研究レポートReport

第29回 内観力 『指導をすることで見えなかったことが観えてきた』

目標にしていた大阪で行われる『なみはや国体』の出場は遂に果たせなかった。


少ない時間だったかもしれないがワールドウイングに何度も足を運んだ。
学べるものは何でもと学ぼうと必死になってトレーニングもしてきた。
時々だが、自分でもビックリしてしまう素晴らしい走りができた時もあったのは事実である。

しかし、その素晴らしい動作を常に行える『再現性』は極めて低すぎた。

私だけを頼りに愛知県から嫁に来てくれた家内。
本来ならば甘~い新婚生活をするはずが私の再起を信じて寂しい想いを我慢してくれた。 


バブル崩壊後の厳しい経済状況の中、決して弱音を吐かず貴重なお金を出し続けてくれ 


息子の快走を最後まで信じてくれていた父。

その想いに必ず答えようと夢を追いかけ続けた私。
誰よりも大好きな陸上競技で、誰よりも速く走りたかった私。
小山先生を信じて、己の力を信じて、今まで突っ走ってきた私であったが

まるで糸の切れた凧のようになってしまった。

しばらくの間、陸上の『り』の字も言わなくなってしまった。

"仕事"、"家庭"の生活がしばらく続いた。



年が明けて、1998年を迎えた。



ある日、佐久間 紀郎先生から電話が入った。

『もし、良かったら内の生徒に指導してくれないか?』

当時、白石高校の陸上部を指導されていた佐久間先生から
ワールドウイングで習ってきたことを生徒に是非教えて欲しいと頼まれた。

『せっかく苦労して覚えてきた事をこのまま終えるのは非常に勿体無いよ!』

この時、家内はおめでたで妊娠中であった。
家内に相談したところ、"行ってくれば~"と快く言ってくれた。

指導をするのは仙台育英高校の指導をした以来であったが
当時の教えていた内容とはまるきっきり違っていた。

角田市にある角田陸上競技場で初の指導をした。

最初は、体育館の中のトレーニング室で通常のトレーニングと初動負荷トレーニングの違いを
実技指導中心に行いながら体感してもらった。

初めは緊張していた生徒さんであったが
実技が始まり、自分の身体の柔軟性が見る見る変わっていくうちに驚きの声を連発していた。

"身体って、瞬時に、こんなに変わるんですね!"

笑顔で話てくれる生徒さんの姿を見てとても嬉しかった。

その後、陸上競技場に移動して基本動作を指導した。
コツを掴むまでは余計な動作をしてしまうのだが体感した生徒さんから動作が変わっていった。

そして、いよいよ中腰の姿勢からのダッシュ練習になった。

注意点を細かく指導して実技を行うのだがこれがなかなか上手く出来ない。
出来ない生徒さんが多いから、また説明するのだが

『どういう表現方法で伝えたら理解してくれるだろうか?』

私が実際に走ってみたり、私が感じている感覚を例え話にしたりして
何とか分かってもらいたくて一生懸命に伝えていた。

"感覚を言葉に替えることがこんなに難しいなんて、、、、、"

もどかしさが込上げてくる中、いい動作ができる生徒さんが出てきてくれた。
そして、何度も何度も同じ失敗をしている生徒さんに説明すれば説明するほど何かが私を突っ突いてきた。

『あれ~、この悪い動作をしていて出来ていなかったのは、正しく俺のことだな~、、、、、』 



昔の人は、"人の振り見て我が振りなおせ"と言われたが
いい動作ができない生徒さんを観て、初めて、私が出来なかった理由が分かったのであった。

なぜ、いい動作が出来ないのか?

それは、動かさないといけない部分が動いておらず
動かなくていい部分が動いてしまっているからなのである。

私は、この時、生まれて初めて動作を身体の外側から観ずに、身体の内側から観れるようになった。

この時は、言葉さえ知らなかった、『ミラーニューロン』を体験していたのであった。 



そして、白石高校の指導の他に、
遠藤 直志先生からの依頼もあり白石女子高の陸上部も指導することになった。

いろんな生徒さんを観るようになったお陰で
感覚を言葉に替えていく作業もレベルアップしてきた。

不思議なことに、身体をパッっと観ただけで

"この辺りが硬化していて動作の妨げをしているのではないか?"

"そして、この身体では、こういう動作が苦手なんではないだろうか?"

と、なんとなく分かるようにもなってきていた。



この指導キャリアを積ませて戴いたお陰で人の身体を観れるようになった。

それは同時に私自身の身体を理解することに繋がっていたのであった。
私自身の身体を理解するという事は、自由自在に自分の身体を動かせることが前提にある。
骨盤の動かし方や肩甲骨の動かし方、位置エネルギーを運動エネルギーに変換させること上手くなるためには
身体の重さ、つまり体重を活用することが重要なのだが、これを可能にするためには筋肉と骨を使い分けすることが出来なければならない。

まだまだ、この時点の私は到達していない事の方が多かったのであるが
"伝え方"が上手くなればなるほど指導を受けている方が向上していく姿に喜びを感じ始めていた私であった。

"感覚を言葉にする"

この素晴らしい作業は、現在の私でも、まだまだ日々修行中である。
感覚を言葉に変換し、相手が腑に落ちるほどの理解と体感をしてくれた時ほど嬉しいことはない。

なぜなら、二度と忘れることなく、何度やっても同じ動作が出来るからである。



次回の内観力は、番外編『父との永遠の別れ、、、、そしてスポーツケア整体研究所の誕生』です。9月30日の予定です。

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