第10回 内観力 『人の想いを馬鹿にするな!』
大学4年生の日本学生選手権が終わった。
結局、1度も出場する事が出来なかった。
目標を見失いかけた。
夢であった笠原君に勝ち、個人で100Mに出場する事とリレーで優勝して学生記録を更新すること。
苦しかった冬季練習を乗り越えたのに、、、、、
帰りの新幹線、東京から名古屋に着くまで
本当に色々考えたが気力もなく完全に目標を見失いかけていた。
中京大の練習には出たくなかった。
ある日、梅月寮にK先生から電話があった。
出たくなかったので居留守を使った。
しかし、そう何度もは通用しない。
仕方なしに電話に出た。
゛松村、最近練習に顔を出していないようだが体調でも悪いのか?゛ と言われた。
『別に、、、、、』と無愛想な返事を返す。
こちらの気持ちも考えずにあれこれ語りだすK先生の無神経さに思わずキレた。
『K先生、何で私を日本インカレで走らせてくれなかった!!』
゛松村は怪我した後だから走らせなかったのだ゛と言った。
すかさず私は大声で怒鳴りつけた。
『K先生との約束通り東海インカレを怪我した状態で走り抜いたではないか!!
K先生との約束を守り、きっちり走りきった。私は日本インカレには出場させてもらえると信じていた。
実際、日本インカレの時は怪我も完治して万全の状態で走れる準備は出来ていた。
K先生は男の約束に泥を塗るのか!!!!!!』
そして、立て続けに私は言った。
『あの時、鈴木に変わって1走を走らせてくれていたら
鈴木よりも100分の1秒でも早く、2走の笠原君にバトンを渡せた自身はあった!!!!』
K先生も興奮した口調でこう言い放った。
゛バカを言うな、鈴木、笠原、加藤、青戸があの時のベストメンバーだ。
おまえが走っても何も結果は変わらない!!!!゛
『それじゃ、なぜ?怪我した私に東海インカレを走らせたのだ!!
日本インカレのリレー出場に合わせて怪我を完治させたい
笠原君との勝負をあえて捨ててでも走りたいとお願いしたではないか!!!!!!!』
私の心からの訴えに対して、K先生は私にこう言い放った。
゛じゃ、正直に答えてやろう! 青戸、笠原、加藤、この3人が中京大学のベストメンバーだ。
東海インカレ、日本インカレにこのベストメンバーを出場させたら、
おまえの出番がなくなるので、お情けで出してやっただけだ、ハッハッハッハッ、、、、
それにな、もし、おまえをリレーに出して怪我でもされて
得点が取れなかったらどうしてくれるんだ???????゛
『あ~そうかい、分かった。おのれの本心がよ~く分かった。
中京大の練習には二度と出ない。そして、おのれにも2度と話かけないから俺に二度と話しかけてくるな!!!』
そう言って、受話器を叩きつけた。
私は部屋に戻り、しばらくの間、怒りを通り越して呆然としていた。
今まで取り組んできた事を走馬灯のごとく思い出していた。
時間が経つにつれて自然に涙がこぼれた。
悔しくて、悔しくて、大声で泣きまくった。
『人の想いを馬鹿にするな~!!!!!!!!!!!!!』
身体の奥から力がみなぎってきた。
このまま終わってたまるか!
秋の国体でもう一度、勝負してやる!!
絶対、あいつ(K先生)を見返してやる!!!
一人、秋の国体出場を目指して、豊田市の陸上競技場で練習を再開した。
試合に出れない選手の辛さ。
得点稼ぎの道具や自分の出世のために選手を物扱いする先生が実際にいる。
何のための先生なのか?選手の努力や気持ちはどうでも良いのか?
本当に呆れかえって物も言えない。
人生の中で競技に携われる時間は本当に短いものです。
どんなスポーツをするにしても選手が努力してきた事をきちんと評価してあげたり
試合に出場させることで一生の思い出になる選手だっているのです。
指導者として又、教育者として選手達にどんな事をしてあげることが一番大切なことなのか?
今一度、よく考えて頂きたいと思っています。
次回の研究レポートは『強い選手ほどきちんと休める?』です。
結局、1度も出場する事が出来なかった。
目標を見失いかけた。
夢であった笠原君に勝ち、個人で100Mに出場する事とリレーで優勝して学生記録を更新すること。
苦しかった冬季練習を乗り越えたのに、、、、、
帰りの新幹線、東京から名古屋に着くまで
本当に色々考えたが気力もなく完全に目標を見失いかけていた。
中京大の練習には出たくなかった。
ある日、梅月寮にK先生から電話があった。
出たくなかったので居留守を使った。
しかし、そう何度もは通用しない。
仕方なしに電話に出た。
゛松村、最近練習に顔を出していないようだが体調でも悪いのか?゛ と言われた。
『別に、、、、、』と無愛想な返事を返す。
こちらの気持ちも考えずにあれこれ語りだすK先生の無神経さに思わずキレた。
『K先生、何で私を日本インカレで走らせてくれなかった!!』
゛松村は怪我した後だから走らせなかったのだ゛と言った。
すかさず私は大声で怒鳴りつけた。
『K先生との約束通り東海インカレを怪我した状態で走り抜いたではないか!!
K先生との約束を守り、きっちり走りきった。私は日本インカレには出場させてもらえると信じていた。
実際、日本インカレの時は怪我も完治して万全の状態で走れる準備は出来ていた。
K先生は男の約束に泥を塗るのか!!!!!!』
そして、立て続けに私は言った。
『あの時、鈴木に変わって1走を走らせてくれていたら
鈴木よりも100分の1秒でも早く、2走の笠原君にバトンを渡せた自身はあった!!!!』
K先生も興奮した口調でこう言い放った。
゛バカを言うな、鈴木、笠原、加藤、青戸があの時のベストメンバーだ。
おまえが走っても何も結果は変わらない!!!!゛
『それじゃ、なぜ?怪我した私に東海インカレを走らせたのだ!!
日本インカレのリレー出場に合わせて怪我を完治させたい
笠原君との勝負をあえて捨ててでも走りたいとお願いしたではないか!!!!!!!』
私の心からの訴えに対して、K先生は私にこう言い放った。
゛じゃ、正直に答えてやろう! 青戸、笠原、加藤、この3人が中京大学のベストメンバーだ。
東海インカレ、日本インカレにこのベストメンバーを出場させたら、
おまえの出番がなくなるので、お情けで出してやっただけだ、ハッハッハッハッ、、、、
それにな、もし、おまえをリレーに出して怪我でもされて
得点が取れなかったらどうしてくれるんだ???????゛
『あ~そうかい、分かった。おのれの本心がよ~く分かった。
中京大の練習には二度と出ない。そして、おのれにも2度と話かけないから俺に二度と話しかけてくるな!!!』
そう言って、受話器を叩きつけた。
私は部屋に戻り、しばらくの間、怒りを通り越して呆然としていた。
今まで取り組んできた事を走馬灯のごとく思い出していた。
時間が経つにつれて自然に涙がこぼれた。
悔しくて、悔しくて、大声で泣きまくった。
『人の想いを馬鹿にするな~!!!!!!!!!!!!!』
身体の奥から力がみなぎってきた。
このまま終わってたまるか!
秋の国体でもう一度、勝負してやる!!
絶対、あいつ(K先生)を見返してやる!!!
一人、秋の国体出場を目指して、豊田市の陸上競技場で練習を再開した。
試合に出れない選手の辛さ。
得点稼ぎの道具や自分の出世のために選手を物扱いする先生が実際にいる。
何のための先生なのか?選手の努力や気持ちはどうでも良いのか?
本当に呆れかえって物も言えない。
人生の中で競技に携われる時間は本当に短いものです。
どんなスポーツをするにしても選手が努力してきた事をきちんと評価してあげたり
試合に出場させることで一生の思い出になる選手だっているのです。
指導者として又、教育者として選手達にどんな事をしてあげることが一番大切なことなのか?
今一度、よく考えて頂きたいと思っています。
次回の研究レポートは『強い選手ほどきちんと休める?』です。