第32回 内観力 『野口体操に出会う』
ワールドウイングの初動負荷マシーンが手に入らない事が明らかになったからには
マシーンを使用しないで身体をほぐす方法を探していくしか道はなかった。
今まで経験してきたことを踏まえて、いろんな方法で身体をほぐしながら
よりよい動作が出来る方法を模索していた。
スポーツケア整体研究所を開設してから2年が経ち
パイプ椅子とペットボトルを活用した身体のほぐし方やトレーニング方法を確立していた。
このトレーニング方法も即効性があり、かなりの動作改善が出来るようにはなったが
よりよい方法がないものかと探しながら考察していた。
ある日、仙台市内に出たときに何気なく本屋さんに入った。
何か良い本はないかと探していると、ある本に目が止まった。
・からだに貞く(きく) 野口体操 野口 三千三
・おもさに貞く(きく) 野口体操 野口 三千三
自宅に戻り、早速読んで見るのだが今まで取り組んできたトレーニングなどとは全く違う本であった。
理解出来ない部分は所々にあったが引き込まれる様に読み進めた。
読み終わると同時に、野口体操の実際の動作が見たくなりインターネットで調べた結果、
DVDがあることが分かり、早速注文した。
注文したDVDが届いた日にワクワクしながら見たら
養老 孟司さんとの対談をされた内容を見て目から鱗だらけであった。
野口 三千三さん曰く、、、、
"右腕を前方に肩の高さまで上げてみて下さい、今、右腕は肩の高さで止まっていますよね!
これを現代の科学で、なぜ人間がこの動作が出来るのかを証明することが出来ないんです。
なのに、今の時代は科学的な判断によるとなど言っていますが人間の身体の動作が科学的に分かるはずなどない!"
と、ぶった切っているのです。
しかも養老先生を目の前にしてです。
こんな素晴らしい方が日本に居たなんてお会いしたかった。(1998年、逝去)
そして、野口体操の内容がとても素晴らしかった。
野口体操を是非、学んでみたいという衝動が起きて
インターネットで調べていくと、野口 三千三さん直伝のお弟子さんが教室を開いている事が分かった。
すぐに、窓口の方にお電話して稽古会に参加させて欲しいと嘆願した。
2004年6月29日、東京都の某所で初の稽古会に参加した。
野口 三千三さんの直伝のお弟子さんであるT先生とご挨拶した。
仙台から来たことを告げると驚かれていたが快く受け入れてくれた。
要領が分からない私は、稽古をする方々の動作を見よう見まねで行っていた。
やはり、本で見たレベルでは実動作を簡単には出来ないのは分かっていたが
野口体操は、基本的なところから違っていた。
戸惑いながら動作を行う私の為にT先生は基本的な動作を教えてくれた。
動作はいたって簡単。
立ち姿勢から脱力しながらしゃがみこんでいく。
そして、腰から立ち上がり頭は下げておく。
右へ左へ揺さぶりながら軽く膝を曲げたなら腰骨から頚椎にかけて
徐々に徐々に身体を起こしていき、最後に頭を上げる。
動作だけを真似するのであれば誰でも出来る動作であるが
この動作を行う時に一番大切なことは『背骨』を意識的に使うということである。
"背骨なんか動くのか?"
今まで一度もしたことのない動作に最初は戸惑ってしまった。
と言うよりは、正確に判断すると『頭』で理解してやろうとしていたから
形ばかりを目で追っていて動作だけを真似するしか出来なかった。
一旦、動作を止めた私は、ひたすらT先生の動作を見つめ続けた。
そして、T先生の発する言葉のイメージを自分なりに解釈しながら動作を反復していった。
何度も何度も行ううちに、余計な考えをして邪魔していた『頭』が言葉を聞くうちに
あるイメージを私に伝えてくれたのであった。
"あっ~、そうか! これは朝顔が芽を土から出す瞬間と同じなんだ!!"
このイメージが出来てから不思議なのだが動作を背骨に任せてみたら
なんと背骨が勝手に動いているではないか!
それだけではない、腰骨から動き出した背骨が1本1本順序よく動き出し
最後にはかしら(頭)がひょこんと首に乗っかるではないか!
これがまた何とも言えない程、気持ち良くて堪らないのである。
T先生に、この事をお伝えすると
"初めての稽古会でこの感覚が分かるとは中々いいセンスね!"
とお褒めの言葉を頂戴して心底嬉しかった。
今まで、意識的に骨を動かすことなんて知らなかったし、又、出来るなんて思いもしなかった。
しかし、今、現実に自分自身の骨を自分の意識で動かせた私であった。
こんな凄いことを平然とやって退けるT先生の動作を目の前で観れたことは幸せであった。
他の体操に置いても、骨盤を意のままに動かす動作を観て惚れ惚れしてしまった。
その後、正式に、野口体操教室に入会させて戴いて
東京に出張があり、稽古会に参加させて戴ける日は参加するようになった。
その時に頂いた誓約書に記載されている『野口三千三語録抄』の一部を紹介したい。
・自分自身のからだの動きの実感を手掛かりにして、自分とは何か・人間とは何か・
自然とは何かを探検する営みを体操という。
・からだ、コトバ、装身具、おもちゃ、道具、機械、自然現象、それらすべての裏(なか)に潜り込んで
人類の知恵から大自然の原理を探検する営みを体操という。
・からだの動きの主エネルギーは、無生物の水や空気や砂・岩石等の動きと同じく、
重さのバランス状態から生まれる。そのきっかけを作り出し、それをコントロールするのが筋肉の役割である。
・大自然の力(例えば重さ)に抵抗する能力を力と呼び、
そのような力を量的に増すことがいいことだ、という感じ方・考え方は傲慢の極みである。
力とは自分自身のまるごと全体が、本来の自然そのものに限りなく近づく能力のことをいう。
・『力づくでなければ出来ないような動きは出来なくてもよい』
『出来ない方がよい』
『行為をしないということを行為する(しないということをする)』
『無理をしなければ無理が出来る』
『丁度いいのが丁度いい』
『頑張りではなく、したたか(下確か)に』
・『力を抜けば抜くほど力が出る』次の瞬間、新しく働くことの出来る筋肉は、
今、休んでいる筋肉だけである。今、休んでいる筋肉が多ければ多いほど、
次の瞬間の可能性が豊かになる。
・生き物が生きることにとってもっとも基本的な原理は、
『自分の身は自分で守(保・護・衛)り、自分の身は自分で始末をつける』ということであり
それは自分自身を限り無く大切にすることである。
・神経質な注意力とはちがう自動制御能力。
それは、基礎的・基本的な動きを、いつも本気で新鮮な感覚で、徹底的に大切に丁寧に、
毎日やることを長年にわたってやり続ける、、、、。
その結果として生まれる非意識の自動制御能力(反射的即応能力)、、、そんな能力を養い育てたい。
・教室で講義することは、一つの問題提起であって、当然のことに、
受講生が主体的にどのように受けとるかによって、その価値が決まってくる。
今、改めて読み返してみると、ここに書いてあることを求めてきた様な気がします。
そして、偶然にも最近読んだ桜井 章一さんの本で同じことが書かれていた。(この世の掟(ルール)をぶち破れ! 李白社)
別に私は合気道を習ったわけではない。
つまり、テクニックとして勝負するのではない。
私も道場生と力比べをしたら負けてしまう。
しかし、私が力を抜いて勝負すると誰も私にはかなわない。
それこそ相手を簡単に倒すことができる。
みな相手を倒そうとする時、まずは頭で考えて、理論的にここを押せば相手は倒れると考えて挑む。
物を動かすには力が必要だと勉強で教わったことが正しいと思い込んでいる。
しかし実際には、物を動かすのに力はいらない。
まったく力を入れないでも相手を倒せるというのは、いわば感覚のようなものだ。
この感覚を得るためには、自分を過去へと戻さないとならない。
先端の便利なほうへ行こうとしたり、知識に行こうとすれば感覚は取り戻せない。
一流の大工はけっして先端に行こうとしない。
原点に戻ろうとする。
先端の技術のほうへ取り込まれないで、過去へ過去へと戻っていく。
人間というのは、物事の原点、いいかえれば自然から学んでいた。
たとえば、魚の動きを見たり、鳥の動きを見たりしながら、自然とともに生きていた。
つまり、体の感覚は動物の動きを学びながら、取り戻すことができる。
私の仲間の一人、ヒクソン・グレイシーがやっていることも、これと同じだ。
彼のやっているグレイシー柔術とは、力よりも体の使い方を重視している。
やわらかく体を使うために、ヘビの動きを取り入れたり、時には守るために亀の動きを取り入れたりと、
動物の動きから体の動きを習得している。
小さい子どもはみんなやわらく動く。
そうした過去の感覚を取り戻すことだ。
子どももいつしかそれを忘れ、何かやるにもだんだん力が出てきてしまう。
しかし、力を入れるということは、むしろ自分が不自由なほうへ不自由なほうへと向かわせているだけなのだ。
桜井 章一さんは、子供の頃からの感性を今もなお持ち続けていらしゃるのだと思う。
もうひとつ、今回、書きながらビックリしたことは、『頑張りではなく、したたか(下確か)に』の
言葉を観た瞬間におもわず膝を叩いてしまいました。
その通りなんですね!"下確か"。
このことが、"したたか"だったとは、、、、
また一つ、腑に落ちた瞬間を味わうことが出来ました。
この感覚が分かれば、スポーツ選手の動作が劇的に変わるのです。
"居着ていないのに、居着ていられる"
そして、骨を動かす意識(感覚)を持つ。
骨を意のままに動かせることが出来れば
また、身体感覚の世界は変わり、動作そのものが別次元のものに生まれかわります。
出来ないのではないのです、知らなかっただけなのです!
あなたの身体は、その答えをかなり昔から分かっているのです!
あなたも動かしてみませんか!
骨を動かすことが出来たら、身体を上手に動かすコツ(骨)が分かります!
どれだけの方が、この研究レポートを読んで戴いているのかは分かりませんが
是非、一度、野口体操の本をお読みになり、そして機会があれば実際の動作を体験して戴ければと思います。
我が日本に、これだけの素晴らしい練習方法があることを一人でも多くの方に知って欲しいと心から願っております。
そして、私達、人間の身体の素晴らしい力をもっともっと知って戴ければ幸いです。
次回の内観力は、『高岡 英夫さんのゆる体操を知る。』です。10月31日の予定です。
マシーンを使用しないで身体をほぐす方法を探していくしか道はなかった。
今まで経験してきたことを踏まえて、いろんな方法で身体をほぐしながら
よりよい動作が出来る方法を模索していた。
スポーツケア整体研究所を開設してから2年が経ち
パイプ椅子とペットボトルを活用した身体のほぐし方やトレーニング方法を確立していた。
このトレーニング方法も即効性があり、かなりの動作改善が出来るようにはなったが
よりよい方法がないものかと探しながら考察していた。
ある日、仙台市内に出たときに何気なく本屋さんに入った。
何か良い本はないかと探していると、ある本に目が止まった。
・からだに貞く(きく) 野口体操 野口 三千三
・おもさに貞く(きく) 野口体操 野口 三千三
自宅に戻り、早速読んで見るのだが今まで取り組んできたトレーニングなどとは全く違う本であった。
理解出来ない部分は所々にあったが引き込まれる様に読み進めた。
読み終わると同時に、野口体操の実際の動作が見たくなりインターネットで調べた結果、
DVDがあることが分かり、早速注文した。
注文したDVDが届いた日にワクワクしながら見たら
養老 孟司さんとの対談をされた内容を見て目から鱗だらけであった。
野口 三千三さん曰く、、、、
"右腕を前方に肩の高さまで上げてみて下さい、今、右腕は肩の高さで止まっていますよね!
これを現代の科学で、なぜ人間がこの動作が出来るのかを証明することが出来ないんです。
なのに、今の時代は科学的な判断によるとなど言っていますが人間の身体の動作が科学的に分かるはずなどない!"
と、ぶった切っているのです。
しかも養老先生を目の前にしてです。
こんな素晴らしい方が日本に居たなんてお会いしたかった。(1998年、逝去)
そして、野口体操の内容がとても素晴らしかった。
野口体操を是非、学んでみたいという衝動が起きて
インターネットで調べていくと、野口 三千三さん直伝のお弟子さんが教室を開いている事が分かった。
すぐに、窓口の方にお電話して稽古会に参加させて欲しいと嘆願した。
2004年6月29日、東京都の某所で初の稽古会に参加した。
野口 三千三さんの直伝のお弟子さんであるT先生とご挨拶した。
仙台から来たことを告げると驚かれていたが快く受け入れてくれた。
要領が分からない私は、稽古をする方々の動作を見よう見まねで行っていた。
やはり、本で見たレベルでは実動作を簡単には出来ないのは分かっていたが
野口体操は、基本的なところから違っていた。
戸惑いながら動作を行う私の為にT先生は基本的な動作を教えてくれた。
動作はいたって簡単。
立ち姿勢から脱力しながらしゃがみこんでいく。
そして、腰から立ち上がり頭は下げておく。
右へ左へ揺さぶりながら軽く膝を曲げたなら腰骨から頚椎にかけて
徐々に徐々に身体を起こしていき、最後に頭を上げる。
動作だけを真似するのであれば誰でも出来る動作であるが
この動作を行う時に一番大切なことは『背骨』を意識的に使うということである。
"背骨なんか動くのか?"
今まで一度もしたことのない動作に最初は戸惑ってしまった。
と言うよりは、正確に判断すると『頭』で理解してやろうとしていたから
形ばかりを目で追っていて動作だけを真似するしか出来なかった。
一旦、動作を止めた私は、ひたすらT先生の動作を見つめ続けた。
そして、T先生の発する言葉のイメージを自分なりに解釈しながら動作を反復していった。
何度も何度も行ううちに、余計な考えをして邪魔していた『頭』が言葉を聞くうちに
あるイメージを私に伝えてくれたのであった。
"あっ~、そうか! これは朝顔が芽を土から出す瞬間と同じなんだ!!"
このイメージが出来てから不思議なのだが動作を背骨に任せてみたら
なんと背骨が勝手に動いているではないか!
それだけではない、腰骨から動き出した背骨が1本1本順序よく動き出し
最後にはかしら(頭)がひょこんと首に乗っかるではないか!
これがまた何とも言えない程、気持ち良くて堪らないのである。
T先生に、この事をお伝えすると
"初めての稽古会でこの感覚が分かるとは中々いいセンスね!"
とお褒めの言葉を頂戴して心底嬉しかった。
今まで、意識的に骨を動かすことなんて知らなかったし、又、出来るなんて思いもしなかった。
しかし、今、現実に自分自身の骨を自分の意識で動かせた私であった。
こんな凄いことを平然とやって退けるT先生の動作を目の前で観れたことは幸せであった。
他の体操に置いても、骨盤を意のままに動かす動作を観て惚れ惚れしてしまった。
その後、正式に、野口体操教室に入会させて戴いて
東京に出張があり、稽古会に参加させて戴ける日は参加するようになった。
その時に頂いた誓約書に記載されている『野口三千三語録抄』の一部を紹介したい。
・自分自身のからだの動きの実感を手掛かりにして、自分とは何か・人間とは何か・
自然とは何かを探検する営みを体操という。
・からだ、コトバ、装身具、おもちゃ、道具、機械、自然現象、それらすべての裏(なか)に潜り込んで
人類の知恵から大自然の原理を探検する営みを体操という。
・からだの動きの主エネルギーは、無生物の水や空気や砂・岩石等の動きと同じく、
重さのバランス状態から生まれる。そのきっかけを作り出し、それをコントロールするのが筋肉の役割である。
・大自然の力(例えば重さ)に抵抗する能力を力と呼び、
そのような力を量的に増すことがいいことだ、という感じ方・考え方は傲慢の極みである。
力とは自分自身のまるごと全体が、本来の自然そのものに限りなく近づく能力のことをいう。
・『力づくでなければ出来ないような動きは出来なくてもよい』
『出来ない方がよい』
『行為をしないということを行為する(しないということをする)』
『無理をしなければ無理が出来る』
『丁度いいのが丁度いい』
『頑張りではなく、したたか(下確か)に』
・『力を抜けば抜くほど力が出る』次の瞬間、新しく働くことの出来る筋肉は、
今、休んでいる筋肉だけである。今、休んでいる筋肉が多ければ多いほど、
次の瞬間の可能性が豊かになる。
・生き物が生きることにとってもっとも基本的な原理は、
『自分の身は自分で守(保・護・衛)り、自分の身は自分で始末をつける』ということであり
それは自分自身を限り無く大切にすることである。
・神経質な注意力とはちがう自動制御能力。
それは、基礎的・基本的な動きを、いつも本気で新鮮な感覚で、徹底的に大切に丁寧に、
毎日やることを長年にわたってやり続ける、、、、。
その結果として生まれる非意識の自動制御能力(反射的即応能力)、、、そんな能力を養い育てたい。
・教室で講義することは、一つの問題提起であって、当然のことに、
受講生が主体的にどのように受けとるかによって、その価値が決まってくる。
今、改めて読み返してみると、ここに書いてあることを求めてきた様な気がします。
そして、偶然にも最近読んだ桜井 章一さんの本で同じことが書かれていた。(この世の掟(ルール)をぶち破れ! 李白社)
別に私は合気道を習ったわけではない。
つまり、テクニックとして勝負するのではない。
私も道場生と力比べをしたら負けてしまう。
しかし、私が力を抜いて勝負すると誰も私にはかなわない。
それこそ相手を簡単に倒すことができる。
みな相手を倒そうとする時、まずは頭で考えて、理論的にここを押せば相手は倒れると考えて挑む。
物を動かすには力が必要だと勉強で教わったことが正しいと思い込んでいる。
しかし実際には、物を動かすのに力はいらない。
まったく力を入れないでも相手を倒せるというのは、いわば感覚のようなものだ。
この感覚を得るためには、自分を過去へと戻さないとならない。
先端の便利なほうへ行こうとしたり、知識に行こうとすれば感覚は取り戻せない。
一流の大工はけっして先端に行こうとしない。
原点に戻ろうとする。
先端の技術のほうへ取り込まれないで、過去へ過去へと戻っていく。
人間というのは、物事の原点、いいかえれば自然から学んでいた。
たとえば、魚の動きを見たり、鳥の動きを見たりしながら、自然とともに生きていた。
つまり、体の感覚は動物の動きを学びながら、取り戻すことができる。
私の仲間の一人、ヒクソン・グレイシーがやっていることも、これと同じだ。
彼のやっているグレイシー柔術とは、力よりも体の使い方を重視している。
やわらかく体を使うために、ヘビの動きを取り入れたり、時には守るために亀の動きを取り入れたりと、
動物の動きから体の動きを習得している。
小さい子どもはみんなやわらく動く。
そうした過去の感覚を取り戻すことだ。
子どももいつしかそれを忘れ、何かやるにもだんだん力が出てきてしまう。
しかし、力を入れるということは、むしろ自分が不自由なほうへ不自由なほうへと向かわせているだけなのだ。
桜井 章一さんは、子供の頃からの感性を今もなお持ち続けていらしゃるのだと思う。
もうひとつ、今回、書きながらビックリしたことは、『頑張りではなく、したたか(下確か)に』の
言葉を観た瞬間におもわず膝を叩いてしまいました。
その通りなんですね!"下確か"。
このことが、"したたか"だったとは、、、、
また一つ、腑に落ちた瞬間を味わうことが出来ました。
この感覚が分かれば、スポーツ選手の動作が劇的に変わるのです。
"居着ていないのに、居着ていられる"
そして、骨を動かす意識(感覚)を持つ。
骨を意のままに動かせることが出来れば
また、身体感覚の世界は変わり、動作そのものが別次元のものに生まれかわります。
出来ないのではないのです、知らなかっただけなのです!
あなたの身体は、その答えをかなり昔から分かっているのです!
あなたも動かしてみませんか!
骨を動かすことが出来たら、身体を上手に動かすコツ(骨)が分かります!
どれだけの方が、この研究レポートを読んで戴いているのかは分かりませんが
是非、一度、野口体操の本をお読みになり、そして機会があれば実際の動作を体験して戴ければと思います。
我が日本に、これだけの素晴らしい練習方法があることを一人でも多くの方に知って欲しいと心から願っております。
そして、私達、人間の身体の素晴らしい力をもっともっと知って戴ければ幸いです。
次回の内観力は、『高岡 英夫さんのゆる体操を知る。』です。10月31日の予定です。