第6回 内観力 『ウェイトトレーニング編 NO .4』
『間違いだらけのトレーニング No.2』
この年、中京大学は、日本インカレの4×100MRで学生新記録を出した。
私の来年の目標は、100M出場で3位内に入ることと
4×100MRの1走を走り優勝する事と学生記録更新であった。
しかし、日本インカレの100Mに出場できるのはたったの2名。
しかも、ソウルオリンピックに出場した同級生の青戸君、笠原君の
どちらかに勝たなければ出場は出来ないのである。
最大のライバルが日本チャンピオン2人。
普通なら、あきらめるだろうが私はあきらめられない。
勝ちたい、、、、
ただ、その一心だった。
意を決した、1988年11月、来期に向けた冬季練習を開始した。
強化する内容は次の通りである。
・ピッチ走法の完成とそのための筋力強化
・スピードに負けない上半身の強化
・スナッチ系の瞬発力の強化
・肉離れをしないために大腿二頭筋の強化
そしてY教授の話していたジョイナーの推進力を生んでいるのは大腿四頭筋だと聞き
レッグ・エクステーションで鍛えることも追加した。
まず取り組んだのがピッチ走法の強化であった。
支持足(着地した足)の角度はそんなに深くはない。
その角度から最高の力を発揮することが出来ないか?と考えた結果
クォーター・スクワット(4分の1の角度)でパワーアップとスピードアップを求めた。
スピードが出ると上半身があおられて後傾してしまうので
上半身の強化としてベンチ・プレスやバック・プレスを強化した。
さらなる強化を求めて腹筋も重量をアップした。
スタートダッシュを得意とする私はもっと瞬発力を高めるために
スナッチやクリーンをかなりのスピード重視で行った。
腰の強化としてデット・リフトも重量をアップさせた。
この当時、肉離れをする原因はももの後側である大腿二頭筋が弱いので
肉離れをしてしまうと当たり前のように言われていた。
私も大学生になってから肉離れの常習犯であった。
ストレッチ体操やストレッチ器具まで使用して念入りに行っているのにケガをしてしまう。
私ほどケガをしたくないから入念にストレッチを行っている人間はいなかったと思う。
これだけストレッチを行って筋肉を柔らかくして柔軟性を高めているのに
肉離れなどのケガをする原因はきっと筋肉が弱いからであろう。
筋肉を強化すれば肉離れはしなくなるだろうと
当時の私は何の疑いもなく信じていた。
そして、この年もさらなる筋肉強化のためにレッグ・カールを意識的に行った。
バランスを取らなければいけないと思い片足ずつ行った。
もちろん、重量アップにもこだわった。
今は分かっている事であるがストレッチ体操はケガの予防には決してならない。
関節可動域を狭めて発揮筋力を低下させてしまうためケガをする原因になる。
最近のスポーツ研究論文でも発表されている。
身体の基本的な構造も勉強せず言われた事を鵜呑みにして行った自分が情けない。
誰もが信じてやまないストレッチ神話であるが
実は最悪のトレーニング法である。
この課題は後日、ゆっくりお話したいと思う。
それから肉離れ防止のために私が行っていたレッグ・カールでは
根本的に走る動作における筋肉の使い方とは全く別物であり効果はそれ程ない事も付け加えておきたい。
そんな事実を知らない当時の私は夢をかなえるためにひたすら鍛え続けた。
その結果、次の様なパワーアップ(当時の認識で)をした。
・クォータスクワット 300kgを持ち上げて10回×5セット
・ベンチ・プレス 115kgを持ち上げる(MAX)
・腹筋台の一番高いところで 20kgのバーベルを担ぎながらの10回×5セット
・バック・プレス 70kgを持ち上げる。(MAX)
・レッグ・カール 両足で70kgを持ち上げる(MAX)
・スナッチ 60kgをハイスピードで10回×7セット
・デッド・リフト 150kgを持ち上げて10回×5セット
・レッグ・エクステーション 両足で90kg(回数は覚えていない)
ここまでパワーアップが出来れば戦える!!
そう信じて鍛え上げた自分の身体を見つめながら勝利を夢見た。
連日、走りこみや補強にも精を出し、強くなること勝つことだけを信じてトレーニングに明け暮れた。
年が明けて、1989年。
トレーニングは順調に進んでいた。
1月の半ばから、青戸君、笠原君は室内練習場で早くもスタートダッシュの練習が始まった。
理由は2月に行われる大阪室内陸上大会に出場するためだ。
そんなある日、短距離のコーチから
『松村、おまえも大阪室内陸上に出てみないか?俺が推薦してやるぞ!』と言われた。
天にも昇る思いで、『よろしくお願いいたします!!』と返事をした。
スタートダッシュには自信があった。
時期的には早いのだが青戸君や笠原君とも勝負して見たかった。
パワーアップされた肉体に独自のピッチ走法を強化してきた結果を是非とも試してみたい。
久しぶりにスタートブロックに足を乗せる。
そして、はやる気持ちを抑えながらスタートダッシュの練習を始めた。
『悪くない!』
走るスピードを徐々に上げていった。
ある程度、スピードを上げても身体の反応も良い。
自分のしてきた練習が間違ってなかったと確信した。
そこへ、笠原君がやってきて
『一緒にスタートダッシュの練習をしないかと』と言ってきた。
願ってもないチャンスだ。喜んで引き受けた。
室内練習場の50Mを何度走っても連戦連勝だった。
梅月寮の仲間も一緒になって応援してくれた。
大阪室内陸上に出場できる事を楽しみにしていた。
次回の内観力は『間違いだらけのトレーニング No.3』です。
この年、中京大学は、日本インカレの4×100MRで学生新記録を出した。
私の来年の目標は、100M出場で3位内に入ることと
4×100MRの1走を走り優勝する事と学生記録更新であった。
しかし、日本インカレの100Mに出場できるのはたったの2名。
しかも、ソウルオリンピックに出場した同級生の青戸君、笠原君の
どちらかに勝たなければ出場は出来ないのである。
最大のライバルが日本チャンピオン2人。
普通なら、あきらめるだろうが私はあきらめられない。
勝ちたい、、、、
ただ、その一心だった。
意を決した、1988年11月、来期に向けた冬季練習を開始した。
強化する内容は次の通りである。
・ピッチ走法の完成とそのための筋力強化
・スピードに負けない上半身の強化
・スナッチ系の瞬発力の強化
・肉離れをしないために大腿二頭筋の強化
そしてY教授の話していたジョイナーの推進力を生んでいるのは大腿四頭筋だと聞き
レッグ・エクステーションで鍛えることも追加した。
まず取り組んだのがピッチ走法の強化であった。
支持足(着地した足)の角度はそんなに深くはない。
その角度から最高の力を発揮することが出来ないか?と考えた結果
クォーター・スクワット(4分の1の角度)でパワーアップとスピードアップを求めた。
スピードが出ると上半身があおられて後傾してしまうので
上半身の強化としてベンチ・プレスやバック・プレスを強化した。
さらなる強化を求めて腹筋も重量をアップした。
スタートダッシュを得意とする私はもっと瞬発力を高めるために
スナッチやクリーンをかなりのスピード重視で行った。
腰の強化としてデット・リフトも重量をアップさせた。
この当時、肉離れをする原因はももの後側である大腿二頭筋が弱いので
肉離れをしてしまうと当たり前のように言われていた。
私も大学生になってから肉離れの常習犯であった。
ストレッチ体操やストレッチ器具まで使用して念入りに行っているのにケガをしてしまう。
私ほどケガをしたくないから入念にストレッチを行っている人間はいなかったと思う。
これだけストレッチを行って筋肉を柔らかくして柔軟性を高めているのに
肉離れなどのケガをする原因はきっと筋肉が弱いからであろう。
筋肉を強化すれば肉離れはしなくなるだろうと
当時の私は何の疑いもなく信じていた。
そして、この年もさらなる筋肉強化のためにレッグ・カールを意識的に行った。
バランスを取らなければいけないと思い片足ずつ行った。
もちろん、重量アップにもこだわった。
今は分かっている事であるがストレッチ体操はケガの予防には決してならない。
関節可動域を狭めて発揮筋力を低下させてしまうためケガをする原因になる。
最近のスポーツ研究論文でも発表されている。
身体の基本的な構造も勉強せず言われた事を鵜呑みにして行った自分が情けない。
誰もが信じてやまないストレッチ神話であるが
実は最悪のトレーニング法である。
この課題は後日、ゆっくりお話したいと思う。
それから肉離れ防止のために私が行っていたレッグ・カールでは
根本的に走る動作における筋肉の使い方とは全く別物であり効果はそれ程ない事も付け加えておきたい。
そんな事実を知らない当時の私は夢をかなえるためにひたすら鍛え続けた。
その結果、次の様なパワーアップ(当時の認識で)をした。
・クォータスクワット 300kgを持ち上げて10回×5セット
・ベンチ・プレス 115kgを持ち上げる(MAX)
・腹筋台の一番高いところで 20kgのバーベルを担ぎながらの10回×5セット
・バック・プレス 70kgを持ち上げる。(MAX)
・レッグ・カール 両足で70kgを持ち上げる(MAX)
・スナッチ 60kgをハイスピードで10回×7セット
・デッド・リフト 150kgを持ち上げて10回×5セット
・レッグ・エクステーション 両足で90kg(回数は覚えていない)
ここまでパワーアップが出来れば戦える!!
そう信じて鍛え上げた自分の身体を見つめながら勝利を夢見た。
連日、走りこみや補強にも精を出し、強くなること勝つことだけを信じてトレーニングに明け暮れた。
年が明けて、1989年。
トレーニングは順調に進んでいた。
1月の半ばから、青戸君、笠原君は室内練習場で早くもスタートダッシュの練習が始まった。
理由は2月に行われる大阪室内陸上大会に出場するためだ。
そんなある日、短距離のコーチから
『松村、おまえも大阪室内陸上に出てみないか?俺が推薦してやるぞ!』と言われた。
天にも昇る思いで、『よろしくお願いいたします!!』と返事をした。
スタートダッシュには自信があった。
時期的には早いのだが青戸君や笠原君とも勝負して見たかった。
パワーアップされた肉体に独自のピッチ走法を強化してきた結果を是非とも試してみたい。
久しぶりにスタートブロックに足を乗せる。
そして、はやる気持ちを抑えながらスタートダッシュの練習を始めた。
『悪くない!』
走るスピードを徐々に上げていった。
ある程度、スピードを上げても身体の反応も良い。
自分のしてきた練習が間違ってなかったと確信した。
そこへ、笠原君がやってきて
『一緒にスタートダッシュの練習をしないかと』と言ってきた。
願ってもないチャンスだ。喜んで引き受けた。
室内練習場の50Mを何度走っても連戦連勝だった。
梅月寮の仲間も一緒になって応援してくれた。
大阪室内陸上に出場できる事を楽しみにしていた。
次回の内観力は『間違いだらけのトレーニング No.3』です。