第11回 内観力 『強い選手ほどきちんと休める?』
秋の国体(北海道)に出場するために練習を再開した。
幸い、寮の近くに豊田市営の陸上競技場があり、一人黙々と練習に打ち込んだ。
この年は北海道で行われるので国体開催が9月になった。
例年なら7月に県選手権が行われ、8月に国体予選があるのだが
北海道国体に合わせて、国体予選が県選手権の2週間後にある変則的な大会期間であった。
県選手権は、国体1次選考会も兼ねているので優勝したかった。
しかし、県選手権でライバルの今野恒徳先輩に負けてしまった。
敗因は一人で練習をしていた為、スタート練習でピストル音での練習をしていなかった。
私の持ち味のスタートダッシュがうまく反応できなくて前半がもたついてしまったのである。
当初、仙台に国体予選まで滞在予定であったが、なぜか中京大に戻って練習したかった。
青戸君や笠原君と肩を並べてスタートの勘を取り戻したかった。
この決断をする時に父と初めて練習内容のことで喧嘩した。
父は自分の目の前で私のトレーニングをチェックしたいと言う。
しかし、私は勝ちたいから中京大で最終調整をしたいと言い切った。
私の意見に父が折れてくれて、翌日の飛行機で中京大に戻ることになった。
出発する日の朝、父から飛行機の中で読めと手紙をもらった。
飛行機に乗り込み、父からもらった手紙を読んだ。
県選手権での敗因を父なりの見解が書いてあり、その対処法も書いてくれていた。
そして、国体予選に向けての父らしい励ましの言葉が書かれていた。
゛残された時間の中で最大限の努力をしてこい!
仙台に帰って来た時には万全の状態である事!
練習に勝る作戦なし、己に勝て!!
自分で決めた以上、自分が納得するレースをして勝て!゛
目頭が熱くなり涙が込み上げてきた。
必ず、父の前で優勝してみせるとあらためて心に誓った。
中京大の練習に久しぶりに参加した。
スタート練習もしたかったのだが、実はもうひとつ知りたかった事があった。
それは、青戸君にであった。
彼は全日本インカレでは本調子ではなかった。
しかし、2週間後の日本選手権では見事に優勝したのだ。
短い期間でどんなトレーニングをしたのか知りたかった。
教えてくれるかどうか分からなかったが、勝ちたい一心で青戸君に聞いてみた。
真剣に聞く私に青戸が答えてくれたのだが以外な答えに驚いた。
『実は何もしていないんだ、休んで休んでバネをためて、身体が走りたくなるまで休んだだけだ。』
どんな練習をしたかを聞きたかった私には想像もつかなかった答えだった。
そして、立て続けにこう言われた。
『松村は練習をしすぎているから試合まで休んだ方が絶対にいい!
だまされたと思ってやってみろ!休むのも練習なんだぞ!!』
青戸君のアドバイスを聞いた私は今まで調整法を振り返ってみた。
言われてみれば試合の前に少し休むくらいで、バネがたまるまで休んだことはなかった。
気持ちのどこかに練習を休むと走力が落ちるのではないかと心配になる。
知りたかった事は分かったのだが落とせない試合に対してぶっつけ本番で試していいものなのか?
梅月寮に帰ってから机の前でスケジュール表を前に自分の気持ちと向き合った。
絶対に後悔はしたくなかったのでいろんなパターンを考えてみた。
考えて、考えて、考えぬいた結果、試合までの前半は集中して確認練習を行い後半はおもいきって休むことにした。
しかし、正直いって不安であった。
今まで、あまり休んだことがない私にとって未知の経験。
不安な気持ちを国体予選で優勝しているイメージを何度も繰り返すことで打ち消すようにした。
試合の日が近づくにつれて私の身体に変化が現れてきた。
それは、゛走りたい゛という感覚であった。
走りたいのに走れないので身体がウズウズしてきたのだ。
湧き起こる気持ちを抑えるのに必死な私がそこに居た。
レースの3日前に仙台に帰った。
前日の練習を行うために宮城野原陸上競技場に向かった。
私の身体は暴れ馬のごとく走りたくてウズウズしていた。
青戸君の言っていたとおり、バネがたまり身体に爆発力のような感覚があった。
集中して30Mのスタートダッシュを1本だけ行ったが
あまりの動作の良さに私が驚いてしまった。
30Mを走るつもりが勢い余り100Mまで走ってしまったのである。
一緒に練習を見に来てくれた父も動作のキレの良さに満足してくれた。
100Mの後半走の確認のために60Mの加速走をしたらどうかと父に言われたが
走りたい気持ちをグッと抑えて、明日のレースに臨むことにした。
国体予選の日が来た。
予選からライバルの今野先輩と同じ組であった。
しかし、身体の感覚に不安な部分は何一つなかった。
10秒82(-0.4)で走り1位で通過した。
身体のキレは相変わらずいい感じだ。
決勝前のウォーミングアップ中、今までの道程を思い出していた。
ただひたすら自分が勝つことを信じて
ひとつ、ひとつの動作を確認して決勝のレースを迎えた。
決勝、宿敵ライバルの今野先輩との勝負。
号砲一発でスタート。
後半、追いすがって来る今野先輩を振り切って1位でゴール。
結果、10秒68(無風)の自己ベスト記録で快勝した。
これで、北海道国体でもう一度戦える!
今度こそ同じ土俵で勝負してやる!!
気持ちはすでに秋の国体に走っていた。
この研究レポートを書いている時に北京オリンピックが始まりました。
その中でケガで悩む選手が非常に多く目立っていました。
さぞかし悔しかったと思います。
試合で勝つためにハードな練習を積んでいく訳ですが
大事なことは練習内容に間違いがないかという問題点です。
パワーアップはもちろん大切な課題ですがバランスが取れていないのに
筋トレにはしる選手が後を立ちません。
パワーアップの意味を筋肉を付ければいいと考えている人が余りにも多いのが現状です。
本当のパワーアップとは筋肉や関節の可動域や柔軟性を確認しながらいかに楽に動作が出来るかということ。
筋肉をいかに付けることではなく、筋出力をいかに高めていくかが大切なことなのです。
人間は地面に立っているだけで地面からの反力をもらっているのですが
この地面反力を体感(理解)して立ったり、歩いたり、走ったりしている選手があまりにも少ないのです。
体感するためにまず必要なことは身体をゆるめることなのです。
まず、身体の重さを利用した動作を体得することが基本になります。
この動作を体得するために必要になってくるのが゛骨゛を意識したトレーニングです。
(詳しくはこれからの研究レポートで書いていきたいと思います。)
現在の自分自身の身体を活用できない状態でバーベルやダンベルを利用した筋トレを行うことは非常に危険です。
自分の身体なのに自分でコントロールできていない状態であることを知ることが大切です。
もうひとつは筋肉の疲労がしっかりと取れているのかが重要になってきます。
精神と肉体、両方の身体感覚のズレをいかになくし、うまく筋肉の疲労を取りきることも重要な課題点です。
しっかり休むことも大切な練習のひとつです。
次回の研究レポートは『ゴールが私に近づいて来る?』です。
幸い、寮の近くに豊田市営の陸上競技場があり、一人黙々と練習に打ち込んだ。
この年は北海道で行われるので国体開催が9月になった。
例年なら7月に県選手権が行われ、8月に国体予選があるのだが
北海道国体に合わせて、国体予選が県選手権の2週間後にある変則的な大会期間であった。
県選手権は、国体1次選考会も兼ねているので優勝したかった。
しかし、県選手権でライバルの今野恒徳先輩に負けてしまった。
敗因は一人で練習をしていた為、スタート練習でピストル音での練習をしていなかった。
私の持ち味のスタートダッシュがうまく反応できなくて前半がもたついてしまったのである。
当初、仙台に国体予選まで滞在予定であったが、なぜか中京大に戻って練習したかった。
青戸君や笠原君と肩を並べてスタートの勘を取り戻したかった。
この決断をする時に父と初めて練習内容のことで喧嘩した。
父は自分の目の前で私のトレーニングをチェックしたいと言う。
しかし、私は勝ちたいから中京大で最終調整をしたいと言い切った。
私の意見に父が折れてくれて、翌日の飛行機で中京大に戻ることになった。
出発する日の朝、父から飛行機の中で読めと手紙をもらった。
飛行機に乗り込み、父からもらった手紙を読んだ。
県選手権での敗因を父なりの見解が書いてあり、その対処法も書いてくれていた。
そして、国体予選に向けての父らしい励ましの言葉が書かれていた。
゛残された時間の中で最大限の努力をしてこい!
仙台に帰って来た時には万全の状態である事!
練習に勝る作戦なし、己に勝て!!
自分で決めた以上、自分が納得するレースをして勝て!゛
目頭が熱くなり涙が込み上げてきた。
必ず、父の前で優勝してみせるとあらためて心に誓った。
中京大の練習に久しぶりに参加した。
スタート練習もしたかったのだが、実はもうひとつ知りたかった事があった。
それは、青戸君にであった。
彼は全日本インカレでは本調子ではなかった。
しかし、2週間後の日本選手権では見事に優勝したのだ。
短い期間でどんなトレーニングをしたのか知りたかった。
教えてくれるかどうか分からなかったが、勝ちたい一心で青戸君に聞いてみた。
真剣に聞く私に青戸が答えてくれたのだが以外な答えに驚いた。
『実は何もしていないんだ、休んで休んでバネをためて、身体が走りたくなるまで休んだだけだ。』
どんな練習をしたかを聞きたかった私には想像もつかなかった答えだった。
そして、立て続けにこう言われた。
『松村は練習をしすぎているから試合まで休んだ方が絶対にいい!
だまされたと思ってやってみろ!休むのも練習なんだぞ!!』
青戸君のアドバイスを聞いた私は今まで調整法を振り返ってみた。
言われてみれば試合の前に少し休むくらいで、バネがたまるまで休んだことはなかった。
気持ちのどこかに練習を休むと走力が落ちるのではないかと心配になる。
知りたかった事は分かったのだが落とせない試合に対してぶっつけ本番で試していいものなのか?
梅月寮に帰ってから机の前でスケジュール表を前に自分の気持ちと向き合った。
絶対に後悔はしたくなかったのでいろんなパターンを考えてみた。
考えて、考えて、考えぬいた結果、試合までの前半は集中して確認練習を行い後半はおもいきって休むことにした。
しかし、正直いって不安であった。
今まで、あまり休んだことがない私にとって未知の経験。
不安な気持ちを国体予選で優勝しているイメージを何度も繰り返すことで打ち消すようにした。
試合の日が近づくにつれて私の身体に変化が現れてきた。
それは、゛走りたい゛という感覚であった。
走りたいのに走れないので身体がウズウズしてきたのだ。
湧き起こる気持ちを抑えるのに必死な私がそこに居た。
レースの3日前に仙台に帰った。
前日の練習を行うために宮城野原陸上競技場に向かった。
私の身体は暴れ馬のごとく走りたくてウズウズしていた。
青戸君の言っていたとおり、バネがたまり身体に爆発力のような感覚があった。
集中して30Mのスタートダッシュを1本だけ行ったが
あまりの動作の良さに私が驚いてしまった。
30Mを走るつもりが勢い余り100Mまで走ってしまったのである。
一緒に練習を見に来てくれた父も動作のキレの良さに満足してくれた。
100Mの後半走の確認のために60Mの加速走をしたらどうかと父に言われたが
走りたい気持ちをグッと抑えて、明日のレースに臨むことにした。
国体予選の日が来た。
予選からライバルの今野先輩と同じ組であった。
しかし、身体の感覚に不安な部分は何一つなかった。
10秒82(-0.4)で走り1位で通過した。
身体のキレは相変わらずいい感じだ。
決勝前のウォーミングアップ中、今までの道程を思い出していた。
ただひたすら自分が勝つことを信じて
ひとつ、ひとつの動作を確認して決勝のレースを迎えた。
決勝、宿敵ライバルの今野先輩との勝負。
号砲一発でスタート。
後半、追いすがって来る今野先輩を振り切って1位でゴール。
結果、10秒68(無風)の自己ベスト記録で快勝した。
これで、北海道国体でもう一度戦える!
今度こそ同じ土俵で勝負してやる!!
気持ちはすでに秋の国体に走っていた。
この研究レポートを書いている時に北京オリンピックが始まりました。
その中でケガで悩む選手が非常に多く目立っていました。
さぞかし悔しかったと思います。
試合で勝つためにハードな練習を積んでいく訳ですが
大事なことは練習内容に間違いがないかという問題点です。
パワーアップはもちろん大切な課題ですがバランスが取れていないのに
筋トレにはしる選手が後を立ちません。
パワーアップの意味を筋肉を付ければいいと考えている人が余りにも多いのが現状です。
本当のパワーアップとは筋肉や関節の可動域や柔軟性を確認しながらいかに楽に動作が出来るかということ。
筋肉をいかに付けることではなく、筋出力をいかに高めていくかが大切なことなのです。
人間は地面に立っているだけで地面からの反力をもらっているのですが
この地面反力を体感(理解)して立ったり、歩いたり、走ったりしている選手があまりにも少ないのです。
体感するためにまず必要なことは身体をゆるめることなのです。
まず、身体の重さを利用した動作を体得することが基本になります。
この動作を体得するために必要になってくるのが゛骨゛を意識したトレーニングです。
(詳しくはこれからの研究レポートで書いていきたいと思います。)
現在の自分自身の身体を活用できない状態でバーベルやダンベルを利用した筋トレを行うことは非常に危険です。
自分の身体なのに自分でコントロールできていない状態であることを知ることが大切です。
もうひとつは筋肉の疲労がしっかりと取れているのかが重要になってきます。
精神と肉体、両方の身体感覚のズレをいかになくし、うまく筋肉の疲労を取りきることも重要な課題点です。
しっかり休むことも大切な練習のひとつです。
次回の研究レポートは『ゴールが私に近づいて来る?』です。