研究レポートReport

第19回 内観力 『どん底の先に光が見えた』

1993年(平成5年)のシーズンを終えて冬期練習を迎えた。

シーズン最後の試合であった全日本実業団(福岡)も準決勝で敗退。
以前なら勝てた選手にまで負けてしまい気持ちはすっかり萎えていた。
勝ちたい気持ちは誰よりもあるのに身体が気持ちに付いてきてくれないのである。

練習に対する気持ちも試合に望んでいく気持ちも誰にも負けないくらい持っている。
しかし、強くなりたい、速く走りたいと切望して自分を向上させるために行っているトレーニングをしても
一向に、その兆しが見えてこない状況に正直嫌気を差していた。

"何をどうしたら良いのか全くわからない"

暗礁に乗り上げた船と同じように行き場のない状態だ。
人一倍、負けず嫌いの私だが肝心のやる気が湧いてこない。
誰よりも大好きな陸上競技がこんなにも苦痛になるとは夢にも思わなかった。

以前の私であれば、弱点を克服するために時間をかけれる冬期練習が大好きであった。 




自然の木は、寒い冬の間は固い土の中を『根』を生やしていき、しっかりとした『根』を張り巡らせて
いつまでも倒れない"木"を作ろうと目に見えない所で一生懸命に頑張っている。
そして、懸命に伸ばした『根』から養分をたっぷりと吸収して春に立派な"花"を咲かせる。

弱点を鍛えれば鍛えるほど強くなれる。

その事を思い信じているからこそ、辛いトレーニングも歯を喰いしばって乗り越えようとする。
しかし、信じて行ってきたトレーニングをしても結果が出ないことほど辛いことはない。 



自分自身を信じ、そして練習内容も納得して積み重ねていきたかった。


揺れ動く心の中で、段々、弱気になっていく私であった。
燻っていた私であったが、ある日、彼女(今の家内)にいわれた一言で挑戦する気持ちになった。

『来年、愛知県で国体があるんだってね~ 私、絶対に応援に行くからね~!』

この一言で、またチャレンジをしようと心に決めた。
中京大学時代に走った思い出深い、瑞穂陸上競技場が目に浮かんできた。
日本インカレの代表を目指して走った青春時代の熱い気持ちが甦ってきたのであった。 





仕事柄、冬期練習期間中は、生活リズムが変わるためウェイトトレーニング中心であった。

通っているジムの代表の方は、元ボディビルのチャンピオンだった。
相談相手もいない状況であった私は、今までの経緯を話してアドバイスを求めた。
快く、相談に乗ってくれたI氏は全体的なパワーアップをした方がよいと私にメニューを組んでくれた。

突破口が見えない中、一人もがきながら淡々と出されたメニューをこなしていく。
ハーフスクワットを200kgの重さでセットをこなしていき、レッグカール、レッグランジの重量も上げて
ベンチプレスも130kgまで上げれるようになり目標としていた最大筋力を上げていく練習に汗を流した。


年が明けて、1994年を迎えた。


今年の目標である愛知国体の代表を目指してトレーニングを続けていた。
昨年よりも筋力アップも出来たし、体幹の強化も出来たので自信を持って走れると思っていたが
予想もしなかった筋膜炎の連続に、まともに走れることはなかった。

最悪のシーズンインであった。

ケガの影響でなんと、7月の宮城県選手権までケガで走れない状態が続いた。
国体最終選考会は9月の初めに行われるが時間はない。
諦めたくない気持ちが勝っていたので腐らずにいたがなす術はなかった。

7月一杯まで治療に専念して、8月の1ヶ月で仕上げていくしかない。

8月に入り、足の痛みも治まり走る練習を再開した。
この時、あることがきっかけでピッチアップのコツを掴みかけていた。
今までになかったキレのある動作ができるようになり失いかけていた自信が少しづつだが回復してきたのであった。

"絶対に勝って、愛知国体に出場する!"

試合当日、強気の私に戻っていた。

ウォーミングアップを開始して、動作確認を丁寧に行いながら足の具合を確認する。
そして、例のピッチアップをしてみたがキレのある動きに走りもいい感触であった。

予選、全体の中でTOPで通過した。

阿部選手も出場していたが動きにはキレがない。
周りの方々からも、『今日は、松村の方がキレがいい、阿部選手に勝てるぞ~ ガンバレ!』と声をかけられた。
父からも、"自信を持って走って来い!"と激励を受けた。

いよいよ、成年A100Mの決勝。

ゴール地点を見つめながら集中力を高めていく。
得意のスタートで飛び出して、今、身体で覚え始めているピッチアップでスピードをキープして
1位で、ゴールに飛び込むイメージを繰り返した。

号砲一発でスタート。
私のイメージどおりのレース展開になった。
90m地点で、まだリードしていることは走りながら分かっていた。

"よし、勝てる~"

と思った矢先に力んでしまい、後半、追撃してきた阿部選手に
最後の最後でかわされてしまい100分の6秒差で負けてしまった。
あきらかに私の甘さが敗因であった。

勝てた試合を負けてしまった。

勝負師として、気を抜く事はやってはいけないことである。
両親は、ここまで回復して走れるようになったことと、惜しかったレース内容を誉めてくれたが
悔いのないレースをするつもりが逆に、悔いの残るレースになってしまった。


愛知国体への出場も結局、叶わなかった。


今シーズンの試合はこれで終わった。
何とも言えない空虚な気分で過ごしていた。
負けたことの悔しさが大きかったのも事実だが、その反面でキレのある動作が疼きだした。

そんなある日、佐久間先生の教え子であるS君から連絡があった。

S君は、阿部選手と同じ仙台大の4年生で佐久間先生の教えを昔から習っていた。
阿部選手を佐久間先生に紹介したのもS君であった。

『松村さん、今度、一緒に練習しませんか?』

私が尊敬する高城先輩も来られるというので断りきれず参加することになった。
しかし、この練習会が私の今後を決める出来事になる。


某体育館で練習が行われた。

S君が最初に指導したのが骨盤を意識しながら体幹部を動力源として動かすトレーニングであった。
私の走りは、手足ばかり動いていて体幹部の力を有効に使えていないという。
その動作を改善するために、この練習を行うと説明を受けた。

例えば、普通の歩行の仕方なら"5歩"かかるところも体幹部を上手く使えば"3歩"でいけるという。
そして、ストライドを足の歩幅と考えないで、すべての重心移動を終えた動作を移動距離と考えるようにと教わった。
理屈は分かったのだが最初の方は、身体は思うように動いてはくれなかった。
回数をこなしていくうちにコツを掴む事ができた。

"なるほど、身体をまな板の様な感じで動かせばいいのか!"

身体が反応してからの動作つくりは、面白いくらいに前に進むようになった。
さらに、器械体操やボックスジャンプのトレーニングの指導を受けた。
すべての動作において要求されたのは体幹部を意識して動かしながら動作をすることであった。

私が、今まで行ってきた体幹部のトレーニングは動きがなく我慢する方法だが
今回、教えてもらったことは、体幹部を上手く動かしながら動作を作っていくことであり
今までの方法とは真逆なのである。

特に、器械体操のあん馬や平行棒、吊り輪などは
いくら腕力があっても、それだけで出来る代物ではない。
身体全体のコンビネーションが使えなければ到底出来ないのである。

私が目指さなければいけないトレーニングは正にこちらであった。

今まで、勢いだけで走ってきた私が生まれて初めて、自分で自分の身体を意識して動かすことをした。
この日を境に自分の身体との体話(対話)が始まった。

そして、この練習の成果を早々に試すチャンスがやってきた。

11月初めに、仙台大学の記録会があった。
いろんな方々のお陰で記録会に予選だけだが走れることになった。
動けなかった身体から、動ける身体に生まれ変わってきたので早く走りたい気持ちで一杯であった。

結果は、10秒6のタイム。

阿部選手も出場していた。
決勝は、残念ながら走ることが出来なかったのだが
もし、一緒に走ることが出来たら勝つ自信は十分にあった。

"どん底を這いずり回り四苦八苦してきたが、やっと光が差してきた!"

来年は、阿部選手と勝負して必ず勝つと決意した。


しかし、この後、半年以上練習出来ない状態が続くとは、この時の私はまだ知る余地も無かった。


私が現役を引退して10年以上にもなるというのに
今も直、ウェイトトレーニングや体幹トレーニングをしている選手が殆どである。
別な言い方をすれば、選択肢があまりないのかもしれない。

・パワーアップ=ウェイトトレーニング

・柔軟性アップ=ストレッチ

この図式は今も変わらないようである。


すべてのウェイトトレーニングが間違っている訳ではないが
正しい方法をどれだけの人が理解できているのかは分からない。
重さを求めるウェイトトレーニングを行う人は昔とそう変わらないように思える。

しかし、"連動性"がきちんと発揮できているのかが問題になってくる。

古武術の甲野先生が的を得た例え話をしてくれた。
"もし、会社で働いている人が全員、社長だったら会社は成り立ちますか?"
まず、こんな会社は機能する訳がない。

この例え話をウェイトトレーニングにしてみるとどうだろうか?

大胸筋が、『俺様が社長だ~』と言えば、三角筋が『いやいや、俺こそが社長だ~』すると今度は上腕二頭筋がしゃしゃり出て来た。
下半身からも、背中からも俺こそが社長だ~と全部の筋肉がでしゃばろうとする。

身体全体を見ようとしないで、単体の筋肉だけを取り上げては鍛えて太くしてしまう。 


そして、ここだけではダメだからと言って、またもや部分的に捉えては鍛えて太くしてしまうのである。
必然的に強い筋肉と弱い筋肉が出来上がってしまい、鍛えたつもりが人一倍アンバランスな身体になってしまうのだ。

会社を見てみると、営業の人もいれば経理の人もいる。
課長も係長も部長も専務も副社長も社長も、それぞれの役目の人がそれぞれの役割分担をこなしている。
チームワークの悪い会社であれば長続きはしないはずである。

筋肉しても同じことが言える。

お互いが協力しあって動作をしていかなければいけないのに
すべての筋肉を"メイン"として鍛えたため協調性がない状態になる。
つまり、連動性がなくなるので滑らかな動作をすることが難しくなってしまうのだ。

"動きやすい身体"を作るつもりが、いつの間にか、"動きにくい身体"になってしまっている人が殆どである。

一時的に見れば、その効果が出て記録が出ることも確かではあるが
いかんせん、ケガをする確率が多いことを見逃すわけにはいけない。
そして、常にケガとの戦いを余儀なくされるのである。

私は、この目でいろんな選手の全盛時代と衰退期を観てきたし
私自身が経験者だから身に沁みて分かっているのだ。

無意味なウェイトトレーニングはやめて欲しいと思う。

冗談をいうつもりではないのだが、
"効果"が出るどころか逆に筋肉を"硬化"させる危険性の方が高いのだ。

硬化した身体では、競技もさることながら日常生活においても
腰痛や肩こり、首痛や膝痛にもなりやすく嫌なことばかりだ。


私の研究していることが選択肢のひとつに入れてもらえるように日々努力している。




次回の研究レポートは、第20回 内観力 『引退、、、、?』です。 6月21日の予定です。

<< 目次に戻る

このページのトップへ