がした。
昨日の出来事を消化できないまま神戸に向かった。

神戸には、亡くなった父の知人のM社長に会う予定でいた。

M社長は、光化学、光農学、光医学の権威者で独自の開発した商品で商売をされていた。

以前、父に薦められてM社長の所に勉強させて頂いたことがあったのだが
後半の方では、私の身体機能向上トレーニングの指導がメインになり、
ゴルフが大好きなM社長のスイングがみるみる良くなり大変喜んで戴いたことがあった。


久しぶりにお会いしたM社長といろんなお話をした。
そして、鳥取でのお話も勢い余って話してしまった。
すると、M社長が私に向かって話し始めた。

"松村さん、それはおかしい話だよ!私は、その有名な先生の事なんか、これぽっちも知らない。
 その有名な先生から指導を受けたのが松村さんであっても私が松村さんから指導を受けたのは
 松村さんが私に対して指導してくれている時の思いやりや優しさ、そして何とか良くなってもらいたいという気持ちが嬉しくて
   素直に松村さんの指導を受けたのだよ! 松村さんの人柄が一番大事で鳥取の先生なんか何の関係もないのだよ!"


"その先生の許可がなければ指導できないなんて、そんな馬鹿げた話があるもんか!"



と勇気づけてくれた。
涙が出るくらいに嬉しかった。


自宅に戻り、一連の話を母にしたのだが
自信のない私は、取り越し苦労ばかりして母に愚痴ばかり言っていた。
愚痴を繰り返す私に母はこう言ってくれた。

"私もM社長の意見と同じで、何も小山先生の許可が下りないからスポーツ関係の仕事が出来ないなんておかしな話だよ!
  小山先生に出来て、卓に出来ないこともあるけれども、卓に出来て、小山先生に出来ないことだってあるはずだよ!
    卓のことがいいと言ってくれる人は必ず居るはずだから自信を持ってやってみればいいじゃないか!"

母にもM社長と同じことを言われたが踏ん切りがまだ付かない状態がしばらく続いていた。

そんなある日、佐久間先生から電話があった。

以前、外資系の保険会社の代理店をするかもしれないと打ち明けていた後、
連絡をしていない状態が続いていたので心配して電話をかけてきてくれたのであった。

ワールドウイングでの話しや神戸のM社長の話や母に言われたことなどをお話した。

"なあ、松村〜 今から言う事は酔っ払いの戯れごとだと思って聞いてくれな〜 勘弁して聞いてくれよ!
    おまえがさぁ〜 スーツ着て、ネクタイ締めて、カバンを片手に持って、
        お客さんに頭をペコペコ下げている姿なんて、俺は絶対に見たくないな〜!"

この言葉を聞いた瞬間に、なぜだか分からないが亡くなった父に言われた気がした。

まるで、亡くなった父が佐久間先生の口を借りて、私に話してくれているかのように思えた。

時間にして数秒の出来事だが、私は溜まっていたものが出てしまい泣いてしまった。

『佐久間先生、ありがとうございます!』

いろんな想いが込み上げてきた。
自信はない。しかし、本当にやりたいことはスポーツトレーナーやケアトレーナーの仕事であることだけは間違いなかった。
経験や知識はあっても商売として上手く成り立つのかどうかが心配で心配でたまらなかったのだ。
家内や篤君の寝顔を見る度に、堂々巡りの不安と毎日戦っていた。

佐久間先生から戴いたこの電話で、スポーツトレーナーへの道を進むことを心に決めた。



2001年6月20日  スポーツケア整体研究所を開設した。



今、思い返せば、あの時、小山先生に断らなければ
ペットボトル整体も骨整体も生まれていなかったと思います。
初動負荷マシーンが手に入らない、ワールドウイングに勉強しにも行けないという状況があったからこそ
一切、頼らずに暗中模索の中で新しい方法を探し求めてこれたんだと思っています。
そして、どうしたら再現性の高いトレーニングを開発することが出来るのであろうかと探究心が生まれることもなかったことでしょう。

小山 裕史先生には心から感謝を申し上げます。

身体をいつでも上手く動かす為には、"屋台骨"が必要であることに気付かしてくれたのは佐久間先生のお陰です。
佐久間先生のお陰で、骨盤や肩甲骨を動かすコツや身体の内側から相手の動作を読み取るミラーニューロンを教えて頂きました。

佐久間 紀郎先生、本当に心から感謝を申し上げます。

スポーツケア整体研究所を開設した後、いろんな疑問が私の探究心を更に強くしていきます。
開設当時から、人間の身体には、なぜ、取扱い説明書がないのだろうかと真剣に考えていました。
その答えを探し出したくて突き進んでいくことになる訳ですが、、、、、



次回の内観力は、『軸のない動作に意味があるのか?』です。10月10日の予定です。

第29回 内観力 『指導をすることで見えなかったことが観えてきた』

目標にしていた大阪で行われる『なみはや国体』の出場は遂に果たせなかった。


少ない時間だったかもしれないがワールドウイングに何度も足を運んだ。
学べるものは何でもと学ぼうと必死になってトレーニングもしてきた。
時々だが、自分でもビックリしてしまう素晴らしい走りができた時もあったのは事実である。

しかし、その素晴らしい動作を常に行える『再現性』は極めて低すぎた。

私だけを頼りに愛知県から嫁に来てくれた家内。
本来ならば甘〜い新婚生活をするはずが私の再起を信じて寂しい想いを我慢してくれた。


バブル崩壊後の厳しい経済状況の中、決して弱音を吐かず貴重なお金を出し続けてくれ


息子の快走を最後まで信じてくれていた父。

その想いに必ず答えようと夢を追いかけ続けた私。
誰よりも大好きな陸上競技で、誰よりも速く走りたかった私。
小山先生を信じて、己の力を信じて、今まで突っ走ってきた私であったが

まるで糸の切れた凧のようになってしまった。

しばらくの間、陸上の『り』の字も言わなくなってしまった。

"仕事"、"家庭"の生活がしばらく続いた。



年が明けて、1998年を迎えた。



ある日、佐久間 紀郎先生から電話が入った。

『もし、良かったら内の生徒に指導してくれないか?』

当時、白石高校の陸上部を指導されていた佐久間先生から
ワールドウイングで習ってきたことを生徒に是非教えて欲しいと頼まれた。

『せっかく苦労して覚えてきた事をこのまま終えるのは非常に勿体無いよ!』

この時、家内はおめでたで妊娠中であった。
家内に相談したところ、"行ってくれば〜"と快く言ってくれた。

指導をするのは仙台育英高校の指導をした以来であったが
当時の教えていた内容とはまるきっきり違っていた。

角田市にある角田陸上競技場で初の指導をした。

最初は、体育館の中のトレーニング室で通常のトレーニングと初動負荷トレーニングの違いを
実技指導中心に行いながら体感してもらった。

初めは緊張していた生徒さんであったが
実技が始まり、自分の身体の柔軟性が見る見る変わっていくうちに驚きの声を連発していた。

"身体って、瞬時に、こんなに変わるんですね!"

笑顔で話てくれる生徒さんの姿を見てとても嬉しかった。

その後、陸上競技場に移動して基本動作を指導した。
コツを掴むまでは余計な動作をしてしまうのだが体感した生徒さんから動作が変わっていった。

そして、いよいよ中腰の姿勢からのダッシュ練習になった。

注意点を細かく指導して実技を行うのだがこれがなかなか上手く出来ない。
出来ない生徒さんが多いから、また説明するのだが

『どういう表現方法で伝えたら理解してくれるだろうか?』

私が実際に走ってみたり、私が感じている感覚を例え話にしたりして
何とか分かってもらいたくて一生懸命に伝えていた。

"感覚を言葉に替えることがこんなに難しいなんて、、、、、"

もどかしさが込上げてくる中、いい動作ができる生徒さんが出てきてくれた。
そして、何度も何度も同じ失敗をしている生徒さんに説明すれば説明するほど何かが私を突っ突いてきた。

『あれ〜、この悪い動作をしていて出来ていなかったのは、正しく俺のことだな〜、、、、、』



昔の人は、"人の振り見て我が振りなおせ"と言われたが
いい動作ができない生徒さんを観て、初めて、私が出来なかった理由が分かったのであった。

なぜ、いい動作が出来ないのか?

それは、動かさないといけない部分が動いておらず
動かなくていい部分が動いてしまっているからなのである。

私は、この時、生まれて初めて動作を身体の外側から観ずに、身体の内側から観れるようになった。

この時は、言葉さえ知らなかった、『ミラーニューロン』を体験していたのであった。



そして、白石高校の指導の他に、
遠藤 直志先生からの依頼もあり白石女子高の陸上部も指導することになった。

いろんな生徒さんを観るようになったお陰で
感覚を言葉に替えていく作業もレベルアップしてきた。

不思議なことに、身体をパッっと観ただけで

"この辺りが硬化していて動作の妨げをしているのではないか?"

"そして、この身体では、こういう動作が苦手なんではないだろうか?"

と、なんとなく分かるようにもなってきていた。



この指導キャリアを積ませて戴いたお陰で人の身体を観れるようになった。

それは同時に私自身の身体を理解することに繋がっていたのであった。
私自身の身体を理解するという事は、自由自在に自分の身体を動かせることが前提にある。
骨盤の動かし方や肩甲骨の動かし方、位置エネルギーを運動エネルギーに変換させること上手くなるためには
身体の重さ、つまり体重を活用することが重要なのだが、これを可能にするためには筋肉と骨を使い分けすることが出来なければならない。

まだまだ、この時点の私は到達していない事の方が多かったのであるが
"伝え方"が上手くなればなるほど指導を受けている方が向上していく姿に喜びを感じ始めていた私であった。

"感覚を言葉にする"

この素晴らしい作業は、現在の私でも、まだまだ日々修行中である。
感覚を言葉に変換し、相手が腑に落ちるほどの理解と体感をしてくれた時ほど嬉しいことはない。

なぜなら、二度と忘れることなく、何度やっても同じ動作が出来るからである。



次回の内観力は、番外編『父との永遠の別れ、、、、そしてスポーツケア整体研究所の誕生』です。9月30日の予定です。

第28回 内観力 『最悪の全日本実業団、そして最後のレース、、、、』

不安な気持ちを払拭できないまま神戸駅に着いた。

宿泊先で家内と待ち合わせをしていた。
ケガをした事を家内にもまだ伝えていなかった。
私の最高の走りを家内の目の前で見せたかっただけに歯痒い気持ちで一杯であった。

夜、家内と食事をしながら本当のことを告げた。
最初はビックリしていたが私に気遣いながら優しい笑顔で励ましてくれた。

この日の夜は全然眠ることが出来なかった。

頭に浮かんでくるのは私の快走を心から信じて待ってくれている父のことであった。
本来ならば家内と一緒に神戸に応援に来る予定でいたのだが不景気の波が押し寄せて商売の方も大変であった。
誰よりも息子の走りを生で見たいだろうに我慢して現場で陣頭指揮を取っている。

"父になんてお詫びをすればいいのだろうか?"

今の足の状態では勝負など出来るはずがない。
予選すらまともに走れるかどうかのレベルだ。
考えたくもないがワザとフライングをして失格になってしまおうか、、、、
考えれば考えるほど苦しくなり、辛さが増してきて寝返りをする度に悶えていた。

そして、試合当日の朝を迎えた。

家内と一緒に競技場へ向かった。
昔、ユニバーシアードが行われた立派な競技場であった。
本当なら心に残る記念すべき競技場になる予定であったが過去に例がないほど走りたくない試合である。
複雑な気持ちを抑えることが出来ないままウォーミングアップを始めた。

身体は正直である。

痛いものは痛い。

"ここで無理をして国体最終選考会に間に合わなかったどうしようか?"

やはり棄権するべきか?
いや、ワザとフライングをして失格になるべきか?

こんなことを考えながらジョッグをしている自分が本当に情けなかった。

出来ることならこの場から逃げ出したかった。

万全の体調でこの試合に臨むためにワールドウイングに行った。
つい数日前には、10秒2の最高のいい走りができた私がいたのも事実である。

しかし、今、ここにいる私は最悪の状態でいることだけは間違いはなかった。


結果は見事、予選落ち。
痛い足をただ引きずりながら100mを走っただけで終わってしまった。
こんな虚しい気持ちで100mを走ったことはなかった、、、、


試合終了後、父に電話をした。

"すみません、予選落ちでした、、、、"

この一言しか言えなかった。
言った瞬間に涙が込み上げてきてすすり泣いていた。

私の様子を電話口から察したのか父は何も聞かないでくれた。

『気をつけて仙台に帰ってこい!』

それだけを言って電話を切った。


家内にも泣きながら頭を下げるしかできない私であった。



仙台に戻った日の夜、仕事先で父と会った。

今回の試合までのことを包み隠さず父に話した。
父は、試合のレース中にケガをしたと思っていたので
まさかワールドウイングでケガをしていたとは夢にも思っていなかった。

"ケガをしない身体つくりをするためにワールドウイングに通っていたんじゃなかったのか?
  それではお前は何のためにワールドウイングに行っていたんだ!
    いくら練習中にいいタイムを出したって本番の試合で結果を出さなければ意味がないんじゃないか?"

父の言う事に何の間違いもない。

まさにその通りである。

反論する余地も何もない。

いろんな思いが込み上げてきて言葉にしようとしても
なかなか言葉に出来ず、ただただ悔しくて目に涙を溜めるしかなかった。

父は、大阪国体の予選会までに足が治り
まだ私に走る意欲があるのなら試合に出ればいいと言ってくれた。

私は、このままでは終われない気持ちで一杯だったので
願わくば挑戦したいと父にお願いした。

"ワールドウイングで、10秒2で走れた、あの走りが出来れば勝てるはずだ!"


この時の私の僅かな希望はこれしかなかったのである。


国体予選に標準を合わせるために7月の宮城県選手権の出場を見送り治療に専念した。

ケガの回復状態を見ながら出来る練習から始めていった。

走る練習があまり出来ない分、ほぐしは多めには行っていた。
せっかく向上してきた筋肉や関節の柔軟性や可動域のレベルを下げないように注意した。


そして、ようやく痛みも治まり全力疾走の練習が出来るような状態になり本格的に走る練習を再開したのだが
なぜか、以前の様なキレのある走りが出来なくなっていた。

そればかりではなかった。

ケガをする前のスタートダッシュや中間疾走にしてもいい走りが出来ない。
何本走っても、何回スタートダッシュをやっても納得いく走りが出来ない状態に首を傾げた。

小山先生の前で走った、10秒2の走りは一体何処にいってしまったのか?

せっかく走れるようになってきたと言うのにワールドウイングで最高に走れていた状態には
程遠い走りになってしまった。

"なぜ、あの走りが出来ないんだろうか?"

唯一、頼りにしていた『あの感覚』。

あの感覚を追いかければ追いかけるほど遠のいてしまうようであった。



そして迎えた国体最終選考会の日。


家内も両親も応援に駆けつけてくれた。
当の私は、勝ちたい気持ちは誰よりも強かったが同じくらい不安な気持ちでいた。
スタートダッシュが上手くいかない為に中間疾走から後半の走りも繋がってくれない。


焦りと不安と勝たなければならないという気持ちで胸が張り裂けそうであった。

予選は、ガチガチに固まりながら走ったが何とか1位で通過した。
しかし、記録は悪すぎて話にならない。
気持ちと身体が空回りして走りになっていなかった。

決勝を迎えるまで何度もスタートダッシュを行いながら確認ばかりしていた。

落ち着かなければいけない事は分かっているのだが
勝ちたい一心で何とか動作を修正しておきたかった。

そんな私の姿を見て、父が語りかけてきた。

『卓、今まで取り組んできたことに自信を持って走ればいい
 ゴールに小山先生がストップウォッチを持って待っていると思って走れ!』

父の温かい言葉を聞いて正直に嬉しかった。

決勝のスタートラインについた私は長い間ゴールを見つめて頭を下げた。

スタートは案の定遅れてしまった。
腕や肩に力が入ってしまい顔をすぐ上げてしまった。

"負けられない、、、、"

この気持ちが一層、力んだ走りに変わっていく。
走れど、走れど前に進んでくれず先頭をいく選手に追いついていかない。
100mって、こんなに長かったのだろうかと思うくらい長く感じた。

ラスト20mあたりで私は完全に諦めてしまった。

結果は3位。

大阪国体出場の夢は消え伏せた。
レース後、誰とも話しをしたくなかった。
観客席に居る両親や家内の所にもなかなか顔を出せないでいた。

絶望感を漂せながら重い足取りで観客席の方に向かった。

家内の隣にポツンと座り下を向いていた私に父が話しかけてきた。

『卓、おまえラストで力を抜いただろう!』

図星であった。

しかし、そうだとは言えず、"いや、抜いてなんかいない!"と答えた。

父は続けてこう話た。

『全力を尽くしても勝てない試合がある、その場合は仕方がない、でも悔いは残らん
  でもな、レース中に勝負を諦めて力を抜くことは最低最悪のことだぞ!』

ノックアウトだった。



本当は、この研究レポートは出来れば書きたくなかった。
なぜならば一番、思い出したくないレースであったからだ。

今日は、偶然にも亡き父の命日であった。
父が亡くなって11年が経つ。
研究レポートを書きながら父の事を思い出していた。


結果的に私は、このレースが現役最後のレースになってしまったのだ。
(詳しくは、これからの研究レポートに書いていきます。)

ワールドウイングに行った時には、なぜ、いい走りが出来て
仙台に帰ってきてから練習をすると上手く走れないのだろうか?

この疑問を、この時の私は理解できない状態でいた。

・いい動きをしていたのに出来なくなる現象は、なぜ、そうなってしまうのか?

・同じ事をしっかりと行っているはずなのに、なぜ、同じように走ることが出来ないのか?

・あまりの再現性の低さ、、、、どうしたら再現性を高めることが出来るのか?

・どういう意識で身体を動かせば常にいい動作を続けれるのだろうか?

・小山先生に見てもらわなければ常にいい走りは永久に出来ないのだろうか?

・他に、再現性が高くなる方法はないのだろうか?

どうすれば、いつでも最高の走りをすることが出来るのであろうか、、、、、


この答えを私は探し始める。


次回の内観力は、『指導をすることで見えなかったことが観えてきた』です。9月20日の予定です。

第27回 内観力 『ワールドウイングでの"天国"と"地獄"』

神戸で行われる全日本実業団の調整の為に10日間ワールドウイングで合宿を行った。


早速、小山先生と試合までのスケジュール調整を行った。

前半の5日間で、初動負荷トレーニングを中心に身体のバランスアップを図りながら
走る動作のチェックを行うと同時に、現在の体重よりも後5kg減量するように言われた。

その時の私の体重は、67〜68kgであったが
もう後5kgくらい減量することによって動作のキレが良くなるという。

大抵の選手は、ベスト記録を出した時の体重よりも増えている選手が非常に多いらしい。

私の場合、筋肉の量が増えたと言えばそれまでだが確かに大学4年生の時の体重と比較すると増えている。

仮に、ベスト体重よりも2kg増えている場合、両手に1kgのダンベルも持ちながら走るのと同じである。

使いこなせている筋肉の場合は、何の問題もないかもしれないが
パワーアップを目指して筋肉をつけたものの、只の体重増加で終わると逆に動作の妨げになる。
以外とケガの原因にもなっているのだ。

食事の内容や量にも気をつけながらトレーニングを開始した。

普段なら、減量は厳しかったと思うが大事な試合を控えていたので
モチベーションも高く、また、初動負荷マシーンを使えることもあって効率良く身体を動かせるメリットもあった。

経済状況の悪い中にも関わらず、援助してくれた父のためにも真剣にトレーニングに励んだ。

意識的に体重を落としていく中で、毎日、体重計に乗るのが楽しみになってきた。
面白いくらいに体重が落ちていったのであった。

また、その効果は、走るトレーニングにも現れてきた。

スタートダッシュもスタンディングの姿勢からキレのあるダッシュが出来るようになってきた。
感覚としては、大学4年生の北海道国体と同じくらいまで戻ってきた感じだった。
それ以上に、中間疾走から後半のスピードキープ率が自分でも驚くほど上がってきていた。

そして、7日目の朝を迎えた。

午前中のトレーニングを終えて、習慣になっていた体重計に乗ってみたら、、、、

"62.5kg"になっていた。

そのことを小山先生にお伝えすると、
ニッコリ笑いながら『タッ君、面白いことが起きるよ!』と言われた。

午後から、布勢陸上競技場で走る練習が行われた。

小雨が降っていたが100mのタイムトライをしようと小山先生言われた。
タイムトライに向けて、いろんな動作確認を慎重に行った。
スタートダッシュのキレも相変わらずいい状態をキープしていた。

準備が整い、小山先生に指示を仰いだ。

ワールドウイング方式のスタンディング(中腰のような姿勢)からのスタートで
最初の3歩だけ強調して、後は気持ち良く走ってみてほしいと言われた。

スタートラインに立ちながらゴールを見つめると100mがやけに短く見えた。

計測台に座っている小山先生の手が上がり、静かな気持ちでスタンディングのポーズに入った。

スッ〜とスタートを始めて、最初の3歩を強調しようと思って走り始めたのだが
どうしたことか1歩が着地したと同時に信じられないくらいに前に身体が進んでしまった。

3歩を強調する暇もなく、誰かに後から猛烈な勢いで押されたかのごとくカッ飛んでしまったのだ。

するとどうだろう、あっという間に30m地点を過ぎてしまい、
本来ならば中間から後半への加速走を強調する動作に入るはずだが
まるで自動で身体が誰かに動かされているかのように勝手に動いているのだ。

しかも、かなりの高速で動いているのにも関わらず冷静かつ沈着で
ゴールが私を迎えにきてくれているかのように目の前に近づいてくる。

私は、ゴール手前でフィニッシュすることも忘れるくらいに、そのまま走り抜けてしまった。
そして、勢いがついた走りは、"減速"という言葉を知らないかのごとく走り続けていたのであった。

"止まりたくない、、、、、"

この時の正直な気持ちであった。

気が付けば、100mのスタートから第二コーナーの手前まで走っていた。

我に返った私は、急いで走りながら小山先生の所に向かった。

"タッ君〜、何秒で走れたと思う?"

そう聞かれて返答に困った。
あまりにもスムーズに走れすぎて正直、『力感』がなかったので見当も付かない。
それ以上に、あの不思議な感覚にまだ酔いしれていたのであった。

"タッ君〜、10秒2だよ!"

えっ、小山先生の言葉にビックリしてしまった。
ストップウオッチを見せて戴いたが本当に、10秒2で止まっていた。

タッチダウンからのスタートだが、小山先生の計測の仕方は独特らしく電気計時と同じ数字が出るという。
伊東 浩司選手も小山先生が計測したタイムと試合での電気計時とほぼ同じタイムだったらしい。

"信用性はかなり高いから安心して〜、今日はこれで終わろう〜"

布勢陸上競技場からワールドウイングに帰る車の中で小山先生にあの走りの感覚を聞いてみた。

"スタートの1歩目が地面に接地した瞬間に、後から物凄い勢いで誰かに押された感じでした!"

と興奮気味で話す私に小山先生がハンドルを握りながら静かな口調で話し始めた。

『身体のバランスが整ってくると、動作をしやすくなる力点を揃えやすくなる。
  そして、股関節伸展による自然な重心移動が出来れば人間でもロケットのごとく走れるんだよ!』

お話を聞いて妙に納得してしまった。

普通は、力を込めて地面をキックして誰よりも速く足を動かそうとしてスタートダッシュを行う。
しかし、股関節を上手に動かし重心移動をしただけで爆発的な力を生み出すことが出来る。
そして、その自然発生した力をそのまま生かすだけで楽にスピードキープが出来るのだから素晴らしい。

『タッ君、今度の全日本実業団が楽しみになってきたね!』

この日の夜、今日の練習での出来事を父に早速報告した。
電話越しに聞こえる父の声も明るく、試合での走りを楽しみにしていると言ってくれた。



今日の走りで自信を取り戻した私は、天にも昇る想いで眠りについた。



しかし、考えられない事態が私を待っていた。


9日目の練習での出来事。

午前中は、初動負荷トレーニングを中心に身体をほぐした。
午後から、布勢陸上競技場のサブトラックで走る動作の最後のチェックを行うことになった。

いつもの様に、スタンディングからのスタートダッシュを3歩、5歩、7歩強調で1本づつ確認する予定であったが
5歩強調の走りの途中で、右足に痛みが走った。
全力疾走中ではなく、無理に減速しようとした結果、ハムストリングを痛めてしまった。


いつもニコニコ笑顔の小山先生のお顔が急に怖い顔に変わった。

『タッ君〜、なんて止まり方をするんだ〜!』

絶好調だっただけに、かなりのスピードが出ていた。
普通なら上体を仰け反るようにして小走りで止まろうとする動作は過去に何度もしてきたが
今回は、過去最高のスピードが出ていたために、かえって負担がかかってしまったのである。

そのまま、走り続けていたら負担がこなかったかもしれないが
ケガをしてしまった事は紛れもない事実であった。

二日前の天国のような気分から、一転して地獄にいる気分であった。

ケガをした事など、到底、父には言えない、、、、

ワールドウイングの戻り、Tさんに治療を受けた。
幸い、肉離れまではしていなかったが筋膜炎を起こしていた。


正直、一番やっかいなケガである。


10日目の朝早く、ホテルの部屋に小山先生から電話があった。

『おはよう!タッ君〜、足の痛みの感じはどうかな?』

ケガをした翌日の朝の痛み具合で、ケガの度合いは分かる。

"大丈夫です! 何とかなりそうな感じです!"

心配してくれている小山先生にも負担はかけたくなかった。


ワールドウイングでの最終日を迎えた。

こんな最終日を誰が予測できただろうか?
たった10日間の間に、絶好調の走りからどん底の状態になるとは、、、、

"出来る限り、身体をほぐした状態で神戸に向かって欲しい"

と小山先生に言われて懸命に初動負荷マシーンでトレーニングをしていたが
複雑な心境の中、もどかしさだけが増長してきて耐えられない気持ちであった。

そして、午後の電車に乗る前に小山先生やスタッフの方に御礼を述べた後、
一人、鳥取駅に向かった。

暗雲の中、どうしたら良いのか分からない状態の中、電車に乗った。

電車が走り始めてすぐに携帯電話が鳴った。
小山先生の弟さんの隆さんからであった。

電車の窓から見えてきた光景は、
ワールドウイングの屋上に一人、携帯電話を左手に、右手には自作の旗を振り続けてくれていた。

"松村さん〜、がんばれ〜!、大変やろけどがんばれ〜!!"

隆さんの心溢れる応援に、嬉しくて泣いてしまった。

『ありがとう〜、ありがとう〜、ありがとう〜、、、、、』

不安な気持ちで一杯であった私であったが、隆さんのお陰で少しだけ楽になれた。


何で、こんな大事な時にケガをするのだ!

何で、俺ばかり、、、、

悔しい、、、、


神戸に向かう電車の中で、一人、嘆いていた。



次回の内観力は、『最悪の全日本実業団、そして最後のレース、、、、』です。9月10日の予定です。

第26回 内観力 『試行錯誤の連続の日々』

年が明けて、1997年(平成9年)。

今年は、大阪で行われる"なみはや国体"への出場が目標であった。

冬の繁忙期を終えて、新たな気持ちで練習に打ち込んでいった。


身体の柔軟性は、以前に比べるとかなり向上はしてきたものの
肝心の走りの方は、なかなか思うように走れずにもがいていた。

ウェイトトレーニングをしなくなったから、
筋肉の硬化がすぐ取れるのかというとそんな生易しいものではなかった。
一生懸命に身体をほぐしているのだが、おもいっきり固めてしまった身体を柔らかくしていくのが大変であった。

特に、股関節と右肩関節の硬化が酷くて
自分でも分かるくらいに左右のバランスが悪かった。
一番固い部分は深部で、これがなかなか手強かったのである。

昼はトレーニングでほぐし、夜は家内に頼んで、足で筋肉をほぐしてもらった。

走る練習で上手くいかなかったのがスタート練習であった。
足の筋肉で力任せのスタートをしていた私が、骨盤と肩甲骨を活用したスタートに100%変えた。
伊東選手のように、スタートの構えを腰高にして体幹部を意識した重心移動を目指したいのだが
これが思うように出来なくて悩んでいた。

このスタートが上手くいくときは、何の力も要らないくらいに楽にスムーズに走れてしまい
そのまんま、ゴールまでスッ〜と走れてしまうのだが、
失敗してしまうと出遅れるばかりか顔が早々にあがってしまいブレーキがかかってしまい走りにならない。
もがき苦しみながら100Mを走るようになってしまう。

小山先生いわく、、、、

"スタートダッシュの1歩目が上手くいかない走りにゴールはない"

と言われるくらいにスタートダッシュの1歩目は重要であった。

中腰の姿勢で、3歩、5歩、7歩を強調したスタートダッシュを行った。
3歩強調で、30Mを目安に、5歩で60M、7歩で100Mを走る練習なのだが
本当に上手く、1歩目のスタートが切れると不思議なのだが、100Mまで吹っ飛んで走れてしまうのだ。
それは、まるで全自動で身体が動いてくれているかのような感覚なのだ。
正直に言うと、"止まれない"のと"止まりたくない"という気持ちになってしまうのだ。

3歩強調で、30Mしか走らないつもりで走るのだが100Mを楽に走り切ってしまう世界。

身体のバランス、つまり力点が上手く揃うと本当にスゴイ動作が出来るのだ。
中腰の姿勢では、そこそこ走れててもスタートブロックに一度足を置くと上手く走れない。
原因は、各関節と筋肉の柔軟性や可動域が固いため、楽に余裕をもって動けるポジションにいないのだ。


この型のスタートダッシュを一日も早くマスターしたかった。


時は経ち、5月の宮城県春季陸上大会を迎えた。

この日は、両親も家内も応援に来てくれた。
家内の前で走るのは、平成3年の全日本実業団以来であった。
固い身体を柔らかくするために一生懸命に手伝ってくれた家内のためにもいい走りをしたかった。

いつも様に、初動負荷トレーニングを入念にした後、基本動作もひとつひとつ確認していく。
走り方を180度変えての初試合に緊張感が増してきた。

予選は、緊張からスタートが上手く出来ず納得のいくレースでなかったが
準決勝で、上手くスタートが出来て、10秒86のタイムが出た。

好感触の走りに喜びが湧き上がった。

決勝では、記録を狙いすぎて逆に力が入ってしまった。
スタートは失敗し、走りの流れは最悪であった。

結果は、2位で準決勝の記録を上回ることが出来なかった。

まだまだ、再現性は低くかったが久しぶりに出たレースであり
走り方を180度変えての初トライにしては上出来と判断した。

久しぶりにレースを観てくれた両親や家内も大変喜んでくれた。

帰宅後、父と今後の練習や試合の計画を話し合った。
バブル崩壊後、飲食業界も不景気の波が押し寄せていた。
ワールドウイングに行くためには、そこそこの費用がかかってしまう。
しかし、父は何とか工面するから小山先生に指導してもらえと言ってくれた。

来月、神戸で行われる第45回全日本実業団に出場する前に
ワールドウイングで練習と調整をしてから望むことになった。


"スタートの不安材料を全て消し去り、最高の走りが出来るようになってこい!"


父の熱い言葉を胸に秘めて、ワールドウイングに向かう私であった。


肩甲骨や骨盤は、実にいろんな動かし方が出来る部分なのだが
筋肉を無意味に付けすぎると関節の可動域を妨げることになってしまう。

身体は、本当に面白くていろんな部分が繋がって動いてくれるのだ。

スポーツ選手にとって、ケガや痛みはもっとも避けたい事であるが
痛みを出している部分と、痛みの原因になっている部分は違うことの方が多い。

以前、走り高跳びの選手がアキレス腱痛で悩んでおられ、いろんな治療を受けたが一向に良くならかった。
治療内容も、アキレス腱に電気治療器を当てたり、針を打ったり、マッサージや湿布を貼るなどで
痛みが出ている部分に対しての治療内容であった。

この選手の場合、左足踏み切りで動作を行うために左足のアキレス腱が痛いと思っていたのだが
私が、内観力で観たところ痛みの原因は右腕であった。
ジャンプを行うときにアクセントをつけたいが為に右腕に力みが発生していた。

その力点のズレがバランスを崩す要因となり、結果的にアキレス腱に負担がかかっていたのであった。
もちろん、各個人の筋肉バランスは違うので全員同じ原因だとは限らない。
しかし、痛みを発生してしまう原因の部分を改善しない限り、改善していかないのである。

私の尊敬する一人である、桜井 章一さんの本にも書かれていたのだが
出版関係の方で、腰痛に悩んでおられる方を目にした時に、
腰痛の痛みの原因は、顔の歪みからきていると瞬時に分かり、
その方の顔の歪みを取り除いてあげたら、腰痛が治ってしまったと書かれていた。

桜井 章一さんは、"医学的なことは全く分からない"と仰っておられますが
なぜか、その人の身体を観た瞬間に悪い部分が分かると同時に改善方法も分かるという。


常識的な考え方だと、腰痛の原因が顔の歪みからきているなんて絶対に思わない。

だが、内観力で観れる人からみれば身体を観ただけで原因が分かるのである。
自分の身体を意のままに動かせるようになってくると相手の動作を観る目が変わる。


自分自身の身体との体話(対話)。
身体を動かすコツ(骨)を早く覚えて戴きたい。


次回の内観力は、『ワールドウイングでの"天国"と"地獄"』です。8月31日の予定です。

第25回 内観力 『初めて知った、"力点の世界"』


二度目のワールドウイングで、充実したトレーニングを終えて仙台に戻った。

今回の指導を受けたことにより、各トレーニングが何のために行うトレーニングなのか理解することが出来た。
そして、今まで信じて行ってきたストレッチなどで柔軟性が高いと思っていたことが
実は、何の意味も持たないことを改めて痛感したのであった。

実動作における身体の動きに合った、筋肉や関節の柔軟性や可動域が向上しなければ
本来、シンプルに動いてくれるはずの身体が動いてくれなくなることも分かってきた。


また、誰よりもパワーアップしてきたと思っていたが筋肉が多少付いた話であり
付けた筋肉を"筋出力"として使いこなせるレベルにはいなかったのである。

"ゼロ"からのスタートではなく、"マイナス100"くらいからの再スタートであった。


ワールドウイングで習ってきた事を仙台で早速行った。

まず、初動負荷マシーンがないために代わりのトレーニングを考えなければならなかった。
宮城野原陸上競技場の2階にある、トレーニングルームにある器具を上手く利用しながら
身体をほぐすことを重要視した。

昔のトレーニングの流れであれば、
ジョギング、体操、ストレッチ、流し、スパイク流し、スタートダッシュ、という流れであったが
今は、初度負荷トレーニング、ウォークラン、スタートダッシュの流れになった。

なぜ、ジョギングをしなくなったかといえば
ウォーミングアップで身体をほぐすために行っていたはずのジョギングが
実は、筋疲労を蓄積させ、身体の柔軟性が低下してしまうことが分かったからだ。
(この時点での、私の能力では正しいジョギングをする事が出来なかった。)

一連のほぐし動作を終えた後に、走る練習をするのだが
中々、上手く走ることが出来なかった。

理由は分かっているのだが走れない、、、、

長年、染み付いてしまった走りの"癖"が新しい走り方の動きと"ケンカ"するのである。

地面を一生懸命にキックしてきた走り方から、地面に足をそっと置くだけの走り方に変えたいのだが
頭では理解していても実際の動作では再現するのがとても難しいことであった。
また、私の場合は膝伸展で前方移動させようとするタイプの走り方だったのを
今度は、股関節伸展で前方移動させる走り方に変えなければならなかった。

すぐに出来ないことは分かっていたのだが
根っからのスプリンターの性格の私であった為に苛立ちを隠せなかった。


そして、三度目のワールドウイングに訪れる日が近づいた。

体重も元に戻り、教えて頂いたトレーニングメニューもこなした。
更なる高みを目指して取り組んでいく意気込みだけは衰えずにあった。

今回の訪問で、特に力を入れたかったことは
トレーナーのTさんの治療を受けて、各関節の柔軟性や可動域を向上させたかった。
かなりの苦痛は百も承知であったが、一日でも早く元のいい状態に戻したかったのである。


久しぶりに使う、初動負荷マシーンの効果と自分なりに行ってきたトレーニングの効果が出てきたのか
段々、筋肉や関節の柔軟性や可動域が向上してきたのであった。

トレーナーのTさんのところに行き治療をお願いした。

全身の筋肉をチェックした後にTさんから出た言葉が

"松村さん、以前に比べるとだいぶ柔らかくなりましたね! これなら、、、、、"

と、話終わると同時に、あの猛烈な痛みが背中を走りだした。
痛みをこらえながらも肩甲骨周りの筋肉がほぐれていくのがすごく分かった。
そして、左の肩甲骨周りをほぐして頂いたときにTさんから

"じゃ〜 ちょっとやってみますか!"

と言われた矢先に私の左の肩甲骨周りにTさんの足先が侵入してきた。
かなりの痛みがあった後、不思議な感覚が身体の中を駆け巡っていた。

肩甲骨って、こんなにも動くものなのか?

Tさんに言われて、一度起きてから左腕を回してみたのだが
腕がないくらいに軽く回る、しかも大きく大きく回るのには驚いてしまった。

この時、生まれて初めて、肩関節に腕がぶら下がっている感覚を確認することが出来たのであった。

Tさんいわく、まず第一段階はクリアしたそうだ。
右側も同じくらいになれば、かなり動作が変化してくるらしい。


肩関節も股関節も両方固かった私であったが希望の兆しがみえてきた。


走る練習においては、また小山先生からいろんな事を教わった。

体幹部からの移動が中々スムーズに出来なかった私に課せられたトレーニング法が
両手で足首を掴みながら歩くトレーニングであった。

最初、平坦な場所で行ってみるのだが中々前に進んでくれない。

私の動作を見て、小山先生は、、、、

"今のタッ君の動作そのものを表現しているよね!"

まさに体幹部始動ではなく、末端部始動の動作であった。
それに付け加えて、体幹部の柔軟性や可動域がまだまだ出来ていないために
肩甲骨や骨盤を上手く動かして動作を作ることを邪魔していたのであった。

他の選手達が走る練習をしている横目で私はこの動作を何本も繰り返していた。

ようやく、小山先生から声がかかったので走る練習が出来ると思いきや
今度は、競技場の観客席(芝生)の坂の傾斜を利用して何本も行うようにと言われた。


坂の傾斜を利用することで重心の移動が楽に出来るので
今まで行っていたスピードよりも速くできるようにする事とアドバイスを受けた。

何で俺ばかり、、、、
という気持ちはあったのだが初めてみると面白いくらいに前に進んでくれる。
しかも、昇りの坂道なのに加速するように昇れるから不思議であった。
本数をこなしていくうちに、身体の方も段々ほぐれてきたのか大きく動けれるようになってきた。

かなりスピードアップして動けるようになった私の姿を見て
小山先生から改めて声がかかった。

"じゃ〜 タッ君 走ってみようか?"

やっと走れると思うと嬉しかった。
あまり、何も考えずに自然に走ってごらんと言われて走ったのだが
今までに経験したこともない走りに、走りながらビックリしてしまった。

こけそうなのにこけない走り。

体幹部が前に出て、脚が後から付いてくる走り方になっていた。

今までの走り方と比較するならば、明らかに脚が遅れて接地している感覚であった。


小山先生は、私の顔を見てニッコリと笑った。

"今の走り方を忘れないでね!"

しかし、再現性は、まだまだ低い私であった。


現在、私が指導をする時に一番重要視していることは『力点の位置』である。
まず、立っている姿勢を観ただけで、その人の重心の位置や力点のズレが分かる。
本人は、気付いていない場合が多いのだが肩関節や股関節の位置関係で力点の位置が変わってしまうのだ。
重心のラインが揃っていないだけで、実際の動作はかなりロスしてしまうことになる。


私はよく、"10円玉〇個分後ろだよ!"と表現することがあるが
そのわずかな力点のズレがあるために、いい動作が出来なかったり、ケガの原因になる場合もあるのだ。
どんなスポーツにおいても、前後左右に動くときに、『力点の位置』が揃っていないといい動作が出来ない。
各力点を揃えていくために必要なことは、筋肉を固めるトレーニングをさけて、筋弾力性を高めることと
関節の可動範囲を広げていくトレーニングの構築が絶対に必要になってくる。

陸上選手の場合、スタートダッシュや走りにおいて注意して頂きたいことは、
必ず、膝位置よりも鳩尾の位置が前であれば、力点の関係で重心移動が出来て自然と前方移動できる。
もちろん、これらのことを可能にしていく為には背中の筋肉群の柔軟性が高いことが要求されてくる。
なぜならば、お辞儀をしたような姿勢でずっと走れる訳ではなく、直立の姿勢であっても楽に力点の位置が前でいられれば
中間疾走から後半の走りにおいても無駄のないいい走りが可能になってくる。

『力点の世界』が面白いのは、周りからみれば止まっている様にしか見えないポーズが

実は、身体の内側では、いつでも100%の力を出せる状態になっていることである。


このことは、各スポーツ選手の構えを観ただけで分かる。
野球選手の場合、ピッチャーであれば力点を揃えて、自分の身体の重さを活用でき、しかも地面反力を使える選手であれば
何球投げたとしても、球威の衰えは少ない上に、身体へのダメージも少なく済むのが特徴であるが
逆に、力点を揃えることなく、身体の体重を使わずに筋肉で行おうとした場合は、
いい球を投げ続けることが出来なくなるばかりか、身体へのダメージは目を塞ぎたくなるくらいに受けてしまう。
当然、ケガをしてしまうことに繋がってしまい、いい事など何もないのだ。

しかし、古武術の世界になると、この『力点の世界』を遥かに超えている。
とても、言葉では言い表せないスゴイ世界がここにはあるのだ。

上には、上があるというだけの話である。


次回の内観力は、『試行錯誤の連続の日々』です。8月20日の予定です。

第24回 内観力 『次々に変化していく私の身体』



1996年は、アトランタオリンピックの年である。

6月に行われた、日本選手権で代表選手が選考された。

注目は、男子100Mで、10秒14の日本記録を出した朝原 宣治選手と
200Mで、20秒29の日本記録を出した伊東 浩司選手の二人であった。

両選手とも、本番で力を出せれば準決勝に進出できるタイムを持っている。
あわよくば決勝進出が期待できる。

日本人でも、世界に通用することを結果として是非、出して欲しいと心から願った。


世界レベルの走りなど、今の私には到底できない事は百も承知であったが
ただ、ただ、自分の走りのみを極めていこうと、小さい願いかもしれぬが
一人、鳥取へ向かっていた。

約8ヶ月振りに、ワールドウイングを尋ねた。

久しぶりに再会した小山先生のお顔を見て嬉しくなった。

まず、いろんな諸事情をお話した後、
トレーニングが出来ていない現状も正直にお伝えした。
その上で、目指していきたい目標もお話した。

しかし、小山先生は笑顔で一言、、、、

『大丈夫だよ! タッ君! 初動負荷トレーニングは、短期間で回復出来るから心配しないでいいよ!』

と、言ってくれた。


まず、取り組んだのがベスト体重に戻す為の食事療法とサーキットトレーニングであった。

食事療法といっても、昼食だけバナナにして軽い食事にするだけなのだが
これが以外にも即効性があり、その変化の仕方には正直に驚いた。

サーキットトレーニングは、かなりしんどいのかと思いきや、
通常のトレーニングとは全く異なり、いかに息を上げずにやるかが問われるという。

いや、もっと正確に言えば、"息の上がらないトレーニング"と言うべきかもしれない。



初動負荷マシーンと初動負荷トレーニングは、効率よく身体を動かす為に
息が通常のトレーニングよりも上がらないので長時間のトレーニングも苦痛にならないのである。

しかも、トレーニングを行えば、行うほど身体が軽くなっていくばかりでなく、
柔軟性や可動域が向上していくので究極の有酸素運動だと思った。


この時、サーキットトレーニングの中に、"腹筋1000回"のメニューがあったのだが、
普通の腹筋と違うところが、いかにお腹に力を入れないで1000回行うかがポイントなのだ。
お話しながら、または、歌を歌いながらでも行える状態でと言われ仰天してしまった。



となりで、同じメニューをしていたのがボクシングの世界チャンピオンの井岡 弘樹選手であった。

こんな腹筋をして、本当に身体に効果が出るのかが心配であった私は、
思いきって、井岡選手に聞いてみたのだが、、、、

"大丈夫ですよ! この腹筋の方が私のパンチ力もスピードもアップしましたから!"



その答えの意味は、1000回の腹筋が終わった後、
歩き始めた数歩で私の身体の変化で納得してしまった。

"滑らかに、しかも楽に歩けれる、、、、なぜ、、、、????"


一通りのトレーニングが終わると、治療室に行くようにとスタッフの方に言われた。

ケガもしていないのに、何の治療をするのだろうか?

意味も分からないまま、治療室に行くと、先客が居て悲鳴を上げていた。
不適な笑みを浮かべながら、Tさんは足で黙々とうつ伏せに寝ている選手を踏みつけていた。
あまりにも予想外の展開に驚いてしまい、息を潜めながら見ているしか他なかった。

そんなに強く踏まれている訳ではないのだが、
受けている側の選手は、悶え苦しむ声を必死で押し殺して
その痛みに耐えているのであった。

きっと、痛みに弱い人なんだろうな、、、、

と、甘い考えでいた私だが、実際に受けてみると、例えようがない痛みに絶句してしまった。
痛いなんてもんじゃない、拷問かと思ってしまうくらいに痛くて痛くて耐えられない。


あまりの痛さに涙が出てきた。

"じゃ〜、一回、起きて動いてチェックしてみて〜"

と、Tさんに言われたが恥ずかしながらあまりの痛さに即座に立てなかった。
放心状態にも近い状態であったが、なんとか立ち上がり動作をしてみると

"俺の身体って、こんなに楽に動けるのか?"

Tさん曰く、硬化した筋肉をほぐす事により、
肩甲骨や骨盤周りの可動範囲が広がり、動作を行うのが非常にスムーズになるという。



つまり、私が放心状態になるくらいの痛みがあると言うことは
それだけ、余計な筋肉を付けてしまったせいで関節の可動域を狭めてしまい
その上、筋弾力性が失われ、硬化してしまったことで様々なケガをしてきたこという事だ。

"この痛みが消えるまで、元の身体には戻れないのか、、、、、"

身体は、物を言わぬが
今まで、とんでもない鍛え方をしてきてしまったせいで
こんなにも動けない身体にしてしまっていたとは夢にも思わなかった。

今度は、自らTさんに深々と頭を下げて、

"どんな痛みにも耐えてみせますので、どうか元通りの身体にして下さい!"

と、お願いした後、うつ伏せになり治療を再開してもらった。

痛みの中、またもや過去に行ってきた様々なトレーニングが頭の中を過ぎっていた。
おかしい、絶対におかしい、今までのトレーニングの結果がこの痛みなんて、、、、
痛みと悔しさが入り混じった涙を流しながら苦痛と一人戦っていた。



今もなお、ウエイトトレーニングや腹筋・背筋・腕立てなどの補強をやる選手が後を絶たない。

鏡に映る、筋肉で逞しくなった身体を見て、嬉しくなる気持ちは私自身もよく分かる。


しかし、スポーツ選手の場合、必要な筋肉だけで十分なのである。

筋肉を付ける前に、まず自分自身の身体の重さ、つまり体重を上手く活用することが先決だ。
この研究レポートが進むにつれて、身体の重さの使い方を書いていくことにはなるのだが
それ以上に大切な事は、動ける身体作りのためには、身体の中心部から動かしてほぐしていく事である。

肩甲骨や骨盤を中心とした、関節や筋肉の柔軟性や可動域をアップさせる事が重要なのだ。
(末端部を制御することにより、体幹部を中心に動かしながら身体のバランスをアップさせる方法が骨整体の基本になっている。)
手足の末端部の筋肉よりも体幹部の巨大な筋肉を使いこなす方が計り知れない力を生み出すことが出来るだけではなく
身体全体のバランスアップや筋出力の出方が想像を遥かに超えた世界がそこにはある。



ラダーを使って、ちょこちょこ末端部で速く動けても体幹部からの出力で速く手足を動かすトレーニングをしていかなければ
本来の身体機能を生かした素晴らしい走りはけっして出来ない。
ベンチプレスをいくら挙げようが速く走ることに繋がる確率は非常に低いのである。

逞しくなった身体と引き換えに、滑らかな動きが出来なくなり、首や肩、肘や背中、腰や足に痛みが出てもなお無視し続け
スポーツ選手に、"ケガは当たり前"、"ケガをして一人前"、"痛みを堪えてこそ一流の証"など言われているが
身体の悲痛な叫び声を一日も早く聞き取ってあげて改善して欲しいと願っている。

なぜならば、身体に負担のかかるトレーニングを行うということは活性酸素を大量に排出している事実がそこにあるからである。
スポーツ選手が、自分の栄光や夢のために命を削られることはおかしな話である。
現役時代は、まだまだ若いから気にもならないであろうが中高年になると健康状態に明らかに差が出てきてしまう。
(身体を活性酸素の害から守るために、TOPSENSE商品は開発された。)

本来、いいトレーニングをすると身体は喜び、益々、いい動作が出来て、健康な身体になるはずである。
私が、スポーツケア整体研究所を開設した理由は、結局、普段行う動作から見直していかなければ根本的な解決にはならない事にある。
動作をより良くして、身体に負担がかからず、健康的にも身体を害さないことが絶対に必要なことなのである。
痛めた結果、その部分だけを治療して治ったとしても動作は改善されていない訳だから、また同じケガで悩み苦しむことになる。
どう考えても、日常の生活やトレーニング中の動作を改善してあげなければ結局苦しむのは本人なのだ。

スポーツが、本来の姿に戻る日を祈願してやまない。



次回の内観力は、『初めて知った、"力点の世界"』です。8月10日の予定です。


第23回 内観力 『もう一度走りたい、、、、』

ワールドウイングでの指導を終えて、愛知県豊田市の彼女(今の家内)の家に行った。



久しぶりに会い、結婚式の話をしに来たのにも関わらず
話すことは、ワールドウイングでの出来事ばかりであった。
正確に言うと、話さずにはいられなかったのだ。

帰りの電車の中で、悔しくて泣いていたのだが
やがて、今まで行ってきたトレーニングがいかに間違っていたのかを知ってしまった事で
かなりのカルチャーショックを受けていたのであった。

誰よりも努力してきたことが間違いだったなんて、、、、

この押さえ切れない気持ちを彼女に話すことで
自分自身の気持ちを整理したかったのだと思う。

この二日間という短い時間の間に、
天と地がひっくりかえったような経験をしたのだから無理もない。

当時の私のレベルでは、許容範囲を遥かに超えてしまい
経験したことを全て理解できる能力はまだなかった。


仙台に戻り、現実の仕事に戻った。

父には、ワールドウイングに行かせてもらった御礼を述べたが
自分の心の整理がつかず、深い話が出来る状態ではなかった。
ただただ、すごいトレーニングを指導してもらったと伝えるのが精一杯であった。


私は、一人、迷っていた。


今まで、記録が伸びずにケガばかりしてきた理由が
一生懸命に取り組んできたトレーニング方法に問題があった。
また、その事実を理論的にも実動作においても理解できた。

プラス100を目指してきたつもりが、マイナス100になっていたとは夢にも思わなかったからだ。

いつもの私ならば、すぐさまトレーニングをいちからやり直していたのだが
いろんな事が頭によぎってきて躊躇していた。

まず、来年4月に結婚することが頭にあった。
年齢も28歳になり、いずれ、子供も生まれてくるだろう。
家庭を持つと同時に、一家の主として立派にやっていかなくてはならない。
幸い、父の体調も日に日に良くなっていたが長男として会社の二代目として
仕事も今まで以上にしていかなくてはならない。

30歳を目前として、いちからやり直して果たして間に合うのだろうか?

そこまでして、もう一度日本一を目指す意味があるのか、、、、?

引退の花道に出場させていただいた福島国体で終わればいいのではないか、、、、?


一人、悩んでいる時に、小山先生からお手紙を頂いた。

その手紙を読み、嬉しくて泣いてしまった。
目を閉じながら、ワールドウイングでの出来事を思い返していた。

"再会を楽しみにしているよ! タッ君!"

心の中で、小山先生に詫びていた私であった、、、、


様々な想いが溢れてしまい、どうしてよいのか分からなくなってしまっていた。


年が明けて、平成8年4月20日 妻 加奈子と結婚式を挙げた。

その後、新婚旅行に旅立った。


新婚旅行から戻ってきた時には、陸上のシーズンインになっていた。
悩みながらも結果を出せずじまいの私であったが気分転換にと思い、春季陸上大会を見に行くことにした。

宮城野原陸上競技場で、福島国体以来にお会いする方々に結婚のご報告をしていた。

少々、太った顔を見られてては、"幸せ太りだね!"と冷やかされていた。
そんな中で、柴田高校の松阪先生にワールドウイングの事を聞かれた。

平成13年に宮城国体があるので、それを見据えて小山先生の指導方法を聞いてこられたのであった。

今まで、目を伏せていたことを松阪先生に突然聞かれた事で
一瞬、変な気分になったのだが不思議なことに数秒後には実技を交えながら話し込んでいた。
説明しきれないことも多数あったのだが、気が付いてみればワールドウイングでの素晴らしいトレーニング内容を
熱弁している私の姿がそこにあった。

松坂先生との話が終わった後、
室内練習場でウォーミングアップをしている選手達を見ていた。

念入りにストレッチをする選手、、、、

これでもかと、力任せに地面にキックして走る選手、、、、

出場しない選手達が、見慣れた腹筋、背筋、腕立てを行っている、、、、


心の中で、『それは、みんな間違っているのだぞ〜、、、、』と叫んでいた。


みんな真剣な顔をして取り組んでいる。
その光景を見て、自分自身のことを見ているようであった。
何か、物凄い切ない気持ちが込み上げてきた。

"違うんだ〜、そうじゃないんだ〜、こうしないといけないんだ〜"

言葉に出せない気持ちが一杯になってしまった時に、
普段着にも関わらず、小山先生に指導していただいた事を思い出しながら小走りに走り出した私であった。
久しぶりに走るトラックの上で、自分の本当の気持ちが噴出してきてしまった。

自宅に帰ってから、まず家内に胸の内を打ち明けた。

『もう一回、走りたい、、、、』

"やり切れるかどうかは、やってみなければ分からない。
 しかし、今、陸上をやめると一生後悔すると思う。
 小山先生と出会えて本当に求めていかなければならない事をやっと知ることが出来た。

 もう一度、最高の走りでおもいっきり走ってから辞めたいと思っている、、、、"

私の真剣な想いを分かってくれた妻は、

『あなたが、納得するまで走ればいいよ!』

と言ってくれた。


翌日、事務所にて父にも想いを聞いてもらった。

その際、小山先生から頂いた手紙も父に見せた。
正直、無理だろうと思っていた私であったが、
思いもよらぬ返事が返ってきた。

"先日、高校の同窓会に行ってきたんや、久しぶりに仲間と会って楽しかったわ〜。
 来年、大阪で国体があるという話になってな、息子さんは走らないのか〜と聞かれたんや、、、、
 卓が、もう一辺、走りたいっていうんやったら大阪国体目指してがんばったらええやないか!
 卓が、まだ伸びる可能性があると言ってくれているのなら出来る範囲で援助したるから、
 小山先生のところに行って、しっかり指導を受けてこい!"
 

父の言葉を聞いて、嬉しくて嬉しくて涙が自然にこぼれた。


居ても立ってもいられなくて妻に報告した後、
早速、ワールドウイングの小山先生にお電話した。
小山先生も大変喜んでくれた。


もう一度、もう一度、最高の走りをするんだと心に決めて
再び、ワールドウイングに向かう私であった。


しかし、これから歩む道は、相当険しい道になることをまだ知らないでいた、、、、



次回の内観力は、『次々に変化していく私の身体』です。7月31日の予定です。

第22回 内観力 『今までやってきた事は一体何だったんだ?』

平成7年11月13日

鳥取県にある、ワールドウイングの門を叩いた。

スタッフの方に、1泊2日の合宿内容の説明を受けた後、
早速、着替えてジムへ移動した。

まず、骨盤周りと肩甲骨周りの柔軟性をチェックするという。

言われる通りに、ポーズをとろうとするが全然できないのである。
特に、骨盤周りは固くて情けないくらいに動かなかった。

記録用紙に記入されていく度に、まるで、重症の病人にでもなった気分であった。

次に、今まで行ってきたトレーニングが、いかに筋肉や関節に負担をかけてしまい
柔軟性や可動域が悪くなってしまうのかを体験することになった。

ある、マシーントレーニングをした後に、柔軟性のチェックをすると完全に身体が固くなってしまった。
それだけではない、身体を動かそうとすると痛くてたまらないのである。

今度は、小山先生が開発された初動負荷マシーンでトレーニングをした後に、
柔軟性や可動域のチェックをしてみたら、柔軟性はアップしているし、可動域も広がっている。

何よりも、身体が楽に動くのである。

ワールドウイングに来る前まで、穴があくほど本を読んでいたが、やはり、"百聞は一見にしかず"である。
今までのトレーニングでは、動作の終盤に力が入りすぎて筋肉や関節に負荷をかけすぎてしまうことが原因で
関節や筋肉の柔軟性や可動域が悪くなってしまう。初めての経験で『終動負荷トレーニング』という言葉の意味を知った。

小山先生が、開発された初動負荷マシーンは、動作の最初に負荷がかかるように工夫されていて
初動作で力を入れた後は、力がこもることもなく流れるように抜けていくのだ。
体幹部を意識して初動させて、生まれた力を手足などの末端部にスムーズに流す、画期的なマシーンであった。

しかし、今まで私がやってきたトレーニングは、紛れもなく終動負荷トレーニングであった。

それも、重さに拘り、最大筋力を求めたやり方である。
そして、"補強"といわれる腹筋、背筋、腕立ても誰よりも行ってきたが意味がないという。
極めつけが、"ストレッチ"も筋肉の特性を考えるとやらない方がいいと言われた。

"私は今まで、何をやってきたというのだ!"

本気で日本一になりたくて、真剣に行ってきたトレーニングやストレッチが間違っていたなんて、、、、
やってきたトレーニングメニューそのものがケガの原因になっていたなんて、、、、
私の身体が真実の答えを知った瞬間から、目の前が真っ白になっていった。

怒りにも似たこの感情を消す事が出来なかったが、これらの事は、ほんの序章にすぎなかったのである。


一連のトレーニング指導が終わろうとしていた時に、小山先生がジムに現れた。


"遠路遥々、よく来てくれましたね! 小山です。よろしく!"と笑顔で挨拶してくれた。

私も、『仙台から来ました、松村 卓です。よろしくお願い致します!』と挨拶をした。



"卓(たかし)君だね、じゃ〜今日から、タッ君って呼ぶね!"とニックネームをつけてくれた。


挨拶が終わった後、私は早速、小山先生に質問をしてみたいと思っていた。
聞きたいことは山ほどあったが、この短時間で更に聞きたいことが倍以上に膨れ上がっていたため
何からお聞きすればいいのか分からない状態になっていた。

深呼吸をした後、勇気を振り絞って小山先生に質問をした。

"不破さんに福島国体でお会いしたときに、スパイクのピンが〇〇の部分には付いていなかったのですがなぜですか?"

この質問に、小山先生は、、、、、

"F1レースで走っているタイヤって溝があったかな?
ないよね、あれはスピードを競うものだから摩擦抵抗を少なくしてブレーキがかからないようにするために溝がないんだ。
しかし、冬タイヤなんかは溝が深いよね!昔あったスパイクタイヤなんかは凍った道路に引っかかりをつけることにより
摩擦抵抗を増して、ブレーキがかかりやすくするためにあるんだよね!

じゃ、タッ君の100Mも速さを競う競技であればスパイクのピンは必要かな?

これから、トレーニングを経験していけば分かってくることなんだけど
軽く押さえる程度というか、雨の日のレースもあるから滑らない程度の引っかかりがあればいいんだ!
問題なのは、せっかくいい走りをしたとしてもスパイクのピンが接地の際に抵抗を強くしてしまって
その時に起こる、筋肉の逆収縮によってケガをしてしまうことなんだ!"

小山先生の答えを聞いた私は愕然としてしまった。

私が常時、スパイクに付けていたピンは長くて太かったのだ。
地面に対して、キック力を伝えて推進力をアップさせるためにスパイクのピンがあるものだと思っていた。
力強いキック力のために付けていたスパイクのピンが、ケガの原因になっていたとは思いもよらなかったのである。

その後も、いくつかの質問を小山先生に投げかけてみたが
かえってくる答えは想像もしていなかった答えの連続であった。

聞けば聞くほど、落ち込んでいく私であった。


この日の夕方の練習で、布勢陸上競技場のサブトラックで指導を受けた。

私の走りを観た、小山先生から言われたことが、

"タッ君、地面を強く叩きすぎているね、地球と喧嘩しちゃダメだよ!
 後、腕を振りすぎてバランスを崩してしまっているから腕をあまり振らない方がいいな!"

小山先生が言うには、私の走りはブレーキをかけながら走っているのと同じだという。


私が速く走るためにしている動作が、実はブレーキをかけてしまっているためスピードが出なくなっているらしい。
特に、接地時に間違った動作をしているため筋肉に負担がかかり肉離れが起こるのだと指摘された。

どこに行っても、誰に聞いても分からなかった、私が怪我をする原因を
私の走りを観ただけで、弱点を見抜き、しかも対処法まで教えてくれたのは小山先生が初めてであった。

いくつかの修正点を指摘され、改善方法を指導して頂きながら動作改善を繰り返した。


この時は、訳も分からない状態で、ただひたすら小山先生の言われたことを忠実に再現しようと努めた。
何本かに1本は、あれっと思うほどスムーズに加速していく走りができる時があった。


接地時に、強く地面を押さないで走る方がスピードが出て、怪我の防止にも繋がることや
腕振りを強調しすぎると走りのバランスが崩れてしまいスピードを低下させる原因になってしまうこと
そして、骨盤だけを動かすのではなく、肩甲骨と骨盤の連動によって体幹部初動の動作を作り、
末端部である手足に動力を伝える動作を求めていった方が良いことを学んだ。

今まで走ってきた走法を、今日一日で180度変えることなど出来る訳がない。

しかし、染み付いたクセがある中でも、私の身体が時折見せてくれる素晴らしい動作に

言葉の例えようがない嬉しさがそこにはあった。

身体の動かし方を変えるだけで、こんなにも違う動作になるのか?

この動かし方で完璧に走れたら、どんなタイムで走れるのだろうか?

私の身体は、動かないのでは決してなかった、いや、動けない身体にしてしまっていたのだ!

いつしか、"もう一度、走りたい"という気持ちが強くなっていた私であった。


練習終了後、小山先生はニコッと笑いながら言った。

"タッ君、まだまだ速く走れるよ!"



12年間、陸上競技をやってきた。

もう引退をしようかとも思っていた。
本気で日本一を目指して、誰よりも真剣にトレーニングに打ち込んできた。
度重なる怪我に泣いて、その度に最適なケア方法やトレーニング方法を模索しては実行してきたが
納得できる結果は得られない日々が続いていた。
しかし、小山先生にお会いして話を聞いて実践していく度に、私の身体の反応は以前のものとは全く違う反応をしていた。
まるで、身体にかけていた封印を解いてくれたかのように、身体が喜んで楽に動いているのが分かった。
ストレッチも補強も、そしてウエイトトレーニングも日本一になるために一生懸命やってきたことが
私の走りを滅茶苦茶にし、挙句の果てには怪我をするのが当たり前の身体になってしまった。
その瞬間に、今まで指導を受けた方々の顔が走馬灯のように浮かんできた。

この責任は、一体誰が取ってくれるのであろうか?

青春をかけて、真剣に取り組んできたトレーニングが間違っていたなんて、、、

そんな馬鹿げた話がどこにあるというのだ!



この日の夜は、眠ることが出来なかった。


合宿2日目 11月14日。


いろんな想いが頭の中をよぎっていたが、今は、出来るだけ小山先生のトレーニング法を吸収しようと決めた。
午前中は、初動負荷マシーンを中心としたトレーニングを行いバランスアップに努めた。

不思議なのが、初動負荷マシーンは行えば行うほど身体の柔軟性がアップしていくし、

身体が軽くなり、動作が楽に出来るようになるのだ。

昼食、休憩後、午後のトレーニングを開始した。

こちらに来て、かなり身体がほぐれてきたせいか今までに感じなかった身体の軽さを感じていた。
午後からも、基本トレーニングである初動負荷トレーニングをマシーンや補助道具を利用して行った。
夕方の電車の時間まで、少しあったので近くの交通公園で小山先生に走りを観ていただくことになった。

身体のバランスが良くなってきたのか、昨日の走りよりもいい感じで走れるようになっていた。

なぜ、良くなったのかを説明せよと言われたら、この時の私のレベルでは何ひとつ答えられない状態だが
言葉には出来ないのだが、明らかに身体感覚で感じ取っているものは、その違いを分かっていた。
(この疑問点は、後日、膨らんでいく一方であったが、、、、)

私の走り方に変化が現れてきたのを観た小山先生が、

"タッ君、延長、延長しよう!"と仰った。

『延長?』という意味がわからない私に、

"指導日の延長をしなさいと言うことですよ!"

と、他の合宿参加者の方から教えて頂いた。

せっかく、変化し始めてきた走り方や身体バランスを定着させたいという小山先生の想いであったが
この後、名古屋に移動して結婚式の打ち合わせなどがある関係で無理であった。
そして、偶然にも、今日は小山先生のお誕生日であったから夜にパティーがあって楽しいんだよと常連の方が教えてくてた。
後ろ髪を引かれる想いであったが、最後の1分、1秒まで指導を受けて名古屋に移動する事を決めた。

中腰の姿勢からダッシュをするトレーニングを何度も繰り返していた。

今まで、足の力で地面を押して前に前に進もうとしていたのだが
小山先生に、体幹部の重さと可動域を利用したダッシュの方法を教わった。
どうしても、今までのクセが出てしまい、なかなか素直に動作が出来ないことの方が多かったのだが
時折、自然に出来るときは、驚くほど前に進んだし、疲労度が全然違う事にまた驚いた。

いい走り方が出来たときは、息の上がりがなく、柔軟性もアップしている。
一番、すごいと思ったのは、まったく力を使っていないのにも関わらず走れていることであった。
しかも、すごいスピードで走れているのに疲労感も努力感もないのだから
今までの走り方では、怪我をしたり、スピードが出ないことが体感を通じて理解できるようになった。

電車の発車時間、5分前に時計に気付いて慌てて小山先生に御礼を述べた。

"また、必ず来てね、待っているよ!タッ君!!"

小山先生と握手をして、スタッフの方に鳥取駅まで車で送っていただいた。
ダッシュで階段を駆け上がり、電車に乗ることが出来た。
しかし、呼吸が落ち着いてきた頃から、ワールドウイングでの出来事を思い返していると
自然に、涙が流れ落ちてきた。
となりの方に見られないように外の景色を見ながら泣いていた。
その涙は、次第に過去の私が取り組んできたことを想いだしてしまい悔し涙に変わっていった。
どうにも治まりがつかないのでバックからバスタオルを出して、頭からかぶり目頭を押さえながら涙が出なくなるまで待った。
生まれて、こんなにも泣いたことがあっただろうかというほど泣いてしまった。
"後悔"の気持ちがあまりにも強かったのが尾を引いた。

もっと、早く、小山先生にお会いしていれば、、、、、

この気持ちを消す事が、しばらくの間できなかった。

複雑な想いを胸に持ちながら、名古屋に向かった私であった、、、、、




次回の内観力は、『もう一度走りたい、、、、』です。7月20日の予定です。

第21回 内観力 『伊東 浩司 選手が試合前にスクワットをしている、、、、?』


6年振り、3回目の国体出場に向けて練習にも自然と熱が入った。

試合まで、1ヶ月ちょっとしかないので練習メニューも再考した。
ケガをしないように出来るだけ本数を少なくして、集中して行うようにした。
また、今年はレース数が少なかったため所謂"場慣れ"をしていないのが気になっていた。

練習での走りは、常にレース展開を意識しながら走るように心がけていた。

試合が近付くにつれ、いい緊張感も増してきた。
走りの方も、得意のスタートダッシュから70Mくらいまでの走りは、いい時の走りに戻ってきていた。
後は、後半の30Mをいかにスピードキープ出来るかで戦えるかどうかが決まる。

欲を言えば、もう1ヶ月位は欲しかった。

宮城県の国体合宿も無事に終わり
6年前に着たユニフォームから新調されたユニフォームを頂いた。
『宮城』のネームを見つめながら、いろんな気持ちが込み上げてきた。


平成7年10月15日(日)〜10月19日(木)

第50回国民体育大会秋季大会陸上競技が福島県の県営あづま陸上競技場で行われた。



私達は、10月14日(土)に現地に入りして、サブトラックで軽い練習で汗を流した。


プログラムを渡されて、成年男子A100Mの自分の名前を探していると
なんと、1組目の3コースで、となりの4コースに伊東 浩司選手が居るではないか。


今、日本の100Mで最も注目されている伊東選手と予選で走れる!

負けるのは百も承知だが、せめて得意のスタートで飛び出してやり
少しでも彼の前を走ってやるぞと闘志が湧いてきたのであった。

そして、翌日の10月15日(日)。

試合の前日だ。
念入りにウオーミングアップをして身体をほぐしてから
芝生の上で軽い流しをして足の動き具合を確認してスパイクを履いた。

跳躍のコーチで同行されていた佐久間先生に
スタートダッシュを見て頂けないかとお願いをして動作のチェックをしていただいた。


"スタートから加速走に入る流れはいい感じだと思うよ!"

と言われて胸を撫で下ろした。
自分の感触としてもいい感じの走りが出来たので安心してスパイクを脱いだ。
気持ち良くクールダウンをした後に、不破 弘樹さんを見つけたので挨拶に行った。

ところが、近付くにつれ、不破さんが妙な動きばかりしている事に目を奪われた。

今まで、見たこともない動作、、、、
しかし、当の不破さんは真剣な眼差しで黙々としているのだ。
不思議そうな顔をして見ている私を見つけた不破さんから、『久しぶりだな〜松村、調子はどうだい〜?』と声をかけられた。

"不破さん、さっきからされている動作は何ですか?"

と興味津々の私の質問に対して不破さんは、『内緒〜』の一言で終わってしまった。

そうこうしている内に、不破さんがスパイクを履こうと袋から取り出された時であった。


たまたま袋からスパイクが落ちてしまい、私の前に転がってきたので拾い上げて不破さんに渡そうとした時に
不破さんのスパイクを見て、私は素直にこう言ってしまった。

"不破さん、スパイクのピンが取れていますから、私がつけてあげましょうか?"

と不破さんに言ったところ、、、、、

"それは、わざとつけていないんだ〜"

と言われてしまい、面食らった鳩の状態になってしまった。

(スパイクにスパイクのピンをつけないで走っても何の意味もないのではないか?)

沈黙の時間の後、理由を知りたい私は、不破さんの顔を食い入るように見つめながら答えを必死で求めていた。

私のひつこさに根負けした不破さんから出た言葉は、
『いや〜俺も最近、伊東選手が通っているワールド・ウイングに通っているんだ。松村も習いに行ったら世界が変わるぜ!』
これ以上は秘密だから、知りたかったら直接指導を受けてみるといいよと言われた。

今まで一度も見た事のない動作。
そして、ピンのついていないスパイクの方がいいと言う。
常識では考えられない事を平然とした顔で話す不破さんの顔が脳裏から離れない。

ワールド・ウイング? 初動負荷理論? 小山 裕史? 謎だらけであった。


10月16日(月) 大会2日目 いよいよ成年A男子100M。

レースの2時間前にサブトラックに到着した。
自分のレース展開を何度も何度も頭の中でイメージしながら入念にウォーミングアップを開始した。
同じ組を走る、伊東選手がいないかと探していたのだが、なぜか見当たらなかった。

ひとつ、ひとつの動作を丁寧に確認しながらアップをしていると両親の顔が見えた。

すぐに両親の元に行き、まずまずの調子である事を伝えてアップを続けた。
スパイクを履いて、スタートダッシュを2〜3本していた時であった
何やら人だかりが出来ている場所が目に付いた。

そこは、サブトラックに隣接されていた特設会場で
選手達がウェイトトレーニングが出来るようになっていたのだが
なんと、あの伊東選手がスクワットをしているのが見えた。

"あれっ、もしかして試合に出ないのかな〜?"

ケガでもしたのだろうか?
試合に出る選手がまさか試合前にバーベルを担いでスクワットをする訳がない。
きっと、トレーニングのために行っているに違いない、、、、
と思っていたのだがコール場所に伊東選手は颯爽と現れたのだ。

"こいつ、試合を舐めているのか?"

練習の一環としての大会にしか考えていないのだろうか?
私の横に座っている伊東選手を横目で見ながら不愉快な気分になった。
そして、この気持ちをレースにぶつけていこうと思った。

(無理もない、この時はまだ、彼の行動が全く理解していなかった私であった。)

予選1組目。

スタートブロックをセットしながら、得意のスタートダッシュで飛び出して
せめて30Mだけでも伊東選手に勝ってやろうと意気高揚していた。
不思議と緊張はしなかったが、ゴールはなぜか遠くに見えていた。

号砲一発でスタートした。

1歩目で伊東選手は、私のかなり前方に着地したかと思うと、話にならない位に遥か前方を走っていた。
出鼻を挫かれた私は、明らかに固くなってしまった。となりの選手と競り合っていたが後半なんとか振り払いゴールした。

1着の伊東選手の記録は、10秒34(+0.6m)であった。

完敗であった。
最初は、30Mだけでもと思っていたのだが蓋を開けてみたら1歩目から、彼の独走であった。

私の記録は4着で記録は、10秒79。

伊東選手に約5m近くあけらてしまった。
力の差を歴然と見せ付けられたレースになった。

幸い、プラス6着に拾われて準決勝に進めることになった。

6年振りの国体に出場できた上に、準決勝に駒を進める事ができたことは非常に嬉しかった。
しかし、予選でとなりで走った伊東選手のウォーミングアップでのバーベルスクワットの意味や
実際、一緒に走ったレース内容と記録に驚きを隠せなかった。

迎えた準決勝でハプニングが起こった。

1組目で走った伊東選手が何と、2回のフライングの為に失格になってしまった。
場内がスゴイどよめきが起こった。

私は、2組目で走ったが善戦虚しく、7着で記録は、10秒81(+1.2m)。

同じ組の1着は、伊藤 喜剛選手で、記録は10秒31であった。
伊藤 喜剛選手は、決勝でも快走をして見事に優勝した。

悔やんでも仕方がないことなのは重々承知しているのだが
練習不足の私が全国レベルの大会で通用するはずがない。
しかし、練習不足を含めても、力の差を痛感した私であった。

宮城チームの4×100MRの3走として力走するが予選落ち。

5組目 5着 記録は、41秒63。

6年前の北海道国体では、似たようなタイムで予選を走ったが
宮城県が全体の通過タイムでTOPであったが今大会では箸にも棒にも引っかからない。


実際、優勝した地元の福島県チームは、39秒86の大会新を出していた。

国体のレベルも確実に上がっていた。



福島国体が終わった後も、不破さんの話されていた事や伊東選手の走りの事が頭から離れなかった。

しかし、来年の4月に結婚を控えていたし年齢も28歳を迎える。
幸い、父も元気に回復してくれたが二代目として会社を継いでいかなくてはいけない
今回の福島国体も、お世話になった宮城陸協の方々がある意味、"引退"のはなむけに出場させて頂いた敬意もある。

複雑な思いを胸に秘めながら、しばらく過ごしていたのだが
ある日、思い切って父にすべて話しをした。

私の話を聞き終わった父が笑顔で、
『1回、行って来いよ!』と言ってくれた。

ちょうど、結婚式の件で彼女(今の家内)の居る愛知県に行く予定もあったので
その前後に、小山 裕史先生のワールド・ウイングにお伺いする事になった。

そして、福島国体の結果報告を兼ねて、恩師である中京大学の安田先生にお電話をした時に
ワールド・ウイングの小山先生の所に行こうとしている事を伝えた。
安田先生と小山先生は同郷の鳥取県の出身で、よく御存知だというので紹介状を書いて頂けることになった。



平成7年の11月中旬。

期待と不安を胸に抱きながら、鳥取県にあるワールド・ウイングに向かった。
移動中に、初動負荷理論の本を携えて分からないなりにも何度も読み返していた。
不破さんのしていたトレーニングや伊東選手の強さの秘密をこの目で見ることが出来ると思うと
1秒でも早く、小山先生の指導を受けたかった。



1泊2日の短期間の指導であったが
小山先生との出会いで私の陸上競技は180度の大変化をすることになる。



次回の内観力は、『今までやってきた事は一体何だったんだ?』です。 7月10日(土)の予定です。

第20回 内観力 『引退、、、、?』

年が明けて、1995年(平成7年)を迎えた。

昨年、11月に走った感覚を常に感じながら出来る範囲の練習を続けていた。

それは、まるで生まれたての赤ちゃんを大事に抱きかかえるような気持ちで
大切に、大切に育てるかのようであった。

年始早々、親父が変な咳をしていた。

普通の風邪を引いた時にする咳ではなく、あきらかに異常を感じさせる咳であった。
母も心配をして、"一度、病院で詳しく検査をしてもらった方がいいと"親父に話していた。
親父は、病院が嫌いな人であった。

1995年1月17日(火) 

朝、普通に起きてきてTVを見たら阪神高速道路が倒れている。
眠気眼で見ていたのが一変で事の重要さが理解できた。
見覚えのある、あの阪神高速道路が捻じ曲がっているのだから慌てふためいた。
冷静になって、TVの解説を聞いて大きな地震が阪神地区であったことを知った。

阪神淡路大震災が起こったのだ。

母の実家は、兵庫県の西宮市。
親戚、兄弟がいるので安否が心配で電話をするが、なかなか繋がらない。
しばらくすると、母の弟さんが公衆電話から電話をかけてきてくれた。

みんな無事であったのだが、母のお母さんがタンスが倒れてきて下敷きになり
骨盤の骨を折ってしまい、近くの病院に運ばれたらしい。
また、母のお兄さんの家は半壊してしまったそうだ。

事の重大さに、私と母と二人で母の実家に急いでいくことになった。

親父が飛行機の手配をしてくれている間、私は遠征用のバックに詰めれるだけの食料や水を詰めていた。
無事に飛行機の切符も取れ、昼過ぎの飛行機に乗って出発することになった。

母は、『私達が留守の間にお父さんも病院に行っておいて下さいよ!』と強く念を押して言った。

現地に着いたが、本当に悲惨状況であった。
詳細は割愛するが、自然の力の恐ろしさを身に沁みて知った。
避難場所の小学校で寒い冬にダンボールで寝たこと、プールの水を各階の便所まで運ぶお手伝いをしたこと、
子供の頃、よく乗った阪急電車の線路を歩きながら移動したこと、泥棒が多かったのでバットを握り締めながら留守を守ったこと、、、、、

母のお母さんの手術も無事に成功して、一応、安心して仙台に戻った。


仙台の戻って親父に報告した。
しかし、親父の咳は以前よりも酷くなっていた。
母が問い詰めたところ、まだ病院には行っていないという。
さすがの父も渋々、病院にいくことにした。

翌日、親父を病院に連れて行く。

控え室で雑誌を読みながら親父の検査を待っていたのだが
診察室から出てきた親父の顔を見た瞬間に、嫌な違和感を感じてしまった。
車の中で、何も話そうとしない親父の気を使い、こちらからは話かけずにいた。
自宅に帰り、母と私の前で親父が検査結果を深刻そうな顔で話し始めた。

"肺の写真を撮ったのだが、、、、影があるらしく、、、、肺癌かもしれない、、、、"


親父の言葉を聞いて、頭の中が真っ白になり、私は言葉が出なかった。
これから精密検査のための検査入院をして最終判断をするらしい。
入院の準備をするために、仕事の引継ぎや段取りを私がやることになる。

とても、陸上をできる様な状況ではなかった。

入院する前に、親父が私に話があるといい、二人きりで話をした。
親父が言うには、肺癌の場合、転移が早いそうで発覚後であればそう長く生きることは出来ないという。

死を覚悟した親父の言葉は非常に重たかった。

私に対して、"すまない"という気持ちが痛いほど伝わってきた。


私は、この日、陸上競技を諦めようと思った。


そして、検査入院が始まった。
私も真剣に仕事を覚えようと必死であった。
あっては欲しくないのだが万一ということもありえる。
一途の望みを捨てないで、わずかではあっても希望を胸に親父を励ましてあげた。

願いが通じたのか、精密検査の結果、肺癌の疑いは晴れた。

しかし、別な場所に腫瘍が見つかり手術することになった。
肺癌でなかった事を親父に伝えると慢心の笑顔で喜んだ。
まだ、生きれるんだという気持ちが溢れんばかりであった。

月日は流れ、5月のゴールデンウィーク。

彼女(今の家内)との結婚を来年に控えていた。
その打ち合わせに、彼女とご両親が仙台に来られることになっていた。
親父の体調のことは伏せていたのだが、肺癌の疑いが晴れたので検査入院をしていたことと
腫瘍が見つかり、打ち合わせ後に手術をすることを伝えた。

もしもの時は、、、、

と考えていた私であったが最悪の展開にならなかったことに感謝をしていた。
親父のことも仕事のことも結婚のことも重なり、私の頭の中から陸上競技が消えていこうとしていた。

5月中旬、親父の手術が行われた。
けっこう時間のかかる手術であったが無事に終わった。
終了後、母と二人で医師から摘出された腫瘍をみせてもらい良性であることを聞き胸を撫で下ろした。
麻酔が切れてきて、虚ろな目をしながら手術の結果を聞いてくる親父に、

"大丈夫だよ! 良性だったよ! "

と何度も親父に話しかけた。


手術後、驚異的な回復を見せる父であった。
なんと、2週間で退院をして自宅で療養生活が始まった。
食欲も旺盛で、体重も順調に回復、リハビリ代わりに散歩も始めた。

そんなある日、親父から言われた言葉に驚いた。

"心配かけてすまなかったな〜 卓、もう一回走ったらどうや〜 "

その言葉を聞いてビックリしてしまった。
もう、走ることはないだろう、、、、半分、引退した気持ちになっていた私だ。
丸々、5ヶ月練習をしていない状態であったから走れる自信など、これっぽっちもなかったからだ。

迷っている私に親父は、こう言ってくれた。

"自分で決めた引退なら構わない、しかし、ワシの精で、おまえが引退するのはおかしい、走りたい気持ちがあるなら走れ〜"

この言葉を聞いて、昨年末から覚え始めてきた、"あの感覚"を思い出した。
それは、まるで封印を解くかのように、身体中に電気が走ったようであった。
阿部選手に勝ちたい、やめるなら勝ってからやめたい、、、、気持ちが一気に込み上げてきた。

"親父、ありがとう! 俺、もう1回、走る!" 


この時、すでに6月初旬。

次の試合は、7月に行われる宮城県選手権だ。
時間は、1ヶ月もない。
走りこみもウエイトトレーニングも補強も本当に何もやっていない。

出来るのか? 走れるのか?

不安だけが頭をよぎった。


久しぶりに宮城野原陸上競技場で練習を再開した。

不思議なもので、まったく練習をしていないというのに身体がすごく動いてくれるのだ。



特に、昨年末に出来ていた動作が衰えることなく上手く出来るのには正直驚いた。
不安は一気に消えて、根拠のない自信だが走れると信じれる私が居たのであった。


親父の体調もすっかり良くなり、7月の宮城県選手権を迎えた。


この大会には、阿部選手は出場していなかった。

予選を1位で通過した。(11秒05 ±0m)

決勝では、なんと2位になった。(11秒08 −0.8m)

レベルの低い大会といってしまえばそれまでの話だが
全く練習が出来ていない状態にも関わらず2位に入り、8月の東北総体への出場権を獲得した。


東北総体まで、練習できる時間をもらえた事は嬉しかった。
同時に、いい走り方を極めていきたいと思い始めていた矢先に1冊の本に出会う。


新トレーニング革命 初動負荷理論に基づくトレーニング体系と展開  小山 裕史 



400mで速かった、伊東 浩司 選手が小山先生の理論で100mに転向して好成績をあげていた。
初めて聞く理論とあまりのも難しくて分からない内容に理解することが出来ないでいた。

しかし、速く走りたい一心で分からないなりにも必死になって理解しようとした。

東北総体に向けて、少しでも遅れを取り戻そうと頑張って練習をした。


秋田県で行われた東北総体。

100mは残念ながら予選落ち。
4×100mも宮城県選抜Aチームで走るが6位に終わる。

この日の夜、ロービーで佐久間先生を囲んで、新トレーニング革命の本の内容を聞いていた。
書いてある内容が今イチ分からない私は、食い入るように佐久間先生の説明に耳を傾けていた。

"肩甲骨の使い方を、腕振りにおいての動作でいかにドライブを効かせた腕振りにして推進力を作るかや
 伊東選手の腕振りは、接地のタイミングに合わせて肩甲骨を使ってアクセントをつけているのではないか"

など、実技を伴いながら指導を受けていた。
当時、イギリスのリンフォード・クリスティ選手の走り方を観ながら佐久間先生が仰っていたことは
わざとバランスを崩しながら地面反力をもらって走りながらスピード生んでいき、腕をドラムを叩くかのように腕の重さを利用して
推進力を増すための腕の振り方をしていると学んだ。

説明を受けたからといって、すぐに出来るわけがない。

しかし、国体最終選考会まで後1週間しかない。
藁をも掴む思いで真剣に聞いた事を練習で意識的に行った。



期待と不安が入り混じる1週間が経った。


福島県で行われる国体の最終選考会の日。

プログラムを見たら阿部選手の名前がない。
詳しく聞いてみると、冬のスノーボードで骨折したらしく
ケガの治りが遅く、今年のレースは無理らしい。

しかし、もう一人、この大会に合わせて復活してきた選手がいた。

日体大卒で東北高校の講師をしていた高橋 敏之選手だ。
100mを10秒52の記録を持つつわものだ。

予選、向かい風1.2mの中、11秒00で走り全体の中でも1位で通過した。

決勝前のウォーミングアップをしながら、今までのことを静かな気持ちで思い返していた。
一時は、引退を決意して諦めた陸上競技であったが、また、こうして国体出場の夢を掴もうとしている。
阿部選手と勝負できないのは残念であったが高橋選手に負ける訳にはいかない。
いや、元気になってくれた親父のためにも負ける訳にはいかなかった。

"絶対に俺が勝つ!"

揺るがない気持ちを胸に秘めて、決勝のレースを迎えた。
この日の競技場はかなり強い向かい風のため記録を狙うには難しいコンディションだ。

国体に出場するためには、高橋選手に勝つ以外になかった。

自分の力を信じて、1位でゴールを突き抜ける事だけを考えた。

号砲一発でスタート。
ただひたすらゴールだけを見つめて走った。
レースはほぼ互角でゴールまでもつれ込む展開。
フィニッシュする瞬間に高橋選手を横目で見ながらゴールテープを切った。

"勝った!"

走った者同士でしか分からない僅差での勝負の結果。
ガッツポーズをしてゴールの後を気持ちよく駆け抜けた。

向かい風3mの中、11秒13で優勝した。
2位の高橋選手との差は僅か100分の1秒差。(11秒14)
10センチ差で勝利することが出来た。

一番喜んでくれたのが両親であった。

今年の、あの状況の中で、まさか優勝出来るなんて思ってもなかったからだ。
特に、親父は本当に喜んでくれた。

"やったな、卓、優勝おめでとう!"

この言葉を聞いたときは、涙が止まらなかった。


後日、宮城県の国体選考会があった。
私は、一応優勝はしたのだが国体参加標準記録を破っていなかった。
私の心のどこかに、ダメならダメでもいいやと思う気持ちもあった。

ちょうど選考会のあった宮城野原陸上競技場で練習をしていた私の所に
選考会に出席していた後藤先生が近寄って来た。

"松村選手、内緒だけど、選手に選ばれたから頑張れよ!"

と教えてくれた。
後藤先生に深々と頭を下げてお礼を言った。

北海道国体から6年ぶりに国体に出場できる。
すぐに両親に電話で選ばれたことを伝えた。

翌月に迫った、福島国体に向けてトレーニングに励む私であった。

しかし、この福島国体で経験することが
私の人生を変えてしまうほどの出来事になるとをまだ知らなかった。




この研究レポートを書いている日は、各地域でインターハイの出場をかけて地区大会が行われている。

この頃の新聞には、毎年のように似た記事をよく読む。
その内容とは、県大会後、風邪を引いて練習が出来なかったが優勝できたとか
ケガで思うような練習が出来ていなくて休んでいて不安であったが優勝できたと言う内容のものだ。

しかし、地区大会で好成績を出した選手がインターハイを目指して猛練習をした途端、

またケガを再発したり、いい走りが出来ない選手が多い。
今回の研究レポートでの私の場合も同じである。

私が、丸々5ヶ月もまともに練習をしていないのに走れたのには訳がある。

それは、"硬化"した筋肉や関節が練習をしないことで皮肉にも弛んでくるからだ。
"硬化"した身体では、いい動きをすることが出来ないし、逆にケガをしてしまう確率の方が多くなる。
しかし、ウエイトトレーニングも補強も走りこみをしなければ固めてきた筋肉や関節が徐々に柔らかさを取り戻してくる。

その結果、"動きにくい身体"から"動きやすい身体"に変わってしまうのだ。

しかし、当の本人や指導者はこの事に気付かない。
よって、あれだけ練習が出来なくて勝てたのだから、今度は目一杯頑張って練習すれば

もっと、もっといい成績が出るに違いないと、また身体を"硬化"してしまう練習を積み重ねていき
残念ながら、動きにくい身体を作りあげてしまい、インターハイの本番でケガをしたり地区大会の成績すら出せない選手がいるのだ。

私の場合、動作改善の動作を習得していて覚えきった辺りで練習をすることが出来なくなった。

一旦、陸上を諦めたのは事実だが、普段の歩き時や階段を昇り降りする時に
この一度付いた動作のクセは、ありがたい事に無意識で出来るようになる。
実は、知らず知らずの間に日常生活の中で動作改善をしていることになるのだ。

現在、私が指導する選手達にも必ず、日常生活でも動作意識を忘れないで行うようにしているのは
自分自身の経験から得たものだからである。

ケガをしたくてする選手など一人もいない。

しかし、なぜ自分がケガをしてしまったのかを深堀して考える人は極めて少ない。
口を揃えたかのように、ストレッチが足りないのだ筋力が弱いからだと言われて真面目に行う選手達。
強化したつもりが逆にアンバランスになり余計にいい動作が出来なくなってしまう可哀想な選手達。
指導することは出来ても、ケガをしたら治療院に行けでは余りにも無責任すぎはしないか。

選手がケガをしたら、練習内容に何か間違いはないのかを探って欲しいと思う。

ある高校に指導に行った。
その先生の担当種目の生徒ばかり同じ故障で悩んでいた。
私は、生徒さんの身体を観た瞬間に原因が分かってしまった。
そこで、その先生の現役時代に故障で悩んでいたことはないかと尋ねたら
生徒と同じケガで悩んでいたことが分かった。

"指導している内容は、ご自身が現役時代にしていた練習と同じ。"

自分のケガをした部分と同じケガをしている生徒を見て気付かないのだろうか?
自分がしてきた練習を生徒がして、同じケガをしているの気付かないのだろうか?
自分の練習についてきて成績を出したら良い選手で、ケガをしたら生徒の努力が足りないのだろうか?

あまりにも生徒が可哀想である。

もっと、いい指導者にめぐり合っていたら世界が変わっていただろうに、、、、、



次回の内観力は、『伊東 浩司選手が、試合前にスクワットをしている、、、、?』です。 7月1日の予定です。

第19回 内観力 『どん底の先に光が見えた』

1993年(平成5年)のシーズンを終えて冬期練習を迎えた。

シーズン最後の試合であった全日本実業団(福岡)も準決勝で敗退。
以前なら勝てた選手にまで負けてしまい気持ちはすっかり萎えていた。
勝ちたい気持ちは誰よりもあるのに身体が気持ちに付いてきてくれないのである。

練習に対する気持ちも試合に望んでいく気持ちも誰にも負けないくらい持っている。
しかし、強くなりたい、速く走りたいと切望して自分を向上させるために行っているトレーニングをしても
一向に、その兆しが見えてこない状況に正直嫌気を差していた。

"何をどうしたら良いのか全くわからない"

暗礁に乗り上げた船と同じように行き場のない状態だ。
人一倍、負けず嫌いの私だが肝心のやる気が湧いてこない。
誰よりも大好きな陸上競技がこんなにも苦痛になるとは夢にも思わなかった。

以前の私であれば、弱点を克服するために時間をかけれる冬期練習が大好きであった。




自然の木は、寒い冬の間は固い土の中を『根』を生やしていき、しっかりとした『根』を張り巡らせて
いつまでも倒れない"木"を作ろうと目に見えない所で一生懸命に頑張っている。
そして、懸命に伸ばした『根』から養分をたっぷりと吸収して春に立派な"花"を咲かせる。

弱点を鍛えれば鍛えるほど強くなれる。

その事を思い信じているからこそ、辛いトレーニングも歯を喰いしばって乗り越えようとする。
しかし、信じて行ってきたトレーニングをしても結果が出ないことほど辛いことはない。



自分自身を信じ、そして練習内容も納得して積み重ねていきたかった。


揺れ動く心の中で、段々、弱気になっていく私であった。
燻っていた私であったが、ある日、彼女(今の家内)にいわれた一言で挑戦する気持ちになった。

『来年、愛知県で国体があるんだってね〜 私、絶対に応援に行くからね〜!』

この一言で、またチャレンジをしようと心に決めた。
中京大学時代に走った思い出深い、瑞穂陸上競技場が目に浮かんできた。
日本インカレの代表を目指して走った青春時代の熱い気持ちが甦ってきたのであった。





仕事柄、冬期練習期間中は、生活リズムが変わるためウェイトトレーニング中心であった。

通っているジムの代表の方は、元ボディビルのチャンピオンだった。
相談相手もいない状況であった私は、今までの経緯を話してアドバイスを求めた。
快く、相談に乗ってくれたI氏は全体的なパワーアップをした方がよいと私にメニューを組んでくれた。

突破口が見えない中、一人もがきながら淡々と出されたメニューをこなしていく。
ハーフスクワットを200kgの重さでセットをこなしていき、レッグカール、レッグランジの重量も上げて
ベンチプレスも130kgまで上げれるようになり目標としていた最大筋力を上げていく練習に汗を流した。


年が明けて、1994年を迎えた。


今年の目標である愛知国体の代表を目指してトレーニングを続けていた。
昨年よりも筋力アップも出来たし、体幹の強化も出来たので自信を持って走れると思っていたが
予想もしなかった筋膜炎の連続に、まともに走れることはなかった。

最悪のシーズンインであった。

ケガの影響でなんと、7月の宮城県選手権までケガで走れない状態が続いた。
国体最終選考会は9月の初めに行われるが時間はない。
諦めたくない気持ちが勝っていたので腐らずにいたがなす術はなかった。

7月一杯まで治療に専念して、8月の1ヶ月で仕上げていくしかない。

8月に入り、足の痛みも治まり走る練習を再開した。
この時、あることがきっかけでピッチアップのコツを掴みかけていた。
今までになかったキレのある動作ができるようになり失いかけていた自信が少しづつだが回復してきたのであった。

"絶対に勝って、愛知国体に出場する!"

試合当日、強気の私に戻っていた。

ウォーミングアップを開始して、動作確認を丁寧に行いながら足の具合を確認する。
そして、例のピッチアップをしてみたがキレのある動きに走りもいい感触であった。

予選、全体の中でTOPで通過した。

阿部選手も出場していたが動きにはキレがない。
周りの方々からも、『今日は、松村の方がキレがいい、阿部選手に勝てるぞ〜 ガンバレ!』と声をかけられた。
父からも、"自信を持って走って来い!"と激励を受けた。

いよいよ、成年A100Mの決勝。

ゴール地点を見つめながら集中力を高めていく。
得意のスタートで飛び出して、今、身体で覚え始めているピッチアップでスピードをキープして
1位で、ゴールに飛び込むイメージを繰り返した。

号砲一発でスタート。
私のイメージどおりのレース展開になった。
90m地点で、まだリードしていることは走りながら分かっていた。

"よし、勝てる〜"

と思った矢先に力んでしまい、後半、追撃してきた阿部選手に
最後の最後でかわされてしまい100分の6秒差で負けてしまった。
あきらかに私の甘さが敗因であった。

勝てた試合を負けてしまった。

勝負師として、気を抜く事はやってはいけないことである。
両親は、ここまで回復して走れるようになったことと、惜しかったレース内容を誉めてくれたが
悔いのないレースをするつもりが逆に、悔いの残るレースになってしまった。


愛知国体への出場も結局、叶わなかった。


今シーズンの試合はこれで終わった。
何とも言えない空虚な気分で過ごしていた。
負けたことの悔しさが大きかったのも事実だが、その反面でキレのある動作が疼きだした。

そんなある日、佐久間先生の教え子であるS君から連絡があった。

S君は、阿部選手と同じ仙台大の4年生で佐久間先生の教えを昔から習っていた。
阿部選手を佐久間先生に紹介したのもS君であった。

『松村さん、今度、一緒に練習しませんか?』

私が尊敬する高城先輩も来られるというので断りきれず参加することになった。
しかし、この練習会が私の今後を決める出来事になる。


某体育館で練習が行われた。

S君が最初に指導したのが骨盤を意識しながら体幹部を動力源として動かすトレーニングであった。
私の走りは、手足ばかり動いていて体幹部の力を有効に使えていないという。
その動作を改善するために、この練習を行うと説明を受けた。

例えば、普通の歩行の仕方なら"5歩"かかるところも体幹部を上手く使えば"3歩"でいけるという。
そして、ストライドを足の歩幅と考えないで、すべての重心移動を終えた動作を移動距離と考えるようにと教わった。
理屈は分かったのだが最初の方は、身体は思うように動いてはくれなかった。
回数をこなしていくうちにコツを掴む事ができた。

"なるほど、身体をまな板の様な感じで動かせばいいのか!"

身体が反応してからの動作つくりは、面白いくらいに前に進むようになった。
さらに、器械体操やボックスジャンプのトレーニングの指導を受けた。
すべての動作において要求されたのは体幹部を意識して動かしながら動作をすることであった。

私が、今まで行ってきた体幹部のトレーニングは動きがなく我慢する方法だが
今回、教えてもらったことは、体幹部を上手く動かしながら動作を作っていくことであり
今までの方法とは真逆なのである。

特に、器械体操のあん馬や平行棒、吊り輪などは
いくら腕力があっても、それだけで出来る代物ではない。
身体全体のコンビネーションが使えなければ到底出来ないのである。

私が目指さなければいけないトレーニングは正にこちらであった。

今まで、勢いだけで走ってきた私が生まれて初めて、自分で自分の身体を意識して動かすことをした。
この日を境に自分の身体との体話(対話)が始まった。

そして、この練習の成果を早々に試すチャンスがやってきた。

11月初めに、仙台大学の記録会があった。
いろんな方々のお陰で記録会に予選だけだが走れることになった。
動けなかった身体から、動ける身体に生まれ変わってきたので早く走りたい気持ちで一杯であった。

結果は、10秒6のタイム。

阿部選手も出場していた。
決勝は、残念ながら走ることが出来なかったのだが
もし、一緒に走ることが出来たら勝つ自信は十分にあった。

"どん底を這いずり回り四苦八苦してきたが、やっと光が差してきた!"

来年は、阿部選手と勝負して必ず勝つと決意した。


しかし、この後、半年以上練習出来ない状態が続くとは、この時の私はまだ知る余地も無かった。


私が現役を引退して10年以上にもなるというのに
今も直、ウェイトトレーニングや体幹トレーニングをしている選手が殆どである。
別な言い方をすれば、選択肢があまりないのかもしれない。

・パワーアップ=ウェイトトレーニング

・柔軟性アップ=ストレッチ

この図式は今も変わらないようである。


すべてのウェイトトレーニングが間違っている訳ではないが
正しい方法をどれだけの人が理解できているのかは分からない。
重さを求めるウェイトトレーニングを行う人は昔とそう変わらないように思える。

しかし、"連動性"がきちんと発揮できているのかが問題になってくる。

古武術の甲野先生が的を得た例え話をしてくれた。
"もし、会社で働いている人が全員、社長だったら会社は成り立ちますか?"
まず、こんな会社は機能する訳がない。

この例え話をウェイトトレーニングにしてみるとどうだろうか?

大胸筋が、『俺様が社長だ〜』と言えば、三角筋が『いやいや、俺こそが社長だ〜』すると今度は上腕二頭筋がしゃしゃり出て来た。
下半身からも、背中からも俺こそが社長だ〜と全部の筋肉がでしゃばろうとする。

身体全体を見ようとしないで、単体の筋肉だけを取り上げては鍛えて太くしてしまう。


そして、ここだけではダメだからと言って、またもや部分的に捉えては鍛えて太くしてしまうのである。
必然的に強い筋肉と弱い筋肉が出来上がってしまい、鍛えたつもりが人一倍アンバランスな身体になってしまうのだ。

会社を見てみると、営業の人もいれば経理の人もいる。
課長も係長も部長も専務も副社長も社長も、それぞれの役目の人がそれぞれの役割分担をこなしている。
チームワークの悪い会社であれば長続きはしないはずである。

筋肉しても同じことが言える。

お互いが協力しあって動作をしていかなければいけないのに
すべての筋肉を"メイン"として鍛えたため協調性がない状態になる。
つまり、連動性がなくなるので滑らかな動作をすることが難しくなってしまうのだ。

"動きやすい身体"を作るつもりが、いつの間にか、"動きにくい身体"になってしまっている人が殆どである。

一時的に見れば、その効果が出て記録が出ることも確かではあるが
いかんせん、ケガをする確率が多いことを見逃すわけにはいけない。
そして、常にケガとの戦いを余儀なくされるのである。

私は、この目でいろんな選手の全盛時代と衰退期を観てきたし
私自身が経験者だから身に沁みて分かっているのだ。

無意味なウェイトトレーニングはやめて欲しいと思う。

冗談をいうつもりではないのだが、
"効果"が出るどころか逆に筋肉を"硬化"させる危険性の方が高いのだ。

硬化した身体では、競技もさることながら日常生活においても
腰痛や肩こり、首痛や膝痛にもなりやすく嫌なことばかりだ。


私の研究していることが選択肢のひとつに入れてもらえるように日々努力している。




次回の研究レポートは、第20回 内観力 『引退、、、、?』です。 6月21日の予定です。

第18回 内観力『あの走りはどこに、、、、』

もう、ケガはしたくない、、、、

その想いから、U先生に教えて頂いた体幹トレーニングを真剣に行った。
元々、辛くて苦しいトレーニングは大好きな私だったので苦しければ苦しいほど
自分が鍛えられて強くなっていっていると信じていた。

最初は、全然出来なかった体幹トレーニングであったが徐々に出来るようになってきた。



左右の筋力バランスととるために腹筋部分を中心として左右交互に腕や足を動かす。
また、うつ伏せになり背筋をしながら同じように動作を繰り返した。
回数もある程度出来るようになってきたし、動作も楽に出来るようになってきたので
ある意味、自信を取り戻した自分になっていた。


平成5年 春  シーズンが近づいてきた。


レースに向けてスピード練習を始めた。
ケガをしないために徐々にスピードを上げていこうと思った。
ひとつ、ひとつ動作を確認するように慎重にスピードを上げるつもりなのだが
なぜか、スピードが出ない、いや上がらないのである。

足に痛みがあるわけではない。
腕も足も速く動かしているのに(動いているのに)スピードが出ないのである。
手足は動くが身体が前に進まないのである。

この時の私は、なぜスピードが出なくなったのかを全く分かっていなかった。


宮城県の春季陸上大会で100Mに出場。

一応、優勝したがタイムは11秒11。
向かい風を考慮してもスピードが出ている感覚がないのである。

その1週間後に、仙台で東日本実業団が行われた。

しかし、先週の走りと同じであった。
ウォーミングアップをしていても感じるのだが速く走れる気がしないのである。
腕や足は相変わらず速く動いているのに、前には速く進まないのだ。

結果は、11秒27(−1.8m)7位であった。
この日も全て向かい風のレースで予選・準決・決勝とも11秒台の結果。

速く走りたいのに速く走ることが出来ない。

ケガはしないのだが速く走ることが出来ないのである。
いい走りをするためにトレーニングをしてきたのに走れる身体ではなかったのだ。
しかし、当時の私はケガを再発したくない気持ちの方が強く、体幹トレーニングは続けていたのであった。

疑心暗鬼の中、7月の宮城県選手権を迎えた。

何とかスピードレベルをアップしたいためにトレーニングをしてきたが
昔、感じたような走りの感覚にはほど遠かった。

阿部選手が出場しない大会であったが100m、200mを優勝。
決勝で10秒86(±0)で走るが全国で戦えるレベルの記録ではない。

急に、昔は感じたことがなかった"壁"のようなものを感じ始めていた。


この年、栃木県でインターハイが行われた。

仙台育英高校の女子短距離のコーチをしていた私。
選手達が頑張り、4×100mリレーで出場が決まった。
結果は予選落ちであったが指導者としていい経験をさせていただいた。


その後、8月末に行われた国体予選に出場。
阿部選手もこの大会に出場したが結果は惨敗。
10秒85(+1.2m)で4位。

力の差を歴然と見せ付けられた。


その後も東北総体や福岡で行われた全日本実業団に出場するが
いい走りが出来ない状態が続いた。


U先生に指導を受けた体幹トレーニングをした効果なのかケガらしいケガはしなくなった。

しかし、それと引き換えに『いい走り』が全然出来ないようになってしまった。

以前なら、10秒1〜2台を目指していたのだが
正直、10秒5を切ることがまるで大きな壁を突き破らないと出来ない走りになってしまった。

北海道国体や東日本実業団で走った、『あの走り』が夢のようにも思えた。


理論は素晴らしいのかもしれない、しかし人間の身体は正直である。
日々の練習の中で感じてしまう違和感が日に日に大きくなってくる。
走れど、走れど、何度走ってもスピードが出ない走りに戸惑いを隠せないのである。

真面目に取り組めば取り組むほど歯車が狂いだす、、、、、

私の走りを写真で見た佐久間先生から
"腰が引けてしまってスピードの出る走りではない"と言われたのだが
当時の私には理解する力はなかった。


今、体幹トレーニングが流行っている。

私は、自分の経験から目を塞ぎたくなるのだが
先日も、姪っ子の萌ちゃんから聞いた話には正直笑ってしまった。

某スイミングスクールに通っている萌ちゃん達に
体幹トレーニングの講習会で習ってきたことをコーチの方が指導したらしい。
指導後、その効果を実感するためにプールの中に入れという。

『今、行ったトレーニングで使った筋肉を意識して泳いでみろ〜!』

といわれて泳いでみたら全員、沈むような泳ぎ方になったらしい。

その現場を見たコーチが激怒して、

『おまえ達のやり方がおかしいからだ〜、もう一度やりなおし〜!!!!』

と、また最初から体幹トレーニングをさせられたそうだ。
なんのことはない、子供達の身体の方が正直なだけで泳げるはずがない。

理論、理屈を聞くともっともらしく聞こえるのだが
身体全身を硬直させながら、いくら動作をして意味がない。
なぜなら、この動作には"緊張"ばかりで"弛緩"がないのである。

簡単に言うと、ON(力を入れる)ばかりで、OFF(力を抜く)がない。

力が入る部分があれば、力が入らない部分があってこそ力は流れる。
力を入れる瞬間もあれば力を抜く瞬間も大切なことなのだ。

呼吸を例にして言うと、"ずっ〜と息を吸い続けろ!"と同じことである。
実際に行ってみて欲しい、とてもじゃないが3秒も出来ないはずだ。

走る動作においても泳ぐ動作にしても、力を入れるのはほんの一瞬のはずである。

・それなのに、どうして体幹トレーニングをして力を入れ続ける必要があるのだろうか?

・そして、実際の動作では取らない姿勢でのトレーニングをして何の意味があるのか?



・なぜ、不自然な動作から自然な動作が生まれてくるのだろうか?


本当に求めていかなければならない事は
いかに身体を弛ませながら動作を続けることが出来るかである。

位置エネルギーを考えた場合、硬直した筋肉を付けると活用することが出来ない。
例えるなら、"軽石"は固いが重さがない。

求めたいものを例えるなら、"こんにゃく"だ。
"こんにゃく"は、柔らかくて弾力があり、重さがある。

人間の身体の重さ、つまり体重を活用して動作を行うことで動力原が生まれる。

特に、陸地で行うスポーツに関して言うと
この地面反力が上手く使える選手と使えない選手では成績もケガの発生も全く違ってくるのである。

体重を活用するためには身体が弛んでいなければ重さとして使えない。
弛んでいるからこそ重さに変わり、その重さで地面の反力を利用して生まれた力を使うことが出来る。
自分の筋力だけで動作をしようとすると、この地面からの反力を利用することが出来ない。
それどころか、互いに発生した力が同士が喧嘩することになり
行き場のなくなった力が逆に筋肉に負担をかけることになってしまい筋断裂を起こしてしまうのだ。

しなやかな動きが出来なくなった身体を元に戻すには膨大な時間が掛かる。

プラスに転じると信じて体幹トレーニングを続ける私が
実は、マイナスの方向に蓄積されていることに気付くのはまだまだ先の話になる。

そして、またケガの辛い日々を過ごすことになる事を私は知らないでいた。



次回の研究レポートは、『どん底の先に光が見えた』です。 6月15日の予定です。


第17回 内観力『科学の目で弱点を治す?』



山形の合宿から仙台に戻ってから治療を開始した。

温泉に行き、筋肉を温めては冷水で冷やす事を繰り返し筋肉疲労と強張りを取ろうとした。
家では毎日、競馬の馬がする強烈な湿布薬をして温めた。
また、大学時代にお世話になった針の先生から教えて頂いた筋肉疲労を取り除く
アミノ酸の飲み物を薬局から仕入れて飲んでみたりもした。

日に日に痛みは落ち着いてきたが気分は一向に晴れない。

ある日、車の中で父と言い合いになった。
私の父も陸上の100Mの選手であったが現役時代はケガで苦しんだらしい。
大阪チャンピオンであった父の時代は土のトラックだったから"土を蹴る"走法であったのに対して
今は、タータンのゴムのトラックで当時は、"叩く"とか"押す"といわれていた。

ゴムの反発力を生かす走法と土の蹴る走法ではまったく違う。

私が故障する原因を話していたのだが
前がまったく見えない状況の中、次第にイライラしてくるばかりで
何を聞いても難癖をつけられているようで腹が立ってしまい思わず

"親父の筋肉の遺伝のせいで俺の足の筋肉もケガしやすいんと違うのか〜!!!"

と口罰してしまった。
さすがに父もこの言葉には怒りを顕にした。

"おまえのケガを俺の遺伝のせいにするのか〜!!!!!!"

その後、一言も喋らなかった。

(重苦しい空気が漂う中、車の運転を続けたことを今でも鮮明に覚えている。)


ケガの痛みが引いて、ジョッグくらい出来る感覚になってから練習を再開した。
いつも練習を行っている宮城野原にある陸上競技場で走り始めた。

そこに、七十七銀行の陸上部の監督であり、元400Mの日本記録保j者の名取英二さんが来られた。
いつもは挨拶程度しかしないのだが、もうケガをしたくない気持ちが大きくて
思いきって名取監督に今後どうしていけば良いのか聞いてみた。

"名取監督、私の走りはどうしたらケガをしないでもっといい走りが出来るようになりますか?"

その質問に対して名取監督の答えは、、、、、

"松村の走りは何かが足りない、しかし、その何かは俺のも分からない
 例えて言うのであれば何かの料理に対してその料理引き立てる調味料のようなものなんだが
 その調味料を何を選んだら良いのかが分からない"

より詳しく知りたいのであれば、愛知県の阿久比にあるスポーツ医・科学研究所の行ったらどうかと薦めてくれた。

バルセロナオリンピックの選手達も行っていた場所であったので名前は知っていた。
様々な検査を行い、弱点克服の鍵を教えてくれるのであれば是非行ってみたいと思った。

善は急げと早速調べていく事を決めた。


どんな治療をしてくれるのだろう? どんなトレーニング法を教えてくれるのだろう?

ワクワクする気持ちを抑えるのが大変であった。

広大な敷地に素晴らしい設備が整った場所で近くに陸上競技場や野球場も見えた。
最新の治療法やトレーニング法で私の身体は生まれ変わるのだと希望が湧いてきた。

最初に検診があり、専属の医師から診てもらう。
しかし、あまりの単純な検査方法に初っ端から愕然としてしまった。

診察台に仰向けに寝転んで片足づつ直角に足を伸ばしていく検査をして
いわれた言葉が、"異常なし"である。

あまりの期待はずれの診察結果を聞いて思わず聞き返した。

"ケガをしたくないから誰よりもストレッチをして身体は柔らかいのに
 なぜか肉離れをしてしまうのです。その原因を知りたくてこちらに来たのです!"

その言葉を聞いた医師は、
"筋肉の柔軟性は問題ないので後は筋力のバランスなどをチェックしてもらって下さい"

と言うだけで診察は終わった。

落胆しながら次の検査室に向かった。
入った部屋には数々のマシーン置いてあった。
ここでは、筋力測定をするために、『サイベックス』というマシーンで
大腿四頭筋と大腿二頭筋の筋力差を測定して弱点を見つけるということらしい。

説明を一通り受けた後、マシーンでの筋力測定が始まった。

このマシーンはかなりしんどかった。
大腿四頭筋の力で膝下を前方に押し出し、今度は大腿二頭筋の力で後方に引き戻す動作だ。
しかし、パワーだけは人一倍強かった私はガンガンマシーンを動かしていった。
マシーンから降りると乳酸の溜まった足で膝がガクガクしていた。

しばらくして、筋力測定の結果が出てきた。

そして、いわれた言葉にまたもや愕然としてしまう。
"あなたのパワーは凄いです!オリンピック選手レベルのデーターが出ています。
 筋力に関しては申し分ないですね!"

期待はずれの言葉に今度は言い返す言葉も出てこなかった。


その後、"ここの研究所一"と言われている某先生との面会があった。

あまりの期待はずれの答え聞かされてショックを受けたので
某先生とのお話で故障の原因をすべて教えていただこうと気持ちを改めた。

しかし、その期待も虚しくわずか3分で終わってしまう。

某先生にお逢いするなり、私がここに来た経緯を話た後に
ここで受けた検査結果に対して何の回答にもなっていないと申し立てると
急に不機嫌な顔になり、"この青二才が俺様に意見する気か!"といわんばかりの態度になった。

"私が研究していないことは分からない"

この一言で終わってしまった。


当時の陸上関係の雑誌で動作解説をしていた某先生。
この人なら私の弱点克服の鍵を教えてくれるかもしれないと
意気込んで仙台から来た結果がこれであった。


私は、ここに何しに来たのだろうか。


某先生の研究室を出てから最後に行ったところがリハビリルームであった。
この時は、正直に何の期待もしていなかった。
理学療法士のU先生は笑顔で始めようと声をかけてくれた。

いろんな体勢から身体を動かし左右の筋力の検査を行った。
内容は、今、流行の体幹部トレーニングの指導を受けていた。

とりあえず腹筋と足との連動動作が弱いと指摘され
正確なフォームと回数を求められて腹筋が痙攣するまで行われた。
初めて行うものばかりで最初は上手く出来なかった。

U先生のお話だと体幹部(胴体)と足との連動に左右差があるので
弱い方の足に負担がかかりケガをするのでないかと言われた。

医師からの診察も某先生の話もろくでもなかったが
U先生にアドバイスを頂けただけでもここに来た甲斐があった。
ケガをしたくない一心であった私は、U先生のリハビリメニューをすることに決めた。



仙台に戻り、またチャンピオン目指してトレーニングを続ける私であったが
"あの走り"とは程遠い走りしか出来ない状態が続くのであった。



今の私なら、当時U先生から指導されたトレーニングは一切やらない。
なぜなら筋肉ばかりに注目していて骨を活用することを全くしていないからである。
そして、一番大切な身体の重さ(体重)を使うことをしていないのだ。
最近、リニューアルしたホームページにも書いたが、
腹筋、背筋、腕立てをいくらしても正直ムダである。
現在のスポーツ選手でこの3種目をしていない人を探すほうが難しいかもしれない。
身体を各パーツとして捉えてしまって、身体全体をトータルで動かすこと考えていないのだ。

また、スポーツ科学の分野においては通常の科学とは違うと思われる。

私が尊敬してやまない甲野先生のお言葉をお借りすると
車の運転に例えると、ハンドルを握り、アクセル、ブレーキ、方向指示器、ワイパー、ドアミラー、ルームミラー、
そして周囲の音を聞くという同時にいくつも動作を平行して行うことによって車の運転を行っているわけであり
この時に、どれかひとつの動作だけをピックアップしていくら研究したとしても車の運転が飛躍的に上手くなる訳がない。
スポーツの動作解析を科学的に研究しようとしても部分的な動作だけをいくら調べあげても意味がないことを理解して頂けると思う。

人間の持つ、骨、関節、筋肉、臓器、神経、体重、そして脳の活用法、、、、etc

いろんな部分を統合させて動かすからこそ素晴らしい動作が出来るのである。
私が今、研究している骨を動かすトレーニング法などは、もしかしたら微少すぎて測定出来ない『力』かもしれない。
しかし、私のメッソッドを実践して頂いている方はその効果にみな驚かれている。

そして、後日知ることになるのだが
私の筋力測定で使われた『サイベックス』を100Mの日本記録保持者である伊東 浩司選手が行った結果、
女子選手なみの『力』しかないと言われたらしい。

・"女子選手並"の筋力しかない伊東選手は、10秒00の日本記録を樹立した。

・松村 卓は、"オリンピック選手並"の筋力があると絶賛されながらケガばかりした。


この矛盾した答えをどう科学者は答えるつもりなのであろうか?


次回の研究レポートは『あの走りはどこに、、、、』です。 6月1日の予定です。

第16回内観力『とうとう、走れなくなった、、、、』

1992年を迎えた。
今年は、スペインで行われるバルセロナオリンピックがある。

昨年、追い風参考記録ながら10秒2で走った。
今年は、いい走りをして"日本一"を目指していきたいと思っていた。

1月、正月明け早々、宮城陸協の合宿が沖縄で行われた。
昨年の全日本実業団で、100M 6位入賞したので選ばれたので参加。
冬の寒い仙台から、暖かい沖縄でおもいっきり走りこんでいた。

そして、3月に宮城陸協で初の試みの合宿が静岡県で行われた。

昨年、東京で行われた世界陸上に選ばれた阿部 正道君や
平成2年の宮城インターハイ女子100MHで優勝した村上 貴子さんをはじめとする
宮城県の"成年の部"の合宿であった。

この当時、ミニハードルを使用したトレーニングが盛んに行われていた。
以前、書いた佐久間 紀郎先生が開発した『骨盤ドリル』だ。

阿部君や村上さんもこのトレーニングで強くなっていった。


佐久間先生を中心とした"骨盤ドリル"のトレーニングがメインで合宿が始まった。

ミニハードルを並べて骨盤を動かすトレーニングを行い、
今度は、ミニハードル間を腿上げ(正式には腿下げ)を速い動作で行う。
このトレーニングで"動作スピード"を向上させるのが狙い。

次は、ミニハードルの間を広げて走るトレーニングになる。
このトレーニングで"移動スピード"を向上させるのが狙い。

しかし、私は生まれて初めて『骨盤』を動かせと言われて戸惑い、
なかなかスムーズに動かすことが出来なかった。
トレーニングの意味が全く分からず、狭められたミニハードルを素早い動きで走る動作を私は全然できなかった。

(当時の私の走り方では無理なのはかなりの時間が経ってからである。)

私は、どちらかというとブレーキをかけてしまいながら走るので
よくミニハードルを蹴っ飛ばしてしまった。
しかし、阿部君は"シャカシャカシャカ"と軽快に走り抜けていくのであった。

練習中の動作をビデオに撮って、夜は、宿舎の壁に映して映像を見ながら反省会。

佐久間先生が一人、一人の動作を解説していくのだが
当時の私には、さっぱり分からないのである。
つまらないのトイレに行くふりをして部屋に戻っていった。

ただ訳の分からない練習をつまらなそうにこなす私であった。


その後、中京大に移動して1人で合宿を行った。

久しぶりに同級生の青戸君に会ったので"骨盤ドリル"のことを聞いてみた。

『100Mは理屈で走るもんやない〜』

"松村はいつからそんな理屈ぽっくなんたんや〜"と言われてしまった。


当時の青戸君の走りは独特で、膝下を伸ばして地面をまるで引っ掻くような走り方をしていた。
今では理解できるのだが、青戸君は常にアキレス腱痛を起こしていた理由はこの走法が原因であった。

青戸君に言われたことで骨盤ドリルが出来ないことが言い訳できるような気分になり
母校の中京大で走りこんでいた矢先に左足ハムストリングを痛めてしまった。
軽い筋膜炎だと感覚で分かったのだが久しぶりのケガに頭を痛めた。


その事を佐久間先生にTELして聞いてみたが
使えなかったハムストリンクが使えるようになってきたから
負荷が掛かってしまったのではないかといわれた 。

シーズンイン目前のケガだけにショックであった。

来月末に東京陸上選手権にエントリーをしていたので走れるかどうか心配であった。
仙台に戻り、治療をしながら軽いトレーニングを続けて何とか走れるようになってきた。


しかし、スピード練習が出来ていないので自信はなかった。

それでも試合に出場したのは、憧れの国立競技場で走りたかったのである。
結果は無惨であったが全日本学生インカレで走れなかった時を思い出しながら走った。


ケガも回復し、これからスピード練習のレベルを上げていって遅れを取り戻したかった。


5月中旬に行われる、宮城県春季陸上と翌週に行われる東日本実業団で
きちんと走れるようにと練習にも熱が入った。

だが、治ったはずの足がまたもや痛み出してきた。
春季陸上の目前にも関わらず左足のハムストリングの張りが取れないのである。
ストレッチをしても針を打ってもらっても電気治療器をあてても一向に良くならない。


当日、不安を引きずりながらサポーターをして100Mの予選を走る。
何気ない顔をして1位でゴールをしたが私の走りを見ていた父が近くに寄ってきた。

『また、やったやろ〜』

その言葉に顔を下に向けて頷くのがやっとであった。

『その足では、来週の東日本実業団も無理やな〜』

父のさびしそうな言葉に涙が出てきた。
無理もない、昨年、同じ大会で10秒2で4位になった時に
父が首から下げていたストップウオッチで、『10秒2』のタイムを計ってくれたのだから
息子の快走を期待していた父の気持ちを想うと胸が痛かった。

ケガのため、東日本実業団も棄権した。

バルセロナオリンピックがある年に
何のために一生懸命、練習してきたのかが分からなくなっていた。
誰よりも走ることが好きで、誰にも負けたくないから、誰よりも練習してきたのに、、、、、


(数年後、一生懸命取り組んできた練習内容が故障(ケガ)の原因と知るまでは同じ事を繰り返した。)

いくらケガをしても大好きな陸上をやめることは出来なかった。

気を取り直して、7月の県選手権に向けて練習を再開した。
7月の県選手権で一応、走れるようになっていたが成績は良くなかった。
かろうじて200Mで2位に入り、8月に行われる東北総体の出場できることになった。


実は、この年から仙台育英の女子の短距離を指導してもらえないかと
二階堂 邦博先生(故)に依頼されていた。
夏休みの合宿で山形県で高校生の指導をしながら自分のトレーニングもこなしていた。

結局、男子の短距離も指導することになり、この日はグランドで300Mの走りこみをしていた。

高校生と一緒に走っていた最中に足が引きちぎられるような痛みが走った。

おもわず、その場で転び走るのをやめた。
近くにいた生徒が助けてくれて、やっと立てたのだが痛くて歩けないのだ。
この日は、父も見に来てくれていたので心配で駆け寄ってくれたのだが
父の顔もまともに見れないくらいに痛い。

"なぜ、俺ばかり、こんな目に遭わなければならないのだ!!!"

あまりの悔しさに泣きながら痛む足を引きずりながら歩いた。
今まで経験したことのない足の痛みに、二度と走れないのではないかと思った。
昔から肉離れは嫌というほど経験してきているのだが今回の痛みは初めてであった。

300Mを走っていたので、そんなにスピードレベルが高かった訳ではない。
なのに、筋肉を傷めてしまう原因が全くといっていい程分からなかった。
まして、歩くだけで痛い経験は生まれて初めてである。

"もう、陸上は出来ないかもしれない、、、、"

本当にそう思った。

自宅に帰り、治療法に関していろんな方々に治す方法を聞いてみた。
その中で、とにかく良さそうな事はすべて試してみた。
本当に、藁をもすがる思いであった。



次回の研究レポートは『科学の目で弱点を治す?』です。 5月15日の予定です。

第15回 内観力『現れなかった、あの感覚、、、、』

宮城県選手権を終えてから、うれしい知らせが入った。

当時、宮城陸連の強化委員長であった、(故)二階堂 邦博先生のお陰で
南部忠平記念陸上に出場できることになった。

10秒2で走った、東日本実業団陸上での成績が評価されたようだ。

しかも、北海道国体が開催された厚別陸上競技場で行われる。
もう一度、忘れられないあの走りを再現したいと胸躍らせた。

メンバーは、ツワモノぞろいであった。
それもそのはず、東京で行われる世界陸上の最終選考会を兼ねている。
嫌がおうにも、テンションは上がる。

『一泡吹かせてやるぞ〜!!!』

意気込んで、北海道に乗り込んで行った。

そして、当日、、、、
目を閉じて、あの感覚を思い出しながら、サブトラックでアップをした。
その時の光景が走馬灯のように甦ってきた。

身体の動きはとても良かった。
気持ちも盛り上がり、やる気満々でスタートラインに付いた。
あの時と同じ走りが出来るようにと、、、、

しかし、結果は予選落ち。

調子は決して悪くなかったのだが、スタートで突っ込みすぎて
スパイクのピンでつまずいてしまいバランスを崩してしまった。
バランスを整え直して、走ったが、もう後の祭り、、、、


両親も見に来てくれていたが、言葉が出てこなかった、、、、、、。

           
阿部正道選手は、3位に入り、東京で行われる世界陸上の代表選手に選ばれた。


9月に行われた、東北選手権に出場したが結果は、10秒72で5位。
残るは、10月に行われる全日本実業団で今シーズンも終わる。

東日本実業団以降、なかなかいい走りが出来ない状態が続いていた。



そして、10月になり、岐阜で行われた第39回全日本実業団を迎えた。

両親も仙台から応援に来てくれた。
なんとしてでも、いい走りをして、3位までに入りたかった。
10秒2で走ったことが、まぐれではないことも証明したかった。

予選は、難無く通過した。
決勝では、ライバルである笠原選手や不破さんもいた。
追い風もいい感じで吹いていたので好記録を願った。

結果は、10秒80で6位。
笠原選手(7位)と同タイムであったが勝つ事が出来た。
優勝は、不破さんで、10秒52で完敗であった。

東日本実業団では、ラスト10Mまで不破さんに勝っていて
最後に抜かれて負けてしまったが今回は全く話にならなかった。

どうしたら、不破さんのように後半、爆発的な加速が出来るのか知りたかった。

恥を忍んで、おもいっきって不破さんに聞いてみた。

『どうしたら、不破さんのように後半、速く走れるようになるのですか?』
と尋ねてみたら、以外な答えが返ってきた。

『どうしたら、松村のように前半速く走ることが出来るんだい?』
と言われて、正直、面食らって、返答に困ってしまった。


その様子を見て、不破さんが話始めた。

僕も高校時代に言われたのが

『不破は、あれだけ前半が遅くて10秒34だから前半を速く走れたら、9秒台で走れるぞ!!』

苦手なスタートを克服するために、一生懸命にスタートの練習をしたらしいが
スタートが上手く出来るようになった時には、持ち前の後半の爆発的な走りが消えてしまったそうです。

東日本実業団の時は、松村に80Mまで完全に負けていた。
ならば、次は、85Mまで完璧に走れるようにすればいい!!
85Mもつようになれば、今度は、90Mを目指して、最終的に、100Mを走りきれるようにすればいいんじゃないか!!

自分も持ち味を生かしながらレベルを上げていく事を考えた練習をした方が良いとアドバイスしてくれた。


しかし、心の底から納得することが出来なかった。
後半まで、トップスピードをキープするために自分なりにトレーニングは積んできたつもりであった。
身長があまり高くない私は、大きな選手のストライドに比べたら負けてしまうので
カバーするために筋力アップして後半までスピードキープするためにピッチアップを高めてきたつもりだ。

が、繰り返し、繰り返し、ピッチアップの練習をするが上手くいかない、、、、

当時、ピッチアップの練習の内容は、モモあげ、ゴムチューブ引き、坂下りなどを
それこそ、一生懸命取り組んできたのだが、手足は早く動くのだが、走りに一向に結びつかないのである。
補強の時も、腹筋や背筋や腕立てもスピードを重視で取り組んでいた。


今、考えれば目を塞ぎたくなるものばかりだが、、、、、、


この時、すでに身体のバランスが崩れ始めていたが、その事には、全く気が付かない私であった
そんな事も知らず、来季、いい走りをするために更なるパワーアップをウエイトトレーニングに求めていった。


年が変わって、1992年。
正月明け早々、宮城県の合宿で沖縄で走りこんでいた。
今年こそはと意気込んでいたが、ケガに泣かされる3年間を経験することになろうとは

この時、夢にも思っていなかった私であった。



次回の内観力は、『とうとう、走れなくなった、、、、』です。


第14回内観力『骨盤ドリル?、、、、』

追い風参考ながら、10秒2で走った私であったが仙台に戻ってからもしっくしていなかった。
なぜ、あの時は、まるで座禅でもしているかのような静かな気持ちで走れたのだろうか?
100Mを全力疾走で走っているのに冷静にレース展開を分析しながら走っている自分。



あの不思議な感覚が忘れられずにいた。

しばらく休んでから練習を再開するが、同じ走りがなかなか出来ないのである。
目をつむっては、ひたすら、あのレースを思い返していた。
あの走りを必死で追いかけていたのであった。


次のレースで、必ず同じ走りを再現したくて練習を続けた。


この年、一人、気になる選手がいた。
仙台大学4年生の阿部正道選手だ。

阿部選手は、仙台育英高校時代の二つ下の後輩にあたる。
2年前の北海道国体で、200mで6位、共に走った4×100mリレーで2走をはしり宮城県新記録を出したメンバーの一人。

彼の今年に入ってからの活躍は目覚しいものがあった。

4月21日に行われた群馬リレーカーニバルで
当時日本記録を持っていた宮田 英明選手を破って優勝。
日本インカレでは、10秒51 (+1.0m) で3位入賞。  
日本選手権では、10秒58 (±0) で4位に入った。

阿部選手は、変わった練習をしていた。
足首くらいの高さのミニハードルを10台くらい並べてモモを上げ下げする練習と
ミニハードルをある一定の間隔に並べて、そこを素早く走る練習をしていた。

ミニハードルを使った練習を横目で見ていた私だが
当時の私は、何のための練習なのかさっぱり分からなかった。
むしろ、あんな練習で速く走れるはずなどないと思っていたのであった。


しかし、ミニハードルの練習で、阿部選手はメキメキと頭角を現してきた。


陸上マガジンに、゛遅れてきたスプリンター゛ として大きく取り上げられていた。
あるレースを走った阿部選手のコメントは忘れもしないがこう言っていた。


『レース中でも、ある程度の動作を走りながら修正できるようになりました。』


ミニハードルの使ったトレーニングは、当時、白石工業高校の佐久間紀郎先生が開発されたものであった。

当時の、ミニハードルトレーニングの目的を阿部選手に直接聞いてみた。

・骨盤を意識的に動かすため(。骨盤を上下、前後に動かした。)

・後に足を流さないようにする。(後に足が流れるとハードルにぶつかる。)

・地面接地の抵抗を少なくする。(ブレーキがかかるのを防ぐ。)

・身体の前面で足を捌き、そこに乗っていくイメージ。(積極的接地。)

・最大ストライドと最速ピッチの継続。(移動スピードの向上。)


私自身が、ミニハードルトレーニングの目的を正確に知ったのは翌年の3月であった。


すごい記録を連発している阿部選手であったが
私も、追い風参考記録とはいえ10秒2で走ったのだから負けたくはなかった。


1991年 7月13日(土) 宮城県選手権 100M


予選で、先に走った阿部選手が10秒55の大会新を出した。
私は、10秒78でその組の1位で通過した。

決勝では、阿部選手が10秒60で優勝。
私は、10秒79で3位であった。

スタートから前半までは、何とかリードできるのだが、中間から後半にかけては完全に離されてしまった。

悔しかったが負けは負け。
しかも完全に離されての大敗。
東日本実業団で走った、あの走りがまったく出来なかった。


阿部選手は、おそらく日本人初の内観力を意識して走ったスプリンターだと思う。
骨盤を意識的に動かすことにより体幹部を活用し、空中動作での骨盤の切り替えしを行い
積極的に接地に向かわせ、地面反力を最大限に生かすために1本の棒のようなイメージで接地する。
ただ、接地するのではなく重心をうまくそこに乗せることにより推進力を増していった。

当時、間違った情報による膝下を前方に振り出した結果がストライドだと認識されていた時に
阿部選手は、身体全体が移動した距離をストライドとは言わずに移動距離と言った。
ゆっくりと動かせないものは速く動かす事ができないので動作スピードを落としてでも

求めていきたい動作を正確に出来るようにしてから動作スピードを上げると同時に
移動スピードを上げて高いスピードレベルをキープする走りを身につけていった。

努力と根性では、誰にも負けない自信はあったが
明らかに、阿部選手の練習内容の素晴らしさに私が勝てる要素はなかった。
地面を鬼のように押しまくり、まるで壊れたダンプカーのようにパワーだけでひたすら走る私。
ただ、勝負に勝ちたいと思いながらスタートラインに立つ私と、
阿部選手のようにレースをきちんと組み立てながら走る選手とでは結果が違って当たり前である。
100Mというレースを走る為に、各ポイント点を自分の特性を生かしながら走れることは大切なことであるが
その走りをするための確かな練習メニューを作成してくれるコーチがいることは稀である。
長所を生かしながら短所を直していければ最高だ。
しかし、身体を有効的に使いこなして走りのレベルを向上していくためには
自分自身が身体を理解して、コントロールしていかなければならない。
再現性を高めるためには、いかに意識的に身体を動かす術を持っていないといけないかが分かる。


さらに4年後、今度は肩甲骨を活用することを知るまで長い道程はつづく、、、、、、



次回の内観力は『現れなかった、あの感覚、、、、、』です。

第13回内観力『感動の再会、10秒2の感覚!』

北海道国体の100Mで7位入賞した後に行われた4×100MRに出場した。
宮城県チームのアンカーを務めてさせて頂き、見事5位入賞と宮城県新記録を樹立した。

準決勝で出した ゛40秒62゛は、長い間破られることはなかった。


しかし、リレーの決勝で軽い筋膜炎を起こしてしまった。
ラスト40M辺りでピクピクしていたが負けたくない一心で走り通した。
念のためにレース終了後、トレーナーの方に見て頂いたが2〜3週間で治ると言われた。


今シーズン最後のレースであった西日本インカレの出場をケガのために辞退した。
素晴らしい走りをもう一度、熱が冷めないうちに走りたかった。

大学生で陸上競技をやめようと思っていた私であったが
北海道国体の決勝を走り、日本一とわずか一歩の差まできたことと
準決勝で走ったあの感覚を忘れることが出来ずにいた。

正月休みに仙台に帰ってから進路のことを父と話した。

父は納得いくまで思い切ってやればいいと言ってくれた。
中京大学を拠点にトレーニングを続けることにした。

更なる飛躍を心に決めてトレーニングもレベルアップしたかった。
ライバル達と練習場が同じなので誰にも見られずに練習がしたかった。

当時、チャックウイルソンという外人さんがいた。
確か柔道か何かやっていた方だがあるジムで指導もしていると聞きそのジムに早速入会した。
たまたまジムに行ったときにチャックウイルソンが来ていて目の前で
200キロのベンチプレスを目撃してしまったのである。

゛本気でオリンピックに出場したいんです!゛

そのためにパワーアップをしたいんです!とチャックウイルソンに相談してみた。
オリンピックに出場するならば相当の筋力アップが必要になってくる
私がメニューを組んであげようと快く言ってくれたのであった。

真面目な私は真剣にそのトレーニングを行った。
ライバル達に勝ちたい一心で懸命にトレーニングに打ち込んだ。
身体はみるみるうちに筋肉がついてきた。
しかし、ジムにあるトレーニングマシーンをした影響か肩の回り方がおかしかった。

卒業式を終えて中京大学の近くのアパートに住んだ。

寮生活では、賄いのおばさんが料理を作ってくれたが
一人暮らしになると食事の用意は全て自分がしなくてはいけない。
アスリートにとって栄養のバランスは大切だが私は悪戦苦闘の連続だった。

北海道国体の成績が評価されて、5月に静岡で行われる静岡国際の100Mに出場できる事になった。
試合に向けてスピード練習に入ったがすぐにまたケガをしてしまったのである。
明かにパワーアップをしたのだが動作がスムーズにいかない。
キック力は自分なりに凄みをましたと思っていたがまたケガに泣かされた。
やもえず、静岡国際の出場を辞退した。


この年は結局、まともに走れる試合は一度もなかった。


そして、秋に父の体調が悪くなり、長男でもある私は仙台に戻ることを決意した。
中京大でのトレーニングを積み重ねたかったが仙台でもやる気になれば出来るだろうと考えなおした。

年が明けて、平成3年、父の経営する会社、有限会社 松村商店で登録。
再スタートを切ることにした。

5月に行われた宮城県の春季陸上を10秒72で走る。
久しぶりのレースだったが、まずまずの感触をつかんだ。
そして、一週間後、運命の東日本実業団を迎える。



第33回 東日本実業団が神奈川県の平塚で行われた。

春季陸上から一週間しかなかったので軽めの調整をしたが試合当日の身体の反応は決して良くなかった。
何と言ってよいのか分からないのだが身体が軽いという感覚ではなく、微妙に身体に張りがあるというか
身体が少々硬いというのか、でもグイグイと身体は前に進んでいく妙な感覚で自分ではよく分からないコンディションの中
予選のレースが始まっていった。


予選を10秒5で1位で通過。

準決勝も10秒5で通過して決勝に進んだ。

決勝で宿敵のライバル笠原君と対決することになった。
北海道国体以来の対決であったが心はやけに静かであった。

1コース 笠原 隆弘 富士通
2コース 松原 薫  ナイキジャパン
3コース 滝川 年一 ゼンリン
4コース 松村 卓  松村商店
5コース 不破 弘樹 大京
6コース 市川 武  ゴールドウィン
7コース 坂口 裕幸 北園高教
8コース 田中 一郎 ゼンリン

向かい風が強かったのでバックストレートで行われた。
そのために手動計時であった。

スタートして3歩目くらいで一瞬、つまずきそうになった。
いつもなら焦ってしまい顔を上げて力んでしまう私なのだが
また、顔を下にしてスタートを失敗してしまった事をまるで他人事のように走る私がいた。

実はこのつまずくかつまずかないかのギリギリで走ることが自然な重心移動に繋がっていたことを知るのは5年後のワールドウィングであった。

走りながら顔をあげていく私は、冷静な気持ちで、前方にいる松原さんや滝川さんの動きを見ながら走っていた。
そして、フッとゴールテープを見ていると私の方に近づいてくる感覚が身体に湧き起こる。
70M付近までとなりの不破弘樹さんに勝っていたので3位までに入れると思ったが90Mでつかまりそのままゴールに飛び込んだ。

正直、順位は4位とすぐに分かった。
3位内に入れば、海外の試合に出場できたので負けたことが悔しかった。
念願のライバル笠原君に勝ったことも忘れてしまうくらい悔しかった。
レースが終わり、父の所に行くとストップウォッチを片手に興奮気味に話かけてきた。



卓、今のタイムは何秒くらいと思う?


しかし、私はスタートでつまづき後半差された悔しさから10秒9くらいではないかと答えたら
父はそんなバカなことはない!と逆に怒りだした。
゛いいから、このタイムを見てみろ!゛と言われてストップウォッチを見てみると
何と10秒2で止まっているではないか!


とても信じられない!


あの走りでなぜ? 10秒2なんか出るわけがないと思っていたが
正式発表でも間違いなく、10秒2であった。
追い風参考記録だが生まれて初めてとんでもない記録を出した走りが納得できないのである。

まるで座禅をしているかのようにもう一人の自分と対話しているかのように静かに静かに走っているのである。
ゴールにも迎えに来てもらえ、考えれば考えるほどあの走りがなぜ?出来たのがわからなくなる。
帰りの新幹線でうれしくて乾杯をしている父には悪いことをしたのだが私は一人不機嫌な顔をしていた。

10秒2を出して不機嫌なんておかしい話だがなぜ?走れたのかが分からないのである。


一年間、ケガで走れなかった。
その間に、北海道国体で遭遇した『あの感覚』を忘れていた。
パワー、パワーを信じてウエイトトレーニングに力を注ぎ込んでいた。
いつも調子がいい時は身体が軽いとか足の動きが軽快だとかで判断できていたが
今回は正直、今までとは違う身体感覚なのである。

この時の私のレベルでは到底分からないのがある意味当然のことでした。

末端部の動作レベルがいくら速くても意味はないのである。
身体動作が体幹部から末端部に自然に流れていくときは地面反力をしっかりもらうことが出来る。
各関節にかかる負担も最小限になるため自然に動作が滑らかになり動作がシャープになってくる。
しかも、筋出力が自然に流れていくので筋肉にかかる負担もなく疲労物質の乳酸の発生も少なくなる。
当然、動作はスムーズになり疲労感はないのでいい動作を長く持続することが可能になってくる。
現在、取り組んでいる地面の接し方の動作が出来れば凄い力を生かすことが出来るのである。

悲しいかな、偶然に出来た動作であった。
当時の私は何故、いい走りが出来たのかが全く理解できていない。
頼りになるのは練習メニューと時間が経つにつれて忘れてしまう『あの感覚』。
感覚に頼ってしまうからズレることがあってもまとまっていくことは少ない。
私が、自分の動作を意識して改善する方法を見つけていくまでにはまだまだ遠い道のりであった。



次回の研究レポートは『骨盤ドリル?、、、、』です。

第12回内観力『ゴールが私に近づいて来る?』



北海道国体に向けて練習を再開した。
まず、ケガをしないようにトレーニング内容を見直した。
得意であるスタートダッシュに磨きをかけながら後半で勝負できるように150M走に力を入れた。

調子の良かった春先は、あきらかにピッチ走法であったが
この頃はピッチ走法とストライド走法が半々くらいの走りで感覚が変わってきていた。


手足をセカセカ動かす感覚ではなくなっていた。

走りが定まらない状態で8月の東北大会(ミニ国体)を走ったが結果は第5位。
調子が悪い訳ではないのだが上手く身体をコントロール出来ていなかったのである。
何かが変わろうとしていたのだがこの時の私は理解できるレベルになかった。

゛青戸君、笠原君に勝とうという選手が東北大会(ミニ国体)で5位で果たして勝てるのか?゛

北海道国体の決勝でライバル達と勝負したい気持ちとは裏腹の結果に不安であった。
しかし、今までの事を思い出してはあくまで勝つことだけを考えるように心掛けた。
やるべきことだけは全てやった後、自信を持って調整に入った。

名古屋空港から北海道に向かった。
宮城県の合同練習会が札幌の円山陸上競技場で行われた。
去年の京都国体では気持ちが舞い上がり前日まで練習をしたが今回は自分のペースで調整練習を行いたかった。

全体練習でリレーのバトンパス練習をしたいと言われた。
スパイクは履かずにアップシューズで走るのであればと了承して頂いた。
ウォーミングアップを始めてバトンパスをしながらの流しをした時であった。
私は本当に軽く走っているのにもかかわらずスパイクを履いた後輩達を置いていく走りをした。

バトンパスの練習もアップシューズで行ったのだがあきらかに身体のキレが違った。
スパイクを履いている後輩が追いつけない位にすぐに加速してしまうのである。
周りにいた先生方も私の両親も私の動きにビックリしていた。

私自身も自分の身体でありながらまるで暴れ馬の手綱を握っているようでもあった。
口では言えない身体で感じる゛心地良さ゛に自信が沸いてきたのであった。
そして試合当日に生まれて初めての不思議な経験をすることになる。


1989年9月20日 成年男子100M 決戦の日

予選4組の4コース、何と予選から青戸君と市川先輩と同じである。
決勝進出をしたい私にとって大事な1本目のレースに向けてサブトラックでウォーミングアップを始めた。

芝生の上を走る流しで不思議な感覚が現れた。
軽く、本当に軽く走っているのだが楽に本当に楽に前に進むのである。
前を見ている私はまるでゴールが私を迎えに来てくれるかのようだだった。
まさか?と思い今度はもっと力を抜いて楽に走ってみたが不思議な事に余計に速く走れるのだ。

今まではゴールに向かって一生懸命に頑張って走ってきた私。
その私が楽に走っているのにもかかわらず勝手にスピードが上がり
まるでゴール地点が私を迎えにきてくれるかのようにゴールが私に近づいてきてくれるのだ。

緊張の中、予選を1位で通過した。向かい風1.5Mで11秒06。
青戸君は予選なので軽く走っていたが私は予選から全力疾走をした。

奇跡は準決勝で起きた。

準決勝もまた青戸君と同じ組であった。
得意のスタートダッシュで勝負をして何としてでも準決勝を通過したかった。

1回目のスタートはフライング。
スタート時、私は静止していないのに用意の掛け声がかかったのでスターターに文句を言いにいった。

2回目のスタートは集中して私のタイミングでスタートが出来たのだが別な人がフライングをした。
これで集中力が切れてしまった。

どうにでもなれ!
ある意味、無心状態になっていた。

3回目で揃ってスタート。
私はあきらかに反応が遅れてしまった。

いつもなら顔を上げてしまい力んでしまう私なのだが
なぜだかこの時は゛仕方がない!゛と顔を下に向けて地面を見ながら走っていた。
これが功を奏してかえって力まず前半を走るキッカケになった。

スタートで出遅れたにもかかわらず冷静に走れている私がいた。
まるで走りながらもう一人の自分とお話するかのように状況判断しながら走っているのである。

後半の70Mを過ぎた辺りで横目に見える前に走っている選手達が私に近づいてくる。



負けているのに何故か勝てると瞬間的に思った。
不思議な感覚、初めて味逢う感覚、ウォーミングアップの時と同じようにゴールがまるで自分に近づいているかのようであった。

渾身の力を込めてフィニッシュをした。
NIKEの松原選手と同タイムで4位、記録は追い風2.8Mで10秒49。
追い風参考記録ながら自己ベスト記録を出した。

この組の4着であったがプラス2で拾われて夢の決勝進出になった。

夢に見た決勝。

1コース 松原 薫  神奈川  ナイキ 
2コース 笠原 隆弘 三重   中京大
3コース 百田 直孝 佐賀   中央大
4コース 市川 武志 岐阜   ゴールドウィン
5コース 不波 弘樹 東京   大京
6コース 青戸 慎司 和歌山  中京大
7コース 宮崎 博史 鹿児島  日本石油
8コース 松村 卓  宮城   中京大

市川先輩を含めると中京大学から4人決勝に残った。

私以外は全員ジャパンのユニフォーム着た経験がある選手ばかりだ。
初めて経験する大舞台に正直、決勝は場の雰囲気に呑まれてしまった。
空気が今までとは全く違っていた。

号砲、一発でスタートした。

スタートの反応は良かったが緊張からすぐに顔を上げてしまう。
20Mから40Mでうまくスピードに乗れなかった。
後半、少し詰めていきそのままゴールした。

結果は7位、向かい風1.0Mで記録は10秒76
青戸君は10秒62で4位、笠原君は10秒67で6位、優勝は鹿児島の宮崎 博史さんでした。

0.09秒差で笠原君に勝てなかった。
正直、悔しかったのだがその悔しさよりも準決勝で走った
゛あの感覚での走り゛が出来なかった事の方がなぜか悔しかった。

準決勝ではゴールが私を迎えにきてくれた。
しかし、決勝は私がゴールに向かって走ってしまった。
この時に走った準決勝の走りをもう一度したくてトレーニングをするのだが
再会できるまでに2年間を要した。


再現性の重要性。
スポーツ選手なら誰でも一度は経験したことがある素晴らしい動きが出来た瞬間。
どうやってあの動きが出来たのだろうか?
ある時、偶然に出来た動作なので、なぜ出来たのかを理解出来ていない。
天才肌の人は自然に素晴らしい動作が出来てしまう。
しかし、自然に出来てしまうので意識的に動かしているのではないため
一度スランプに陥るとなかなか元の状態に戻れなくなるのである。
いい時の動作を思い出そうとして感覚だけを頼りに追いかける人が多いがズレてくる場合が多いのである。
いつでもその動作が完璧に出来ることが大切になってくる。
いい動作をいつでも出来るようにする、、、、つまり再現性を高めることが重要になってくるのである。
では、どうしたら自分の身体を意のままにコントロールして再現性を高めれるようになるのだろうか?
この答えを求めていくのだがまだまだ道程は遠かったのである。

次回の研究レポートは『感動の再会、10秒2の感覚!』です。

第11回 内観力 『強い選手ほどきちんと休める?』



秋の国体(北海道)に出場するために練習を再開した。
幸い、寮の近くに豊田市営の陸上競技場があり、一人黙々と練習に打ち込んだ。

この年は北海道で行われるので国体開催が9月になった。
例年なら7月に県選手権が行われ、8月に国体予選があるのだが
北海道国体に合わせて、国体予選が県選手権の2週間後にある変則的な大会期間であった。

県選手権は、国体1次選考会も兼ねているので優勝したかった。
しかし、県選手権でライバルの今野恒徳先輩に負けてしまった。
敗因は一人で練習をしていた為、スタート練習でピストル音での練習をしていなかった。


私の持ち味のスタートダッシュがうまく反応できなくて前半がもたついてしまったのである。

当初、仙台に国体予選まで滞在予定であったが、なぜか中京大に戻って練習したかった。


青戸君や笠原君と肩を並べてスタートの勘を取り戻したかった。

この決断をする時に父と初めて練習内容のことで喧嘩した。

父は自分の目の前で私のトレーニングをチェックしたいと言う。
しかし、私は勝ちたいから中京大で最終調整をしたいと言い切った。
私の意見に父が折れてくれて、翌日の飛行機で中京大に戻ることになった。

出発する日の朝、父から飛行機の中で読めと手紙をもらった。

飛行機に乗り込み、父からもらった手紙を読んだ。
県選手権での敗因を父なりの見解が書いてあり、その対処法も書いてくれていた。
そして、国体予選に向けての父らしい励ましの言葉が書かれていた。

゛残された時間の中で最大限の努力をしてこい!
   仙台に帰って来た時には万全の状態である事!

   練習に勝る作戦なし、己に勝て!!

自分で決めた以上、自分が納得するレースをして勝て!゛

目頭が熱くなり涙が込み上げてきた。
必ず、父の前で優勝してみせるとあらためて心に誓った。

中京大の練習に久しぶりに参加した。
スタート練習もしたかったのだが、実はもうひとつ知りたかった事があった。
それは、青戸君にであった。

彼は全日本インカレでは本調子ではなかった。
しかし、2週間後の日本選手権では見事に優勝したのだ。
短い期間でどんなトレーニングをしたのか知りたかった。

教えてくれるかどうか分からなかったが、勝ちたい一心で青戸君に聞いてみた。
真剣に聞く私に青戸が答えてくれたのだが以外な答えに驚いた。

『実は何もしていないんだ、休んで休んでバネをためて、身体が走りたくなるまで休んだだけだ。』

どんな練習をしたかを聞きたかった私には想像もつかなかった答えだった。
そして、立て続けにこう言われた。  

『松村は練習をしすぎているから試合まで休んだ方が絶対にいい!
       だまされたと思ってやってみろ!休むのも練習なんだぞ!!』

青戸君のアドバイスを聞いた私は今まで調整法を振り返ってみた。
言われてみれば試合の前に少し休むくらいで、バネがたまるまで休んだことはなかった。


気持ちのどこかに練習を休むと走力が落ちるのではないかと心配になる。

知りたかった事は分かったのだが落とせない試合に対してぶっつけ本番で試していいものなのか?
梅月寮に帰ってから机の前でスケジュール表を前に自分の気持ちと向き合った。
絶対に後悔はしたくなかったのでいろんなパターンを考えてみた。

考えて、考えて、考えぬいた結果、試合までの前半は集中して確認練習を行い後半はおもいきって休むことにした。

しかし、正直いって不安であった。
今まで、あまり休んだことがない私にとって未知の経験。
不安な気持ちを国体予選で優勝しているイメージを何度も繰り返すことで打ち消すようにした。

試合の日が近づくにつれて私の身体に変化が現れてきた。
それは、゛走りたい゛という感覚であった。
走りたいのに走れないので身体がウズウズしてきたのだ。
湧き起こる気持ちを抑えるのに必死な私がそこに居た。

レースの3日前に仙台に帰った。

前日の練習を行うために宮城野原陸上競技場に向かった。
私の身体は暴れ馬のごとく走りたくてウズウズしていた。
青戸君の言っていたとおり、バネがたまり身体に爆発力のような感覚があった。

集中して30Mのスタートダッシュを1本だけ行ったが
あまりの動作の良さに私が驚いてしまった。
30Mを走るつもりが勢い余り100Mまで走ってしまったのである。

一緒に練習を見に来てくれた父も動作のキレの良さに満足してくれた。
100Mの後半走の確認のために60Mの加速走をしたらどうかと父に言われたが
走りたい気持ちをグッと抑えて、明日のレースに臨むことにした。


国体予選の日が来た。

予選からライバルの今野先輩と同じ組であった。
しかし、身体の感覚に不安な部分は何一つなかった。
10秒82(−0.4)で走り1位で通過した。

身体のキレは相変わらずいい感じだ。
決勝前のウォーミングアップ中、今までの道程を思い出していた。
ただひたすら自分が勝つことを信じて
ひとつ、ひとつの動作を確認して決勝のレースを迎えた。

決勝、宿敵ライバルの今野先輩との勝負。

号砲一発でスタート。
後半、追いすがって来る今野先輩を振り切って1位でゴール。
結果、10秒68(無風)の自己ベスト記録で快勝した。

これで、北海道国体でもう一度戦える!
今度こそ同じ土俵で勝負してやる!!
気持ちはすでに秋の国体に走っていた。


この研究レポートを書いている時に北京オリンピックが始まりました。
その中でケガで悩む選手が非常に多く目立っていました。

さぞかし悔しかったと思います。

試合で勝つためにハードな練習を積んでいく訳ですが
大事なことは練習内容に間違いがないかという問題点です。
パワーアップはもちろん大切な課題ですがバランスが取れていないのに
筋トレにはしる選手が後を立ちません。
パワーアップの意味を筋肉を付ければいいと考えている人が余りにも多いのが現状です。

本当のパワーアップとは筋肉や関節の可動域や柔軟性を確認しながらいかに楽に動作が出来るかということ。
筋肉をいかに付けることではなく、筋出力をいかに高めていくかが大切なことなのです。

人間は地面に立っているだけで地面からの反力をもらっているのですが
この地面反力を体感(理解)して立ったり、歩いたり、走ったりしている選手があまりにも少ないのです。
体感するためにまず必要なことは身体をゆるめることなのです。
まず、身体の重さを利用した動作を体得することが基本になります。
この動作を体得するために必要になってくるのが゛骨゛を意識したトレーニングです。

(詳しくはこれからの研究レポートで書いていきたいと思います。)

現在の自分自身の身体を活用できない状態でバーベルやダンベルを利用した筋トレを行うことは非常に危険です。
自分の身体なのに自分でコントロールできていない状態であることを知ることが大切です。
もうひとつは筋肉の疲労がしっかりと取れているのかが重要になってきます。
精神と肉体、両方の身体感覚のズレをいかになくし、うまく筋肉の疲労を取りきることも重要な課題点です。

しっかり休むことも大切な練習のひとつです。


次回の研究レポートは『ゴールが私に近づいて来る?』です。

第10回 内観力 『人の想いを馬鹿にするな!』

大学4年生の日本学生選手権が終わった。
結局、1度も出場する事が出来なかった。

目標を見失いかけた。 
夢であった笠原君に勝ち、個人で100Mに出場する事とリレーで優勝して学生記録を更新すること。
苦しかった冬季練習を乗り越えたのに、、、、、

帰りの新幹線、東京から名古屋に着くまで
本当に色々考えたが気力もなく完全に目標を見失いかけていた。

中京大の練習には出たくなかった。

ある日、梅月寮にK先生から電話があった。
出たくなかったので居留守を使った。
しかし、そう何度もは通用しない。
仕方なしに電話に出た。

゛松村、最近練習に顔を出していないようだが体調でも悪いのか?゛ と言われた。

『別に、、、、、』と無愛想な返事を返す。

こちらの気持ちも考えずにあれこれ語りだすK先生の無神経さに思わずキレた。

『K先生、何で私を日本インカレで走らせてくれなかった!!』

゛松村は怪我した後だから走らせなかったのだ゛と言った。

すかさず私は大声で怒鳴りつけた。

『K先生との約束通り東海インカレを怪我した状態で走り抜いたではないか!!
  K先生との約束を守り、きっちり走りきった。私は日本インカレには出場させてもらえると信じていた。
    実際、日本インカレの時は怪我も完治して万全の状態で走れる準備は出来ていた。
      K先生は男の約束に泥を塗るのか!!!!!!』

そして、立て続けに私は言った。

『あの時、鈴木に変わって1走を走らせてくれていたら
  鈴木よりも100分の1秒でも早く、2走の笠原君にバトンを渡せた自身はあった!!!!』

K先生も興奮した口調でこう言い放った。

゛バカを言うな、鈴木、笠原、加藤、青戸があの時のベストメンバーだ。
   おまえが走っても何も結果は変わらない!!!!゛

『それじゃ、なぜ?怪我した私に東海インカレを走らせたのだ!!
   日本インカレのリレー出場に合わせて怪我を完治させたい
      笠原君との勝負をあえて捨ててでも走りたいとお願いしたではないか!!!!!!!』

私の心からの訴えに対して、K先生は私にこう言い放った。

゛じゃ、正直に答えてやろう! 青戸、笠原、加藤、この3人が中京大学のベストメンバーだ。
  東海インカレ、日本インカレにこのベストメンバーを出場させたら、
     おまえの出番がなくなるので、お情けで出してやっただけだ、ハッハッハッハッ、、、、
        それにな、もし、おまえをリレーに出して怪我でもされて
          得点が取れなかったらどうしてくれるんだ???????゛

『あ〜そうかい、分かった。おのれの本心がよ〜く分かった。
   中京大の練習には二度と出ない。そして、おのれにも2度と話かけないから俺に二度と話しかけてくるな!!!』


そう言って、受話器を叩きつけた。


私は部屋に戻り、しばらくの間、怒りを通り越して呆然としていた。
今まで取り組んできた事を走馬灯のごとく思い出していた。
時間が経つにつれて自然に涙がこぼれた。
悔しくて、悔しくて、大声で泣きまくった。

『人の想いを馬鹿にするな〜!!!!!!!!!!!!!』


身体の奥から力がみなぎってきた。
このまま終わってたまるか!
秋の国体でもう一度、勝負してやる!!
絶対、あいつ(K先生)を見返してやる!!!


一人、秋の国体出場を目指して、豊田市の陸上競技場で練習を再開した。


試合に出れない選手の辛さ。
得点稼ぎの道具や自分の出世のために選手を物扱いする先生が実際にいる。
何のための先生なのか?選手の努力や気持ちはどうでも良いのか?
本当に呆れかえって物も言えない。
人生の中で競技に携われる時間は本当に短いものです。
どんなスポーツをするにしても選手が努力してきた事をきちんと評価してあげたり
試合に出場させることで一生の思い出になる選手だっているのです。
指導者として又、教育者として選手達にどんな事をしてあげることが一番大切なことなのか?
今一度、よく考えて頂きたいと思っています。




次回の研究レポートは『強い選手ほどきちんと休める?』です。


第9回 内観力『ケガより辛い試合観戦』

東海インカレ、一週間前になりジョグを始めた。
ひとつ、ひとつの動作を慎重に確認しながらウォーミングアップをする。
不安な気持ちで爆発しそうな心をひた隠しながらポーカーフェイスを貫いた。

ただ自分の足が回復してくれることだけを信じて、、、、

試合の前日、父も仙台から駆けつけてくれた。
父に現在の状況を話しながら練習内容を決めた。
心配しながら見守ってくれる父の前で足を気にしながら
瑞穂陸上競技場のサブトラックでウォーミングアップを始めた。

明日、足が引きちぎれてもいいから笠原との勝負に望もうと決意した。

試合当日、I先生に皮内針を何十本も足に埋めてもらい痛み具合を確認した。
いろんな角度で動かしてみたが痛みは明らかに減っていた。
少し不安が消えて勝負に臨む気持ちに火が点いた。

久しぶりにスパイクを履く。
逸る気持ちを抑えながら軽く走ってみる。

『少し痛みがあるが何とか走れそうだ、、、、』

スタートブロックに足を乗せて、得意のスタートダッシュも恐る恐る確認してみた。
足に負担をかけないように走ったのだが持ち前のピッチ走法は健在だった。
そのピッチの速さにウォーミングアップを見てくれていた父も驚いた。

『卓、すごいピッチ走法だな!あれだけ動けれるのなら大丈夫だ!自信持って行け!!』


と励ましてくれた。

予選は1コース、追い風参考ながら後半軽く流して10秒68だった。
まずまずの走りに不安だった気持ちから挑戦者の気持ちに変わっていった。
父の前でライバル笠原君に勝ちたい、、、、
その想いが強くなっていった。


東海インカレ男子100M決勝。

勝負の時が来た。
7コース、松村 卓 8コース、笠原 隆弘 となりのコースだった。
意識しないようにしたがそれは無理な話であった。

『位置について』

『用意』

『号砲(ドーン)』

号砲一発、得意のスタートダッシュでリードした。
しかし、勝ちたい一心で気が焦りピッチが空回りしてスピードが上がらない。
無理な(無駄な)力を入れれば入れる程、ケガした部分に痛みが走りスピードが上がらない。

後半、笠原君に追いつかれてそのままゴール。

この瞬間、日本インカレ100M出場の夢は消えた。
ケガをしていない状態で完璧な状態で走りたかった。
仙台から応援に来てくれた父の前で勝ちたかった。

観客席で見ていてくれた父にお礼を言いにいった。
『早くケガを治して、日本インカレに合わせろ、また応援に行くからな!』
負けたことには触れず、次の目標に向かって頑張れと励ましてくれた。

ケガをした足で無事に走り終えれた感謝の気持ちをI先生にもお礼を言いに行った。
そして短距離のコーチにも結果報告に行き、日本インカレのリレーまでには絶対にケガを完治させると約束した。
複雑な気持ちを整理するまで時間がかかった。

2週間後に迫った日本インカレに向けて練習が始まった。
ジョギングでバトンパスの練習は出来るのだが
本格的なバトンパスの練習はメンバーには申し訳なかったのだが
まだ痛みが残る足では無理であった。

日本インカレの会場である国立競技場に向かうため
名古屋駅から新幹線で東京に向かった。
憧れの国立競技場で走るために頑張ってきた想いを胸に秘めながら
新幹線の窓から見える景色を眺めていた。

中京大学が持つ4×100MRの学生記録を更に更新して優勝する。
もうひとつの夢を叶えるために練習してきたのだがケガをして思うような練習は出来ていない。
しかし、幸いに足のケガはこの時完治していた。
そのことはメンバーにも短距離のコーチにも伝えに行った。

仙台から父も国立競技場に見に来てくれた。
走れるかどうか分からなかったがメンバーと一緒にウォーミングアップを始めた。
途中、短距離のコーチが来て予選のメンバー発表があった。

1走、鈴木 2走 笠原 3走 加藤 4走 青戸

私の名前はそこにはなかった。


ウォーミングアップを終えたメンバーに励ましの言葉をかけた後
父の居る観客席に向かった。
予選、走れない事を下を向きながら伝えた。

『そうか、、、、』

その言葉の後、会話がしばらくなかった。
息子の力走をみたい父の想いは黙っていても伝わってきた。
おそらく、私の走れない悔しさも父に伝わっていたのだと思う。

4×100MR予選が始まる。

実は100Mで青戸君も笠原君も調子悪く他校の選手負けていた。
走りとしてはキレがなく精彩を欠けていたのであった。
逆に調子が良かったのが日本大学であった。

予選は通過したものの記録的には良くなく日本大学がTOP記録であった。
走り終えた選手に声をかけに戻ると短距離のコーチもすでに居た。
思わぬ結果に笠原君や青戸君が短距離のコーチに言った。

『決勝は松村で行きましょう!K先生!』

私も走りたくて走りたくて思わず言った。

『K先生、走らせて下さい!!お願いします!!』と深々と頭を下げた。

しかし、K先生の答えは
『ダメだ!予選と同じメンバーで行く!!』
颯爽と背中を向けて、その場を立ち去って行った。

この言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

記録会でケガをしてしまい
日本インカレの100M出場の夢を断念する変わりに
4×100MRの1走を走るために東海インカレで笠原君との勝負をあきらめて
日本インカレに合わせて調整させて欲しいという願いを申し立てに行った時に
K先生は東海インカレで笠原と勝負しないやつを日本インカレで走らす訳にはいかないとまで私に言い放った。

ケガを押し切って必死の思いで走りきった東海インカレの100M。

『男の意地を見せてみろ!』

と言われ泣きながら父に相談して走ることを決意した。
あの約束はなんだったのか?
気持ちの整理がつかないまま父の居る観客席に向かう。

父を目の前にしても何も喋ることが出来なかった。
私の表情を見て父も何も話さなかった。
長い長い沈黙の時間が続いた。

4×100MR決勝の時がきた。

中京大学の前レーンが日本大学だった。
見たくないレース。
しかし、父から出た言葉を聞いて顔をあげた。

『本当だったら、卓があそこで走っていたのにな〜』

悔しかった、、、、
本当に悔しかった、、、、
涙が溢れ出てきて止まらなかった、、、、

こみ上げて来る想いを必死で殺しながらレースを見つめた。

結果は、、、、
日本大学の優勝
しかも学生日本新記録樹立。

目の前で起こっていることがまるで夢を見ているようだった。

走り終えたメンバーに『お疲れ様』と声をかけた。
それ以上、声をかけることが出来なかった。


そして、K先生の顔を鬼の形相でにらみつけた。


それから暫く、中京大学のトラックに私は姿を現さなかった。



ケガをする事の辛さ、、、、
そして、ケガをする事以上の辛さは選手として試合に出場出来ないことである。
この気持ちは経験したことのない人には決して分からないことである。
なぜ?ケガをしたのか? どうしたらケガをしなくてすむのか?
今の私が身体機能向上を研究する想いはこの経験が元になっている。
この後、追々分かってくる様々間違ったトレーニング内容やケアの仕方を知った時
私はカルチャーショックを受けて暫く立ち直れなくなるのである。
これからの研究レポートで随時、書き連ねていきたいと思う。


次回の研究レポートは『人の想いを馬鹿にするな!』です。

第8回 内観力『間違って鍛えた身体の結果』


今シーズン最初の試合、中京大学で行われる土曜記録会の100Mに出場する日の朝
布団の中で一生懸命やってきた冬季練習を思い出していた。

今年は勝負をすると決めた年である。
自分を信じて、勝利を信じて、いろんな事に打ち勝ってきた。
記録会前の確認練習でも手ごたえは感じていた。

中京大学に向かう前、梅月寮の自分の部屋で
お気に入りの音楽を大音量でかけてテンションを上げていく。

この頃、試合の前に聞いていた曲は、アン・ルイスの『六本木心中』だった。
ピッチ走法の私は早いリズムに合わせながら、100Mを一気に走り抜けるイメージトレーニングを
何度も何度も行いながら自分のレース展開のイメージを作っていた。

念入りにウォーミングアップを行い、身体の感覚を確認するのだが
まるで、暴れ馬を落ち着かせるかのように爆発寸前の状態だ。

いよいよ記録会が始まり、私の出番がやってきた。
スタートブロックを設置しながら集中力を高めていった。

100Mのゴールを見つめ、イメージした走りを思い出しスタートラインに着いた。
スタートの号砲ともに弾丸スタートダッシュで飛び出し、フル回転でピッチを上げて
一気のゴールを駆け抜けた。

記録は『10秒5』自己新記録だった。


記録を聞いた瞬間、思わずガッツポーズをして拳を天に突き上げた。
信じてやってきた練習の成果が出た事が本当にうれしかった。
安田先生も、あまりのピッチの速さにビックリされて誉めていただいた。


次の記録会でも10秒5を出した。
身体の動きはすこぶる調子がいい!
次の記録会は目標であった10秒3を目指す事だ。
ライバルの笠原君に勝ち、日本インカレに出場するためには
最低、10秒3を出したかったのである。


もうひとつ気になることもあった。
この年、新入生に鈴木が入ってきたのである。
(彼は後に日本チャンピオン、バルセロナオリンピックに出場する。)
日本インカレの4×100MRの選手争いに鈴木が加わった。


そして、3回目の記録会が行われた。
この記録会の成績で、東海インカレ、日本インカレの選考が決まってくる。
何がなんでも自己ベスト記録、目標記録である10秒3を出すと意気込んだ。

プログラムを見て驚いた。
なんと、鈴木と同じ組であり、しかも隣りのコースだった。

『負けられない!!』

闘争本能に火がついたかのように鬼の形相でウォーミングアップを開始した。
この勝負に勝てば、日本インカレの4×100MRメンバーになれる。
勝ことだけを信じてレースを迎えた。

鈴木を意識しながらも、いつもの様にゴールを見つめてスタートラインに着いた。

好スタートを切って、一気に鈴木を引き離した。
しかし、30Mを過ぎたあたりで左足大腿二頭筋に痛みが走った。
一瞬、やめようかと思った。
ものスゴイスピードの中で走りながら色んなことを考えていた。

゛ここでやめて、鈴木に負けたら4×100MRの選手にも選ばれない゛
やめる訳にはいかないと判断してそのまま走り通した。

軽い肉離れを起こしたまま走り抜け、記録は10秒5であった。

まわりに悟られないようにケガをしたようには見えないようにした。
気も張っていたせいでその場ななんとか誤魔化していたが
寮に帰る頃にはズキズキ痛み出したのである

友人に撮ってもらったビデオを見ながら動作をチェックして見たが
当時の私はなぜ?ケガをしたのかまったく分からなかった。


今は理解出来るのだが、大腿四頭筋の鍛え方を間違っていたのである。
ブレーキの筋肉を鍛えすぎるとスピードを殺してしまうのだ。
せっかく大臀筋やハムストリングでスピードを生んでくれているのに
大腿四頭筋の力が勝ると共縮になり筋肉にかなりのダメージを与えることになる。
逆収縮する現象に筋膜も筋肉も耐え切れずに傷めてしまうのである。
好調であった私は悲鳴を上げ始めていた筋肉の声を理解出来ていなかった。

もうひとつ残念で仕方ない事がある。
それは、親指で一生懸命に地面を蹴っていたことである。
当時、拇指球や親指で地面を力強く蹴れ(押す)と言われていた。
今、もし私が現役選手ならば決して親指は使わない。
なぜなら、親指の役目はブレーキを強くするためスピードを止めてしまうのである。

特にスタートダッシュの場面においては
まず、スタートブロックを蹴る(押す)時も親指がリードし
30Mまでは加速するために親指でしっかり地面に力を伝えて
スピードを生むものだと信じていたのである。
しかし、実際は逆でスピード止めるブレーキをかけていたのである。

フルアクセルを踏み込みながらフルブレーキをかけた車を想像して欲しい。
車が壊れても当たり前の話である。
私の身体が悲鳴を上げ、筋肉をケガしても当たり前の話だった。
悲しいかな、まだ親指で一生懸命に地面を蹴って(押す)いる人が後を絶たない。


東海インカレまで2週間しかない。
その2週間後は全日本インカレがある。

私は悩んだ。
東海インカレまでにこの足は治るだろうか?
しかし、打倒、笠原君で日本インカレの100Mに出場するために頑張ってきた。
でも、日本インカレまでには1ヶ月あるその頃には走れるだろう。

私は決断をして、短距離のコーチに相談をしに行った。
東海インカレをやめて全日本インカレの4×100Mリレーにかけさて欲しいと。

しかし、短距離のコーチからこう言われた。

『松村が4年間、努力した結果を出す時だ!しっかり東海インカレで笠原と勝負してみろ!!』


また悩みに悩んだ。
思わず父に電話をかけた。
今までの経緯をすべて父に話した。

『お父さん、勝ちたいんや!出来る事なら、どうしても走って笠原君に勝ちたいんや!!』
泣きながら父に訴えた。

泣きじゃくる私に父は力強い言葉で語ってくれた。
『短距離の先生がそこまでお前の男気を買ってくれているならば思いきって勝負してみんかい!』
父の言葉を聞いて、勝負することを決意した。

父も100Mの選手だった。
大阪チャンピオンで国体にも何度も出場し3位の成績を持ち
リレーでは優勝の経験を持つ猛者であった。

その父から治療方法を教えてもらい毎日針と温泉に通う。

梅月寮から一番近い、猿投温泉に通い半身浴で温めては冷やし
温冷、温冷を繰り返して強張った筋肉をほぐした。

毎日、温泉に入りながら泣いた。
もし、あのレースでケガをしなければ間違いなく10秒3は出たはずだ。
ケガで自分の夢が壊されていくのが本当に悔しくて心底泣いた。
励ましてくれる両親の言葉だけを信じて必死で不安と戦っていた。


そして、I先生のいる鍼灸院にも通い詰めた。
I先生には東海インカレまでには100%とは言えないけれど
70%位なら回復するだろう辛抱しながら頑張るんだよと励まされた。

本当に辛い日々であった。
ケガのない状態で笠原君と勝負したかった。
しかし、愚痴を言っても仕方がない。
自分を信じて足のケアをする以外何も出来なかった。


東海インカレまで後1週間、勝つことだけを信じて足の回復を願っていた。


次回の内観力は『ケガより辛い試合観戦』です。

第7回 内観力 ウェイトトレーニング編 NO.5

『間違いだらけのトレーニング No.3』

大阪室内陸上出場を楽しみにスタート練習をしていた私のところに
短距離のコーチが近寄ってきた。

『松村、悪いなぁ〜大阪室内陸上の出場はダメだった。』 

しばらく言葉が出なかった。

同期の笠原君に1度も負けない走りをし、現場で見ていたのにもかかわらず
私が無名の選手だからという理由で出場出来なかった。

この悔しい思いは後日、更に増すことになる。

大阪室内陸上をTVで観戦していた。
本当だったらあそこで走っていたかもしれない、、、、、

なんともいえない複雑な思いであった。

しかし、笠原君が決勝に進出したのである。
その笠原君に1度も負けた事のない私である。
絶対に決勝に出れた自信はあった。

悔しかった。本当に悔しかった。

この思いをすべて練習に打ち込んだ。
シーズンインまで後1ヶ月半、不足していると思うトレーニングを
悔いの残らないようにがむしゃらに行った。

その中でも以前、Y教授から習った大腿四頭筋を鍛えるレッグ・エクスティションに力を入れた。
バランスを崩さないためにも左右、片方の足ずつ行うようにした。
ジョイナーの強烈な走りを夢見ながら真剣に取り組んだ。

しかし、このトレーニングで私はこの後、ケガに泣くことになる。

今は理解していることなのだが
大腿四頭筋は主にブレーキの筋肉で使う場合が多い。
階段を下りる時や山道の下り坂などこけない様に大腿四頭筋に力をいれる。


大腿四頭筋の筋肉を鍛えると言うことは必然的にブレーキが強くなってしまうのである。




ジョイナーは決して大腿四頭筋を鍛えたからあれだけのストライド(正式には移動距離)を伸ばせたのではなく
その逆の大腿二頭筋や大臀筋の裏側の筋肉を鍛えた結果、物凄い前捌きで推進力を生み出したのである。
決して膝下を振り出しているのではなく自然に移動した腰位置の真下にきちんと戻しているだけなのだ。
しかもリラックスしているので接地アクセントが非常にうまいので見ている側はどんどん加速しているように写る。

身体の軸をきちんと作り上げ、見事な空中でリラックス状態
力を入れるON状態と力を抜くOFF状態の連続動作をスムーズに行い
男勝りのうらやましい筋肉を鍛え上げ、笑いながら走り見事に金メダルを取った。

写真分析のフォームを見て解説しているのをよく見ることがあるが
その選手の動作を外側から見て解説している人の言うことはあまり当てにはならない。




なぜなら、動いた結果をいくら評価しても動作自身は終わっているのである。
だから腕がよく振れているとかモモがよく上がっているとかしか表現が出来ない。
しかし、本当に見なければいけないところは身体の外側の動きを見ることではなく
身体の内側の動きを見なければいけないのだ。
腕がよく振れているとかモモがよく上がっているのは
身体の内側にある肩甲骨や骨盤、または丹田や上丹田、横隔膜を総動員し
筋肉も動いてひとつの動作になっていくのである。

Y教授の様にジョイナーの動作を見て前に振り出された足の動きは
ウエイト・トレーニングのレッグ・エクスティションの動きと同じだから
ジョイナーはきっと、レッグ・エクスティションをしたに違いないと思ったのだろう。



こんなレベルで動作解析をしているとは目を塞ぎたくなる。

身体の内側の動作を読み取る力を『内観力』と私と呼んでいる。
『内観力』がない指導者では大変な間違いをしている場合が非常に多いのである。



中京大学の陸上競技場にある桜の花が咲き始めた。


1989年4月、大学4年生になりシーズン最初の記録会の日になった。
中京大学で行われる『土曜記録会』の100Mに出場するために
私はウォーミングアップを始めた。


次回の内観力は『間違えて鍛えた身体の結果』です。

第6回 内観力 ウェイトトレーニング編 NO.4

『間違いだらけのトレーニング No.2』
この年、中京大学は、日本インカレの4×100MRで学生新記録を出した。
私の来年の目標は、100M出場で3位内に入ることと
4×100MRの1走を走り優勝する事と学生記録更新であった。

しかし、日本インカレの100Mに出場できるのはたったの2名。

しかも、ソウルオリンピックに出場した同級生の青戸君、笠原君の
どちらかに勝たなければ出場は出来ないのである。
最大のライバルが日本チャンピオン2人。
普通なら、あきらめるだろうが私はあきらめられない。


勝ちたい、、、、


ただ、その一心だった。



意を決した、1988年11月、来期に向けた冬季練習を開始した。
強化する内容は次の通りである。

・ピッチ走法の完成とそのための筋力強化
・スピードに負けない上半身の強化
・スナッチ系の瞬発力の強化
・肉離れをしないために大腿二頭筋の強化 

そしてY教授の話していたジョイナーの推進力を生んでいるのは大腿四頭筋だと聞き
レッグ・エクステーションで鍛えることも追加した。

まず取り組んだのがピッチ走法の強化であった。
支持足(着地した足)の角度はそんなに深くはない。
その角度から最高の力を発揮することが出来ないか?と考えた結果
クォーター・スクワット(4分の1の角度)でパワーアップとスピードアップを求めた。



スピードが出ると上半身があおられて後傾してしまうので
上半身の強化としてベンチ・プレスやバック・プレスを強化した。
さらなる強化を求めて腹筋も重量をアップした。

スタートダッシュを得意とする私はもっと瞬発力を高めるために
スナッチやクリーンをかなりのスピード重視で行った。
腰の強化としてデット・リフトも重量をアップさせた。

この当時、肉離れをする原因はももの後側である大腿二頭筋が弱いので
肉離れをしてしまうと当たり前のように言われていた。
私も大学生になってから肉離れの常習犯であった。


ストレッチ体操やストレッチ器具まで使用して念入りに行っているのにケガをしてしまう。


私ほどケガをしたくないから入念にストレッチを行っている人間はいなかったと思う。



これだけストレッチを行って筋肉を柔らかくして柔軟性を高めているのに
肉離れなどのケガをする原因はきっと筋肉が弱いからであろう。
筋肉を強化すれば肉離れはしなくなるだろうと
当時の私は何の疑いもなく信じていた。

そして、この年もさらなる筋肉強化のためにレッグ・カールを意識的に行った。
バランスを取らなければいけないと思い片足ずつ行った。
もちろん、重量アップにもこだわった。


今は分かっている事であるがストレッチ体操はケガの予防には決してならない。
関節可動域を狭めて発揮筋力を低下させてしまうためケガをする原因になる。
最近のスポーツ研究論文でも発表されている。
身体の基本的な構造も勉強せず言われた事を鵜呑みにして行った自分が情けない。


誰もが信じてやまないストレッチ神話であるが
実は最悪のトレーニング法である。
この課題は後日、ゆっくりお話したいと思う。
それから肉離れ防止のために私が行っていたレッグ・カールでは
根本的に走る動作における筋肉の使い方とは全く別物であり効果はそれ程ない事も付け加えておきたい。


そんな事実を知らない当時の私は夢をかなえるためにひたすら鍛え続けた。


その結果、次の様なパワーアップ(当時の認識で)をした。

・クォータスクワット 300kgを持ち上げて10回×5セット
・ベンチ・プレス   115kgを持ち上げる(MAX)
・腹筋台の一番高いところで 20kgのバーベルを担ぎながらの10回×5セット
・バック・プレス 70kgを持ち上げる。(MAX)
・レッグ・カール 両足で70kgを持ち上げる(MAX)
・スナッチ 60kgをハイスピードで10回×7セット
・デッド・リフト 150kgを持ち上げて10回×5セット
・レッグ・エクステーション 両足で90kg(回数は覚えていない)


ここまでパワーアップが出来れば戦える!!
そう信じて鍛え上げた自分の身体を見つめながら勝利を夢見た。
連日、走りこみや補強にも精を出し、強くなること勝つことだけを信じてトレーニングに明け暮れた。


年が明けて、1989年。

トレーニングは順調に進んでいた。
1月の半ばから、青戸君、笠原君は室内練習場で早くもスタートダッシュの練習が始まった。
理由は2月に行われる大阪室内陸上大会に出場するためだ。

そんなある日、短距離のコーチから

『松村、おまえも大阪室内陸上に出てみないか?俺が推薦してやるぞ!』と言われた。



天にも昇る思いで、『よろしくお願いいたします!!』と返事をした。


スタートダッシュには自信があった。
時期的には早いのだが青戸君や笠原君とも勝負して見たかった。
パワーアップされた肉体に独自のピッチ走法を強化してきた結果を是非とも試してみたい。

久しぶりにスタートブロックに足を乗せる。
そして、はやる気持ちを抑えながらスタートダッシュの練習を始めた。


『悪くない!』


走るスピードを徐々に上げていった。
ある程度、スピードを上げても身体の反応も良い。
自分のしてきた練習が間違ってなかったと確信した。

そこへ、笠原君がやってきて
『一緒にスタートダッシュの練習をしないかと』と言ってきた。

願ってもないチャンスだ。喜んで引き受けた。
室内練習場の50Mを何度走っても連戦連勝だった。
梅月寮の仲間も一緒になって応援してくれた。


大阪室内陸上に出場できる事を楽しみにしていた。



次回の内観力は『間違いだらけのトレーニング No.3』です。

第5回 内観力 ウェイトトレーニング編 NO.3

『間違いだらけの鍛え方』

1988年ソウルオリンピックは印象に残るレースが数多くあった。
男子100Mのベン・ジョンソン対カール・ルイスの対決は未だに脳裏に焼きついている。
この大会でもう一人ずば抜けて凄かったのがフローレンス・グリフィス・ジョイナーである。
男子顔負けの筋肉の付き方、他を圧倒する加速力に度肝を抜かれた。

このソウル・オリンピックに同級生の青戸慎二君、笠原隆弘君が100M代表選手として選ばれた。
同じ大学でしかも同級生二人がオリンピックに出場するのは前代未聞であった。

私はこの年から頭角を現した。
きっかけは梅月寮の仲間とソフトボールをした時、
レフトを守っていた私に起きたことから始まった。

小学校、中学校と野球をしていた私は外野の守備が得意であった。
昔から足は速かったので守備範囲は広かった。
久しぶりに大好きであった野球を無我夢中でボールを追いかけていた。

試合が終わり寮に帰る車の中で同級生の森田繁雄君が話しかけてきた。

『まっちゃん、今日の守備の時に見せたあのピッチ走法いいね〜』

となりに居た同級生の寺田浩史君も同じことを話した。

『普段の走り方は無理にストライドを伸ばそうとする走りだが今日の走りはまるで違ったよ!』

私はフッと我に帰った。
子供の頃の私は確かにピッチ走法だった。

自然と意識することなく走っていたのだが、
1984年のロサンゼルスオリンピックで四冠王を取ったカール・ルイスの影響を受けてか
当時はルイスの走り方を真似する選手が非常に多かったのである。


大きなストライドと大きな腕振りを小さな私の身体で同じことをしようしていた。
到底、私に合うはずがない走法で記録向上を目指しても無理な訳である。

今はよく分かるのだが、ルイスはモモを高くあげていたのではない。
ゆりかごやブランコのように押してあげれば元の場所に自然に戻るように
上がっているモモを速く下ろすことにより自然に反対のモモは上がってくるのだ。

しかし、当時の連続写真の解説ではルイスは地面を強くふくらはぎで支え、
モモをしっかり上げ大きな腕振りで推進力を出している、、、、と書かれていた。
それを見た選手はいわゆるモモ上げに精を出した。
100Mモモ上げなどの練習が当時は流行った。

本当にバカな話だが、大腿四頭筋はブレーキの役目もする。
ブレーキを鍛えるということは読んで字のごとく止まることが得意になる。
止まるということはスピードが落ちるということだ。

上辺だけで物を見る人達に翻弄されている選手達は犠牲者の何者でもない。
本当に強くなりたい一心で取り組んでいることが間違いであってはならないのである。


それから私は練習方法を全て変えた。
ストライドを無理に伸ばすのではなく出来るだけコンパクトに早く動かすピッチ走法に変えた。
そのためにゴムチューブを早く引き上げるトレーニングを取り入れた。
ウエイトトレーニングの内容も見直しスピード重視のトレーニングにした。

ジョギング、流し、ダッシュ、跳躍系のトレーニング全ての着地の瞬間を意識した。
いかに次の足を速く動かすかに全神経を集中させていた。


今思えば、この動作は居着きをなくすトレーニングになっていたと思われる。


そして速く足を動かすということはそれだけ身体全身を意識してコントロールしなければならない。
身体を速く動かすイメージをイメージトレーニングを行い脳に焼き付ける。
まるで自分の身体とお話するかのように身体を速く動かす練習に明け暮れた。

内観力の意識の芽生えはこの頃から知らず知らずの間に培われていった。
神経と筋肉を繋げていくような作業は自分自身の身体との体話ともいえる。



1988年の京都国体 成年男子 100Mの宮城県代表選手に選ばれた。
陸上を始めて6年目で初めて国体の選手になれた。
100Mと4×100mRに出場したが予選落ちであった。
この年のベストタイムは10秒70。

更なる記録更新を目指すために冬季練習に意欲を目指す私に
知らない方が良かった情報を知る事になる。
大学の授業の中でY教授が話した内容は
当時、もっと強くなりたかった私には何の疑いもなく聞いてしまった。

その内容とは、ソウル・オリンピックで活躍したフローレンス・グリフィス・ジョイナー選手の
動作分析とトレーニング内容であった。

このY教授の話を信じた私は翌年、大変苦しむことになる。
大学4年生 最後の陸上競技で天国と地獄を味わうことになろうとは
この時の私は知る余地もなかった。


次回の内観力は『間違いだらけのトレーニング No.2』です。

第4回 『内観力』 ウェイトトレーニング編  No.2

昭和59年の春、中京大学 体育学部 体育学科に入学した。
短距離の寮に入る予定だったが人数調整の関係で跳躍の寮に入った。

未だに忘れられない光景がある。
それは入寮して間もない風呂場での事だ。
当時、1年生は決められた時間にしか入浴できない。
大抵は同級生同士で仲良く入るのだが、たまたま4年生の先輩が風呂に入って来られた。


一同皆、『こんばんは!』の挨拶の後、静寂した。

棒高跳びの先輩だったので、その筋肉の凄さに圧倒されてしまった。
先輩の身体を見てから自分の身体を見て余りにも貧弱に思えた。
しっかりトレーニングを積まなければならないと決意を決めたのである。

大学のトレーニングジムに恩師の安田短明先生(故)の息子さんの和広さんがいた。

和広さんは鳥取県のワールドウィングの小山裕史先生のところでトレーニングの勉強をされてきた方だった。
(当時は『トレーニング革命』でまだ初動負荷トレーニングではない。)
和広さんに薦められ『トレーニング革命』の本を購入した。

読んでは見たものの当時は良く理解できなかった。
10年後、自分が小山先生の初動負荷トレーニングを
学びにいく運命であることをこの時は想像もしなかった。

初めて和広さんの身体を見たときは、ヘラクレスかと思うくらい凄い筋肉であった。
ウェイトトレーニングを本格的に指導してもらえるのは初めてだった。
早速、基本的なメニューの作成をお願いする。

トレーニングの際、必ず今どこの筋肉を使っているのかを意識するように指導された。

アームカールなら上腕二頭筋をバックプレスなら広背筋を意識するように心がけた。

ベンチプレスはある意味、一番意識しやすいトレーニングであった。
パンプアップした自分の身体を見て喜んだものだ。
(この事が後々、悩みの原因にもなるのも知らずに、、、、、、)


私が当時、一番得意であった種目がスナッチだった。
地面から一瞬にして頭上に持ち上げる動作だ。
身体全身で動作しなければうまく出来ない。


これらのトレーニングを経験することで筋肉を意識するという事を学んだ。


メニューの中で1番興味深かったのはスクワットである。
大腿四頭筋の前側ではなく大腿二頭筋の裏側を鍛えよという。
そして、背中にアーチを作って大腿二頭筋を意識しろと教わる。
高校時代はスクワットをする時に背中を意識する事など1度もなかった。
スクワットは大腿四頭筋を鍛えるものだと思っていたし、
いわゆるハムストリング(大腿二頭筋)はレッグカールで鍛えること位しか知らなかった。

当時の私は背中の筋肉は固くはなかったがアーチを作るのはうまくなかった。
今の私ならその原因は分かるのだが当時の私のレベルでは知る余地もなかった。
骨盤の使い方を知らない人間が背中のアーチを作ることは至難の技である。

現在でも多くの方々が取り組んでいるバランススクワットは少々問題がある。
背骨の使い方と筋肉のほぐし方を知らない人間が無理にポーズだけ求めると
ケガをする可能性が非常に高いのである。

立ち位置のバランス点、股関節の柔軟性、骨盤の可動域、背筋群の柔軟性、肩甲骨の可動域、
足の指の使い方、手の指の使い方、そして一番大切な身体の内側の意識の仕方が揃ってこそ
身体のバランス点『力点』が生まれてくるのである。
『力点』が生まれて初めて力の流れるラインであるパワールートを意識する事になる。

このパワールートを自分自身で意識するトレーニングが内観力に繋がってくるのである。


内観力は、このパワールートいかに意識できるトレーニングを積めるかで身体動作の
世界が変わりはじめるのである。
この話の内容は後半の方で詳しく述べていきたい。


次回の『内観力』は間違いだらけの鍛え方をお伝えしたい。

第3回 『内観力』 ウェイトトレーニング編  No.1

私が初めてバーベルを握ったのが高校1年生だった。
ウエイトトレーニングに興味を持ったのは忘れもしない中3の冬に見た映画『ロッキーV』だった。
スクリーンに映るシルベスター・スターローンの筋肉に目が釘付けになった。
その頃の私は、筋肉=パワー(強さ)と何の疑いもなく思っていた。 筋肉が付けば記録が伸びると思い込みウェイトトレーニングに励んだ。高校に入ってから先輩に教わったウェイトトレーニングは、 ベンチプレス・スクワット・デットリフト・レッグカール・カーフレイズ・他いろいろ教わった。 鏡に映るたくましくなってきた自分の身体を見て妙にうれしかったのを覚えている。
ウェイトトレーニングを続けていくと走る練習の時に地面を蹴る力が付いたようにな気がした。 力強くパワーで走っているようにも思えた。

当時よく言われていたのがふくらはぎの強化であった。
ダッシュ力をつけるにはふくらはぎで地面を強く蹴るのだと言われた。 不幸中の幸いであったのが私のふくらはぎは余り大きくならなかった事だ。 なぜか、カーフレイズ(ふくらはぎを鍛える種目)は嫌いだった。 身体は間違いなく嫌がっていたのだろう。

ある程度の重さを上げられるようになってくると先輩から、 付けたい筋肉の部分を意識しながら行うと良いと言われた。 例えばベンチプレスの時は大胸筋を意識するとか、 アームカールの時は上腕二頭筋を意識することによって、 よりその部分の筋肉を強化しようと意図だ。

今では簡単に分かることだが、この時すでにメリット、デメリットが発生する。
メリットとは筋肉を意識することによって内観力(内部感覚)を養えること。
デメリットは筋肉を筋肥大させて固めてしまう硬化現象のことだ。

ボディビルの選手は筋肥大が目的なのだから何の問題はない。
しかし、スポーツ選手にとっては大事な動作を妨げる要因にもなってしまう。
競技に関係のない筋肉をたくさん付けすぎて逆に動けなくなり、 競技人生を短くしてしまう選手が後を立たない。

高校時代の私が上げる重量ではここまでの支障はまだ受けてはなかったが、 後々、全く走れなくなってしまうほどのボロボロの身体に自分自身がなるとは、 この時の私は知る余地もなかった。 自分の意識で筋肉を動かすことにより、身体全体をコントロールしやすくしようとした。 私自身はかなりの遠回りをしてしまったが自分の身体を意識して動作することへの、 第一歩は間違いなくウェイトトレーニングだった。
高校時代のウェイトトレーニングでは筋肉を意識して使いこなせるレベルは当然なかった。
大学時代、ケガばかりした私の唯一出来るトレーニングがウェイトトレーニングしかなかった。

次回の『内観力』は私が大学時代に行ったウェイトトレーニングでつかんだ動作意識をお伝えしたい。

第2回 『内観力』

読んで字の如く、内を観る力。

この内と言うのは私達の場合、身体の内側の事を意味する。
観ると言うのは身体の内側を観るという事を意味する。
身体の内側を観ることが出来る力(能力)を内観力と言う。

身体の外側の肉眼で見える部分ではなく、肉眼では見えない身体の内側の部分の動きを観る力。

極意という言葉の動作が出来る人。
いわゆる達人と言われている人たちがしている動作は、この外側からは決して見えない身体の内側の動かし方が上手いのだ。

昔から、軸を作れ! 中心線が大切だ! 体幹部を上手く使え! と言われるが、 実際どのようにすれば、その動作が出来るのか?
誰もきちんと教えてくれる人はその当時(高校生)、私のまわりには誰一人いなかった。

現在の私は、生意気にも多少の内観力が付いてきた。
相手の姿を見るだけで、得意な動作方向、苦手な動作方向、身体の柔軟性、身体の硬化部分が分かるようになった。 そして、その改善方法も経験を積んできた。

そんな事が本当に出来るのか?
眉唾的に観てしまう人が多いが、実際に動作を読み切られた相手は、
その瞬間から身動きが取れなくなってしまう。

後日、日を追って話していくが『ミラーニューロン』という言葉をご存知の方なら十分に理解して頂けると思う。
また詳しく話していきたい。

まず、大切なことは自分自身が自分の身体を知り尽くし、身体と体話(たいわ)しながら身体を動かす練習を 地道に 続けていくしかないのだが、肝心な動かし方や意識の仕方の基本的なことが分からなければ、何の意味も持たない。

これが正解というものは世の中にはないと思う。
もしあると豪語している人が居れば、それこそ眉唾であろう。

私は、私自身の体験や経験の中で体得したことしかお話できない。
どのような体験を通じて現在に至ったかをみなさんに聞いていただき、何らかのお役に立てれば幸いである。

『西野流呼吸法との出会い』

私は大学生1年生の頃から、父に薦められて読んでいた月刊誌があった。
その雑誌のなかに、西野皓三さんが開発した西野流呼吸法が紹介されていた。
当時の私は、気で相手を吹っ飛ばすなんて出来る訳がないと思っていましたが、頭のどこかで、もし本当だったら凄いなとも思っていました。

西野さんの呼吸方法は独特で、 大地に生えている樹の根が水分を吸収するのと同じように、足の裏から空気を吸い込むイメージで足を通り、空気はその後背骨を通り頭(頭頂)に上げる。
そこで一旦止めてから今度は顔を通り、丹田を通り、丹田からは口から空気吐き出しながら足の裏から空気を出していく。

足から吸い上げた空気のイメージで身体中に空気を循環させる呼吸法なのである。

最初の頃、ハッキリ言って全然理解が出来なかった。
足の裏から空気を吸い込むと言われても、頭の常識で考えると口や鼻から吸い込むのに、まともに考えれば考えるほど出来なくなる。

うまく出来ない私は西野流呼吸法の本を買いに行った。
その本に載っていたある事に目が点になってしまう。
それは、芝生の上で西野皓三さんが呼吸法を行った後の、芝生の色が変色してしまっているのには驚いてしまった。

『本当に足の裏から呼吸することは出来るんだ!』

その日から私は練習内容を変えてやることにした。
自分自身が大地に生えている樹に成りきってしまうようにした。

・足の裏が、樹の根っこである。
・足や胴体が、樹の幹である。
・頭が樹のてっぺんである。

いわゆる、自分自身が樹に成りきるイメージトレーニングをしながら、常に身体に意識を向けながら呼吸をするようにしていったのである。

すると如何だろう、段々意識をしながら呼吸をしていく内に、空気が身体の中をうまく循環しているように感じられるようになってきた。
身体の温まり方、手のひらの温かさ、そして身体の内側を少しづつ意識出来るようになった。

これが私の生まれて初めて体験した、最初の身体の内側を意識するきっかけとなった。

しかし、この時はまだ丹田をきちんと理解、意識することは出来ていなかったのである。


次回の『内観力』は、ウェイトトレーニングで覚えたことをお伝えしたい。

第1回 丹田力!室伏広治の強さの秘密を知る!

『静かなる山を動かす!』

2005年1月11日(火)名古屋での仕事を終え、羽田空港に向かうために新幹線に乗った。
偶然にも中京大学時代にお世話になった室伏重信先生と会った。色々とお話していく中で、「動作」の話題になった。私は室伏先生の息子さんでもある室伏広治選手がなぜあれだけのウェイトトレーニングをしていながらケガが少ないのか? そして、部分的な強化目的のウェイトトレーニングが多い中で、どうやってつけた筋肉を筋出力に変えているのか知りたかった。

室伏先生はニヤッと笑いながら、おもむろに右手を差し出し、『松村、俺の右手を上から押してみろ』と言われたので室伏先生の右手の甲を上から下に押さえた。
その瞬間、不思議な感覚が私の身体にかけめぐる。

『どうやってこの力を出しているのだ?』

あきらかに右腕の筋肉は一切使っている感覚がないのにもかかわらず、私の押さえた手は、理解不能な力によって、上に上に押し上げられてしまった。

室伏先生はいったいどこの筋肉を使ってこの力を生み出し、どのようにしてこの力を伝達させているのか?
不思議そうな顔をしている私に室伏先生から出た言葉が『松村、丹田だよ!丹田!この力を使うと使わないとでは、まったく動作が変わるんだよ!』と言われた。そして、『広治の様に外国人選手と比べて、身体が小さく体重が軽い選手が世界で戦い勝とうとしたら、工夫するしかないんだ』と教えてくれました。

丹田を活用した動かし方は、室伏先生自身が現役時代から取り組んでいたらしい。
驚くことに、現役時代から『腹筋』は一切しなかったという。
瞬間的に丹田を活用して、爆発的な力を出すことを身をもって知っていた。
そして、理論的にもこう説明してくれた。

『筋肉は1平方センチメートル辺り、4〜6kgの力を出せる。その事を考えると体幹部(胴体)ほど面積の大きい部分はない。手や足は速く動くが力の出力としては弱い。体感部(胴体)は動きは遅いが力の出力は大きい。この静かなる山のような部分を使いこなせるかどうかで競技力が変わってくるのだよ』
室伏広治選手がそれこそ、字を書く時、食事の時、日常生活のいろいろなシーンでもこの丹田を意識しているという。

室伏先生から頂いたヒントから丹田を意識的に動かす方法を研究していくつかのトレーニング方法を作成した。そして、丹田で作られた力を足先や手の指先に伝えるコツを身につけた。
私の身体も丹田が使えるようになって、この力を足先や指先に伝えられた瞬間から、私の今までの力(パワー)の作り方や伝達方法がいかに間違っていたのかが、身体の感覚を通じてよく理解することが出来るようになった。

その力は「無限大」である。

そして人間の身体は『偉大』であることを改めて知った。
こんなスゴイ「力」を秘めているのに使えなかった。いや知らなかった。
本当に残念である。
もし、現役時代に知り、使いこなせていたなら・・・。
後悔しても仕方ないのだが、それ位真実を知った時は悔しかった。

2006年夏、室伏広治選手の研究発表会があった。
彼の口から出た言葉にまわりの人々は驚きを隠せなかった。
『世界のトップアスリートはウェイトトレーニングをしてない。私自身もエアボールを使って、身体動作を意識したトレーニングを実施している』と話した。
会場の誰もが彼がどんなウェイトトレーニングをしているのか、その強靭な肉体を造ったウェイトトレーニングのメニュ−や回数を聞けると思っていた人々からすれば意味不明な説明にしか聞こえなかっただろう。

これからの時代は自分の身体の内側中心部から力を発生させ、手、足、に伝達する意識や感覚を、自分自身で理解する力「内観力」が必要になってくる。
我々日本の先祖が昔から行っていた身体の使い方が、今、見直されはじめている。

次回の研究レポートは奥の深いテーマになってくるが、この『内観力』を書こうと思う。



 
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