第23回 内観力 『もう一度走りたい、、、、』
ワールドウイングでの指導を終えて、愛知県豊田市の彼女(今の家内)の家に行った。
久しぶりに会い、結婚式の話をしに来たのにも関わらず
話すことは、ワールドウイングでの出来事ばかりであった。
正確に言うと、話さずにはいられなかったのだ。
帰りの電車の中で、悔しくて泣いていたのだが
やがて、今まで行ってきたトレーニングがいかに間違っていたのかを知ってしまった事で
かなりのカルチャーショックを受けていたのであった。
誰よりも努力してきたことが間違いだったなんて、、、、
この押さえ切れない気持ちを彼女に話すことで
自分自身の気持ちを整理したかったのだと思う。
この二日間という短い時間の間に、
天と地がひっくりかえったような経験をしたのだから無理もない。
当時の私のレベルでは、許容範囲を遥かに超えてしまい
経験したことを全て理解できる能力はまだなかった。
仙台に戻り、現実の仕事に戻った。
父には、ワールドウイングに行かせてもらった御礼を述べたが
自分の心の整理がつかず、深い話が出来る状態ではなかった。
ただただ、すごいトレーニングを指導してもらったと伝えるのが精一杯であった。
私は、一人、迷っていた。
今まで、記録が伸びずにケガばかりしてきた理由が
一生懸命に取り組んできたトレーニング方法に問題があった。
また、その事実を理論的にも実動作においても理解できた。
プラス100を目指してきたつもりが、マイナス100になっていたとは夢にも思わなかったからだ。
いつもの私ならば、すぐさまトレーニングをいちからやり直していたのだが
いろんな事が頭によぎってきて躊躇していた。
まず、来年4月に結婚することが頭にあった。
年齢も28歳になり、いずれ、子供も生まれてくるだろう。
家庭を持つと同時に、一家の主として立派にやっていかなくてはならない。
幸い、父の体調も日に日に良くなっていたが長男として会社の二代目として
仕事も今まで以上にしていかなくてはならない。
30歳を目前として、いちからやり直して果たして間に合うのだろうか?
そこまでして、もう一度日本一を目指す意味があるのか、、、、?
引退の花道に出場させていただいた福島国体で終わればいいのではないか、、、、?
一人、悩んでいる時に、小山先生からお手紙を頂いた。
その手紙を読み、嬉しくて泣いてしまった。
目を閉じながら、ワールドウイングでの出来事を思い返していた。
"再会を楽しみにしているよ! タッ君!"
心の中で、小山先生に詫びていた私であった、、、、
様々な想いが溢れてしまい、どうしてよいのか分からなくなってしまっていた。
年が明けて、平成8年4月20日 妻 加奈子と結婚式を挙げた。
その後、新婚旅行に旅立った。
新婚旅行から戻ってきた時には、陸上のシーズンインになっていた。
悩みながらも結果を出せずじまいの私であったが気分転換にと思い、春季陸上大会を見に行くことにした。
宮城野原陸上競技場で、福島国体以来にお会いする方々に結婚のご報告をしていた。
少々、太った顔を見られてては、"幸せ太りだね!"と冷やかされていた。
そんな中で、柴田高校の松阪先生にワールドウイングの事を聞かれた。
平成13年に宮城国体があるので、それを見据えて小山先生の指導方法を聞いてこられたのであった。
今まで、目を伏せていたことを松阪先生に突然聞かれた事で
一瞬、変な気分になったのだが不思議なことに数秒後には実技を交えながら話し込んでいた。
説明しきれないことも多数あったのだが、気が付いてみればワールドウイングでの素晴らしいトレーニング内容を
熱弁している私の姿がそこにあった。
松坂先生との話が終わった後、
室内練習場でウォーミングアップをしている選手達を見ていた。
念入りにストレッチをする選手、、、、
これでもかと、力任せに地面にキックして走る選手、、、、
出場しない選手達が、見慣れた腹筋、背筋、腕立てを行っている、、、、
心の中で、『それは、みんな間違っているのだぞ~、、、、』と叫んでいた。
みんな真剣な顔をして取り組んでいる。
その光景を見て、自分自身のことを見ているようであった。
何か、物凄い切ない気持ちが込み上げてきた。
"違うんだ~、そうじゃないんだ~、こうしないといけないんだ~"
言葉に出せない気持ちが一杯になってしまった時に、
普段着にも関わらず、小山先生に指導していただいた事を思い出しながら小走りに走り出した私であった。
久しぶりに走るトラックの上で、自分の本当の気持ちが噴出してきてしまった。
自宅に帰ってから、まず家内に胸の内を打ち明けた。
『もう一回、走りたい、、、、』
"やり切れるかどうかは、やってみなければ分からない。
しかし、今、陸上をやめると一生後悔すると思う。
小山先生と出会えて本当に求めていかなければならない事をやっと知ることが出来た。
もう一度、最高の走りでおもいっきり走ってから辞めたいと思っている、、、、"
私の真剣な想いを分かってくれた妻は、
『あなたが、納得するまで走ればいいよ!』
と言ってくれた。
翌日、事務所にて父にも想いを聞いてもらった。
その際、小山先生から頂いた手紙も父に見せた。
正直、無理だろうと思っていた私であったが、
思いもよらぬ返事が返ってきた。
"先日、高校の同窓会に行ってきたんや、久しぶりに仲間と会って楽しかったわ~。
来年、大阪で国体があるという話になってな、息子さんは走らないのか~と聞かれたんや、、、、
卓が、もう一辺、走りたいっていうんやったら大阪国体目指してがんばったらええやないか!
卓が、まだ伸びる可能性があると言ってくれているのなら出来る範囲で援助したるから、
小山先生のところに行って、しっかり指導を受けてこい!"
父の言葉を聞いて、嬉しくて嬉しくて涙が自然にこぼれた。
居ても立ってもいられなくて妻に報告した後、
早速、ワールドウイングの小山先生にお電話した。
小山先生も大変喜んでくれた。
もう一度、もう一度、最高の走りをするんだと心に決めて
再び、ワールドウイングに向かう私であった。
しかし、これから歩む道は、相当険しい道になることをまだ知らないでいた、、、、
次回の内観力は、『次々に変化していく私の身体』です。7月31日の予定です。
久しぶりに会い、結婚式の話をしに来たのにも関わらず
話すことは、ワールドウイングでの出来事ばかりであった。
正確に言うと、話さずにはいられなかったのだ。
帰りの電車の中で、悔しくて泣いていたのだが
やがて、今まで行ってきたトレーニングがいかに間違っていたのかを知ってしまった事で
かなりのカルチャーショックを受けていたのであった。
誰よりも努力してきたことが間違いだったなんて、、、、
この押さえ切れない気持ちを彼女に話すことで
自分自身の気持ちを整理したかったのだと思う。
この二日間という短い時間の間に、
天と地がひっくりかえったような経験をしたのだから無理もない。
当時の私のレベルでは、許容範囲を遥かに超えてしまい
経験したことを全て理解できる能力はまだなかった。
仙台に戻り、現実の仕事に戻った。
父には、ワールドウイングに行かせてもらった御礼を述べたが
自分の心の整理がつかず、深い話が出来る状態ではなかった。
ただただ、すごいトレーニングを指導してもらったと伝えるのが精一杯であった。
私は、一人、迷っていた。
今まで、記録が伸びずにケガばかりしてきた理由が
一生懸命に取り組んできたトレーニング方法に問題があった。
また、その事実を理論的にも実動作においても理解できた。
プラス100を目指してきたつもりが、マイナス100になっていたとは夢にも思わなかったからだ。
いつもの私ならば、すぐさまトレーニングをいちからやり直していたのだが
いろんな事が頭によぎってきて躊躇していた。
まず、来年4月に結婚することが頭にあった。
年齢も28歳になり、いずれ、子供も生まれてくるだろう。
家庭を持つと同時に、一家の主として立派にやっていかなくてはならない。
幸い、父の体調も日に日に良くなっていたが長男として会社の二代目として
仕事も今まで以上にしていかなくてはならない。
30歳を目前として、いちからやり直して果たして間に合うのだろうか?
そこまでして、もう一度日本一を目指す意味があるのか、、、、?
引退の花道に出場させていただいた福島国体で終わればいいのではないか、、、、?
一人、悩んでいる時に、小山先生からお手紙を頂いた。
その手紙を読み、嬉しくて泣いてしまった。
目を閉じながら、ワールドウイングでの出来事を思い返していた。
"再会を楽しみにしているよ! タッ君!"
心の中で、小山先生に詫びていた私であった、、、、
様々な想いが溢れてしまい、どうしてよいのか分からなくなってしまっていた。
年が明けて、平成8年4月20日 妻 加奈子と結婚式を挙げた。
その後、新婚旅行に旅立った。
新婚旅行から戻ってきた時には、陸上のシーズンインになっていた。
悩みながらも結果を出せずじまいの私であったが気分転換にと思い、春季陸上大会を見に行くことにした。
宮城野原陸上競技場で、福島国体以来にお会いする方々に結婚のご報告をしていた。
少々、太った顔を見られてては、"幸せ太りだね!"と冷やかされていた。
そんな中で、柴田高校の松阪先生にワールドウイングの事を聞かれた。
平成13年に宮城国体があるので、それを見据えて小山先生の指導方法を聞いてこられたのであった。
今まで、目を伏せていたことを松阪先生に突然聞かれた事で
一瞬、変な気分になったのだが不思議なことに数秒後には実技を交えながら話し込んでいた。
説明しきれないことも多数あったのだが、気が付いてみればワールドウイングでの素晴らしいトレーニング内容を
熱弁している私の姿がそこにあった。
松坂先生との話が終わった後、
室内練習場でウォーミングアップをしている選手達を見ていた。
念入りにストレッチをする選手、、、、
これでもかと、力任せに地面にキックして走る選手、、、、
出場しない選手達が、見慣れた腹筋、背筋、腕立てを行っている、、、、
心の中で、『それは、みんな間違っているのだぞ~、、、、』と叫んでいた。
みんな真剣な顔をして取り組んでいる。
その光景を見て、自分自身のことを見ているようであった。
何か、物凄い切ない気持ちが込み上げてきた。
"違うんだ~、そうじゃないんだ~、こうしないといけないんだ~"
言葉に出せない気持ちが一杯になってしまった時に、
普段着にも関わらず、小山先生に指導していただいた事を思い出しながら小走りに走り出した私であった。
久しぶりに走るトラックの上で、自分の本当の気持ちが噴出してきてしまった。
自宅に帰ってから、まず家内に胸の内を打ち明けた。
『もう一回、走りたい、、、、』
"やり切れるかどうかは、やってみなければ分からない。
しかし、今、陸上をやめると一生後悔すると思う。
小山先生と出会えて本当に求めていかなければならない事をやっと知ることが出来た。
もう一度、最高の走りでおもいっきり走ってから辞めたいと思っている、、、、"
私の真剣な想いを分かってくれた妻は、
『あなたが、納得するまで走ればいいよ!』
と言ってくれた。
翌日、事務所にて父にも想いを聞いてもらった。
その際、小山先生から頂いた手紙も父に見せた。
正直、無理だろうと思っていた私であったが、
思いもよらぬ返事が返ってきた。
"先日、高校の同窓会に行ってきたんや、久しぶりに仲間と会って楽しかったわ~。
来年、大阪で国体があるという話になってな、息子さんは走らないのか~と聞かれたんや、、、、
卓が、もう一辺、走りたいっていうんやったら大阪国体目指してがんばったらええやないか!
卓が、まだ伸びる可能性があると言ってくれているのなら出来る範囲で援助したるから、
小山先生のところに行って、しっかり指導を受けてこい!"
父の言葉を聞いて、嬉しくて嬉しくて涙が自然にこぼれた。
居ても立ってもいられなくて妻に報告した後、
早速、ワールドウイングの小山先生にお電話した。
小山先生も大変喜んでくれた。
もう一度、もう一度、最高の走りをするんだと心に決めて
再び、ワールドウイングに向かう私であった。
しかし、これから歩む道は、相当険しい道になることをまだ知らないでいた、、、、
次回の内観力は、『次々に変化していく私の身体』です。7月31日の予定です。