みなさん、こんばんは!
今日の仙台は、本当にいいお天気でした。
秋の空は、何ともいえないイイ気分になりますね!
先週、指導させていただいた新井君から
とても素晴らしい質問が来ました。
本当に勉強熱心で関心します。
体幹部ドリルも早速、実践してくれてうれしいです。
新井君達が素晴らしいのは
なんだか分からない、だけど凄い動きが出来る
さて、何故なんだろうと考えてくれることです。
先日も、内田 樹さんのブログに書かれた内容に
改めて確認できたことがありました。
私たちは、『それが何を意味するのかが
今の私には理解できない贈り物』が
手渡されたときのみ、その意味を解明するためには
『成熟しなければならない』と思い始める。
教育はだから『教える側がまず贈り物をする』
ところからしか始まらない。
真に優れたビジネスマンは、経済活動においてさえ、
その本質は『贈与』にあることを知っている。
『最初の一撃』はつねに『なんだかよくわからないものの贈与』
としてしか始まらない。
あるいは、『なんだかよくわからないものを贈与された』という
自覚(または勘違い)からしか始まらない。
そこから交換が始まる。
反対給付を動機づけるのは、
『贈与された』という事実ではない。
『なんだかわからないものを贈与された』という事実なのである。
わからないものが来ると逃げる人が多い。
わからなくて、出来ないと、あきらめる人が多い。
あんなものは、特別な人だけが出来るものなんだ。
出来ないのは、自分が悪いのではないのだ。
出来ないのは、自分に能力がないからではないのだ。
出来なくても、自分には問題がないのだ。
古武術の稽古会は、なんだかわからないどころか
全くわからないことの方が断然多いのである。
でも、実際に動作が出来る人が目の前にいる。
この事実は変わらない、出来る人がいるのである。
なぜ、私には出来ないのか?
どうしたら、私も出来るようになるのか?
ここからしか始まっていかないのだ。
去るもの追わず、来るもの拒まず。
壁にぶち当たる度に
出来る自分を信じて進み続けるしかない。
この楽しい経験を逃げることの方が勿体無い。
若い人達に、いい刺激を頂きながら
前に、前に、進んで行きたいと思います。
感謝