第27回 内観力 『ワールドウイングでの"天国"と"地獄"』
神戸で行われる全日本実業団の調整の為に10日間ワールドウイングで合宿を行った。
早速、小山先生と試合までのスケジュール調整を行った。
前半の5日間で、初動負荷トレーニングを中心に身体のバランスアップを図りながら
走る動作のチェックを行うと同時に、現在の体重よりも後5kg減量するように言われた。
その時の私の体重は、67~68kgであったが
もう後5kgくらい減量することによって動作のキレが良くなるという。
大抵の選手は、ベスト記録を出した時の体重よりも増えている選手が非常に多いらしい。
私の場合、筋肉の量が増えたと言えばそれまでだが確かに大学4年生の時の体重と比較すると増えている。
仮に、ベスト体重よりも2kg増えている場合、両手に1kgのダンベルも持ちながら走るのと同じである。
使いこなせている筋肉の場合は、何の問題もないかもしれないが
パワーアップを目指して筋肉をつけたものの、只の体重増加で終わると逆に動作の妨げになる。
以外とケガの原因にもなっているのだ。
食事の内容や量にも気をつけながらトレーニングを開始した。
普段なら、減量は厳しかったと思うが大事な試合を控えていたので
モチベーションも高く、また、初動負荷マシーンを使えることもあって効率良く身体を動かせるメリットもあった。
経済状況の悪い中にも関わらず、援助してくれた父のためにも真剣にトレーニングに励んだ。
意識的に体重を落としていく中で、毎日、体重計に乗るのが楽しみになってきた。
面白いくらいに体重が落ちていったのであった。
また、その効果は、走るトレーニングにも現れてきた。
スタートダッシュもスタンディングの姿勢からキレのあるダッシュが出来るようになってきた。
感覚としては、大学4年生の北海道国体と同じくらいまで戻ってきた感じだった。
それ以上に、中間疾走から後半のスピードキープ率が自分でも驚くほど上がってきていた。
そして、7日目の朝を迎えた。
午前中のトレーニングを終えて、習慣になっていた体重計に乗ってみたら、、、、
"62.5kg"になっていた。
そのことを小山先生にお伝えすると、
ニッコリ笑いながら『タッ君、面白いことが起きるよ!』と言われた。
午後から、布勢陸上競技場で走る練習が行われた。
小雨が降っていたが100mのタイムトライをしようと小山先生言われた。
タイムトライに向けて、いろんな動作確認を慎重に行った。
スタートダッシュのキレも相変わらずいい状態をキープしていた。
準備が整い、小山先生に指示を仰いだ。
ワールドウイング方式のスタンディング(中腰のような姿勢)からのスタートで
最初の3歩だけ強調して、後は気持ち良く走ってみてほしいと言われた。
スタートラインに立ちながらゴールを見つめると100mがやけに短く見えた。
計測台に座っている小山先生の手が上がり、静かな気持ちでスタンディングのポーズに入った。
スッ~とスタートを始めて、最初の3歩を強調しようと思って走り始めたのだが
どうしたことか1歩が着地したと同時に信じられないくらいに前に身体が進んでしまった。
3歩を強調する暇もなく、誰かに後から猛烈な勢いで押されたかのごとくカッ飛んでしまったのだ。
するとどうだろう、あっという間に30m地点を過ぎてしまい、
本来ならば中間から後半への加速走を強調する動作に入るはずだが
まるで自動で身体が誰かに動かされているかのように勝手に動いているのだ。
しかも、かなりの高速で動いているのにも関わらず冷静かつ沈着で
ゴールが私を迎えにきてくれているかのように目の前に近づいてくる。
私は、ゴール手前でフィニッシュすることも忘れるくらいに、そのまま走り抜けてしまった。
そして、勢いがついた走りは、"減速"という言葉を知らないかのごとく走り続けていたのであった。
"止まりたくない、、、、、"
この時の正直な気持ちであった。
気が付けば、100mのスタートから第二コーナーの手前まで走っていた。
我に返った私は、急いで走りながら小山先生の所に向かった。
"タッ君~、何秒で走れたと思う?"
そう聞かれて返答に困った。
あまりにもスムーズに走れすぎて正直、『力感』がなかったので見当も付かない。
それ以上に、あの不思議な感覚にまだ酔いしれていたのであった。
"タッ君~、10秒2だよ!"
えっ、小山先生の言葉にビックリしてしまった。
ストップウオッチを見せて戴いたが本当に、10秒2で止まっていた。
タッチダウンからのスタートだが、小山先生の計測の仕方は独特らしく電気計時と同じ数字が出るという。
伊東 浩司選手も小山先生が計測したタイムと試合での電気計時とほぼ同じタイムだったらしい。
"信用性はかなり高いから安心して~、今日はこれで終わろう~"
布勢陸上競技場からワールドウイングに帰る車の中で小山先生にあの走りの感覚を聞いてみた。
"スタートの1歩目が地面に接地した瞬間に、後から物凄い勢いで誰かに押された感じでした!"
と興奮気味で話す私に小山先生がハンドルを握りながら静かな口調で話し始めた。
『身体のバランスが整ってくると、動作をしやすくなる力点を揃えやすくなる。
そして、股関節伸展による自然な重心移動が出来れば人間でもロケットのごとく走れるんだよ!』
お話を聞いて妙に納得してしまった。
普通は、力を込めて地面をキックして誰よりも速く足を動かそうとしてスタートダッシュを行う。
しかし、股関節を上手に動かし重心移動をしただけで爆発的な力を生み出すことが出来る。
そして、その自然発生した力をそのまま生かすだけで楽にスピードキープが出来るのだから素晴らしい。
『タッ君、今度の全日本実業団が楽しみになってきたね!』
この日の夜、今日の練習での出来事を父に早速報告した。
電話越しに聞こえる父の声も明るく、試合での走りを楽しみにしていると言ってくれた。
今日の走りで自信を取り戻した私は、天にも昇る想いで眠りについた。
しかし、考えられない事態が私を待っていた。
9日目の練習での出来事。
午前中は、初動負荷トレーニングを中心に身体をほぐした。
午後から、布勢陸上競技場のサブトラックで走る動作の最後のチェックを行うことになった。
いつもの様に、スタンディングからのスタートダッシュを3歩、5歩、7歩強調で1本づつ確認する予定であったが
5歩強調の走りの途中で、右足に痛みが走った。
全力疾走中ではなく、無理に減速しようとした結果、ハムストリングを痛めてしまった。
いつもニコニコ笑顔の小山先生のお顔が急に怖い顔に変わった。
『タッ君~、なんて止まり方をするんだ~!』
絶好調だっただけに、かなりのスピードが出ていた。
普通なら上体を仰け反るようにして小走りで止まろうとする動作は過去に何度もしてきたが
今回は、過去最高のスピードが出ていたために、かえって負担がかかってしまったのである。
そのまま、走り続けていたら負担がこなかったかもしれないが
ケガをしてしまった事は紛れもない事実であった。
二日前の天国のような気分から、一転して地獄にいる気分であった。
ケガをした事など、到底、父には言えない、、、、
ワールドウイングの戻り、Tさんに治療を受けた。
幸い、肉離れまではしていなかったが筋膜炎を起こしていた。
正直、一番やっかいなケガである。
10日目の朝早く、ホテルの部屋に小山先生から電話があった。
『おはよう!タッ君~、足の痛みの感じはどうかな?』
ケガをした翌日の朝の痛み具合で、ケガの度合いは分かる。
"大丈夫です! 何とかなりそうな感じです!"
心配してくれている小山先生にも負担はかけたくなかった。
ワールドウイングでの最終日を迎えた。
こんな最終日を誰が予測できただろうか?
たった10日間の間に、絶好調の走りからどん底の状態になるとは、、、、
"出来る限り、身体をほぐした状態で神戸に向かって欲しい"
と小山先生に言われて懸命に初動負荷マシーンでトレーニングをしていたが
複雑な心境の中、もどかしさだけが増長してきて耐えられない気持ちであった。
そして、午後の電車に乗る前に小山先生やスタッフの方に御礼を述べた後、
一人、鳥取駅に向かった。
暗雲の中、どうしたら良いのか分からない状態の中、電車に乗った。
電車が走り始めてすぐに携帯電話が鳴った。
小山先生の弟さんの隆さんからであった。
電車の窓から見えてきた光景は、
ワールドウイングの屋上に一人、携帯電話を左手に、右手には自作の旗を振り続けてくれていた。
"松村さん~、がんばれ~!、大変やろけどがんばれ~!!"
隆さんの心溢れる応援に、嬉しくて泣いてしまった。
『ありがとう~、ありがとう~、ありがとう~、、、、、』
不安な気持ちで一杯であった私であったが、隆さんのお陰で少しだけ楽になれた。
何で、こんな大事な時にケガをするのだ!
何で、俺ばかり、、、、
悔しい、、、、
神戸に向かう電車の中で、一人、嘆いていた。
次回の内観力は、『最悪の全日本実業団、そして最後のレース、、、、』です。9月10日の予定です。
早速、小山先生と試合までのスケジュール調整を行った。
前半の5日間で、初動負荷トレーニングを中心に身体のバランスアップを図りながら
走る動作のチェックを行うと同時に、現在の体重よりも後5kg減量するように言われた。
その時の私の体重は、67~68kgであったが
もう後5kgくらい減量することによって動作のキレが良くなるという。
大抵の選手は、ベスト記録を出した時の体重よりも増えている選手が非常に多いらしい。
私の場合、筋肉の量が増えたと言えばそれまでだが確かに大学4年生の時の体重と比較すると増えている。
仮に、ベスト体重よりも2kg増えている場合、両手に1kgのダンベルも持ちながら走るのと同じである。
使いこなせている筋肉の場合は、何の問題もないかもしれないが
パワーアップを目指して筋肉をつけたものの、只の体重増加で終わると逆に動作の妨げになる。
以外とケガの原因にもなっているのだ。
食事の内容や量にも気をつけながらトレーニングを開始した。
普段なら、減量は厳しかったと思うが大事な試合を控えていたので
モチベーションも高く、また、初動負荷マシーンを使えることもあって効率良く身体を動かせるメリットもあった。
経済状況の悪い中にも関わらず、援助してくれた父のためにも真剣にトレーニングに励んだ。
意識的に体重を落としていく中で、毎日、体重計に乗るのが楽しみになってきた。
面白いくらいに体重が落ちていったのであった。
また、その効果は、走るトレーニングにも現れてきた。
スタートダッシュもスタンディングの姿勢からキレのあるダッシュが出来るようになってきた。
感覚としては、大学4年生の北海道国体と同じくらいまで戻ってきた感じだった。
それ以上に、中間疾走から後半のスピードキープ率が自分でも驚くほど上がってきていた。
そして、7日目の朝を迎えた。
午前中のトレーニングを終えて、習慣になっていた体重計に乗ってみたら、、、、
"62.5kg"になっていた。
そのことを小山先生にお伝えすると、
ニッコリ笑いながら『タッ君、面白いことが起きるよ!』と言われた。
午後から、布勢陸上競技場で走る練習が行われた。
小雨が降っていたが100mのタイムトライをしようと小山先生言われた。
タイムトライに向けて、いろんな動作確認を慎重に行った。
スタートダッシュのキレも相変わらずいい状態をキープしていた。
準備が整い、小山先生に指示を仰いだ。
ワールドウイング方式のスタンディング(中腰のような姿勢)からのスタートで
最初の3歩だけ強調して、後は気持ち良く走ってみてほしいと言われた。
スタートラインに立ちながらゴールを見つめると100mがやけに短く見えた。
計測台に座っている小山先生の手が上がり、静かな気持ちでスタンディングのポーズに入った。
スッ~とスタートを始めて、最初の3歩を強調しようと思って走り始めたのだが
どうしたことか1歩が着地したと同時に信じられないくらいに前に身体が進んでしまった。
3歩を強調する暇もなく、誰かに後から猛烈な勢いで押されたかのごとくカッ飛んでしまったのだ。
するとどうだろう、あっという間に30m地点を過ぎてしまい、
本来ならば中間から後半への加速走を強調する動作に入るはずだが
まるで自動で身体が誰かに動かされているかのように勝手に動いているのだ。
しかも、かなりの高速で動いているのにも関わらず冷静かつ沈着で
ゴールが私を迎えにきてくれているかのように目の前に近づいてくる。
私は、ゴール手前でフィニッシュすることも忘れるくらいに、そのまま走り抜けてしまった。
そして、勢いがついた走りは、"減速"という言葉を知らないかのごとく走り続けていたのであった。
"止まりたくない、、、、、"
この時の正直な気持ちであった。
気が付けば、100mのスタートから第二コーナーの手前まで走っていた。
我に返った私は、急いで走りながら小山先生の所に向かった。
"タッ君~、何秒で走れたと思う?"
そう聞かれて返答に困った。
あまりにもスムーズに走れすぎて正直、『力感』がなかったので見当も付かない。
それ以上に、あの不思議な感覚にまだ酔いしれていたのであった。
"タッ君~、10秒2だよ!"
えっ、小山先生の言葉にビックリしてしまった。
ストップウオッチを見せて戴いたが本当に、10秒2で止まっていた。
タッチダウンからのスタートだが、小山先生の計測の仕方は独特らしく電気計時と同じ数字が出るという。
伊東 浩司選手も小山先生が計測したタイムと試合での電気計時とほぼ同じタイムだったらしい。
"信用性はかなり高いから安心して~、今日はこれで終わろう~"
布勢陸上競技場からワールドウイングに帰る車の中で小山先生にあの走りの感覚を聞いてみた。
"スタートの1歩目が地面に接地した瞬間に、後から物凄い勢いで誰かに押された感じでした!"
と興奮気味で話す私に小山先生がハンドルを握りながら静かな口調で話し始めた。
『身体のバランスが整ってくると、動作をしやすくなる力点を揃えやすくなる。
そして、股関節伸展による自然な重心移動が出来れば人間でもロケットのごとく走れるんだよ!』
お話を聞いて妙に納得してしまった。
普通は、力を込めて地面をキックして誰よりも速く足を動かそうとしてスタートダッシュを行う。
しかし、股関節を上手に動かし重心移動をしただけで爆発的な力を生み出すことが出来る。
そして、その自然発生した力をそのまま生かすだけで楽にスピードキープが出来るのだから素晴らしい。
『タッ君、今度の全日本実業団が楽しみになってきたね!』
この日の夜、今日の練習での出来事を父に早速報告した。
電話越しに聞こえる父の声も明るく、試合での走りを楽しみにしていると言ってくれた。
今日の走りで自信を取り戻した私は、天にも昇る想いで眠りについた。
しかし、考えられない事態が私を待っていた。
9日目の練習での出来事。
午前中は、初動負荷トレーニングを中心に身体をほぐした。
午後から、布勢陸上競技場のサブトラックで走る動作の最後のチェックを行うことになった。
いつもの様に、スタンディングからのスタートダッシュを3歩、5歩、7歩強調で1本づつ確認する予定であったが
5歩強調の走りの途中で、右足に痛みが走った。
全力疾走中ではなく、無理に減速しようとした結果、ハムストリングを痛めてしまった。
いつもニコニコ笑顔の小山先生のお顔が急に怖い顔に変わった。
『タッ君~、なんて止まり方をするんだ~!』
絶好調だっただけに、かなりのスピードが出ていた。
普通なら上体を仰け反るようにして小走りで止まろうとする動作は過去に何度もしてきたが
今回は、過去最高のスピードが出ていたために、かえって負担がかかってしまったのである。
そのまま、走り続けていたら負担がこなかったかもしれないが
ケガをしてしまった事は紛れもない事実であった。
二日前の天国のような気分から、一転して地獄にいる気分であった。
ケガをした事など、到底、父には言えない、、、、
ワールドウイングの戻り、Tさんに治療を受けた。
幸い、肉離れまではしていなかったが筋膜炎を起こしていた。
正直、一番やっかいなケガである。
10日目の朝早く、ホテルの部屋に小山先生から電話があった。
『おはよう!タッ君~、足の痛みの感じはどうかな?』
ケガをした翌日の朝の痛み具合で、ケガの度合いは分かる。
"大丈夫です! 何とかなりそうな感じです!"
心配してくれている小山先生にも負担はかけたくなかった。
ワールドウイングでの最終日を迎えた。
こんな最終日を誰が予測できただろうか?
たった10日間の間に、絶好調の走りからどん底の状態になるとは、、、、
"出来る限り、身体をほぐした状態で神戸に向かって欲しい"
と小山先生に言われて懸命に初動負荷マシーンでトレーニングをしていたが
複雑な心境の中、もどかしさだけが増長してきて耐えられない気持ちであった。
そして、午後の電車に乗る前に小山先生やスタッフの方に御礼を述べた後、
一人、鳥取駅に向かった。
暗雲の中、どうしたら良いのか分からない状態の中、電車に乗った。
電車が走り始めてすぐに携帯電話が鳴った。
小山先生の弟さんの隆さんからであった。
電車の窓から見えてきた光景は、
ワールドウイングの屋上に一人、携帯電話を左手に、右手には自作の旗を振り続けてくれていた。
"松村さん~、がんばれ~!、大変やろけどがんばれ~!!"
隆さんの心溢れる応援に、嬉しくて泣いてしまった。
『ありがとう~、ありがとう~、ありがとう~、、、、、』
不安な気持ちで一杯であった私であったが、隆さんのお陰で少しだけ楽になれた。
何で、こんな大事な時にケガをするのだ!
何で、俺ばかり、、、、
悔しい、、、、
神戸に向かう電車の中で、一人、嘆いていた。
次回の内観力は、『最悪の全日本実業団、そして最後のレース、、、、』です。9月10日の予定です。